「いい文章とは何か?」
私が思う「いい文章」とは「読み手の中で持続性のある文章」だ。
読み手の心に入り込んで溶け込んで、まるでその人の一部になってずっとどこかに残り続けてしまうような文章。
面白いは難しい
これまで読んできた文章の中で「いい文章だと感じたのは何か?」と考えるといくつか思い浮かぶものがあった。それらは人生の様々な場面で私の心に強く影響を及ぼしているが、普段あまり意識することはなく自然に私の一部になっている。
ついつい友人にシェアしたくなるTwitterのタイムラインに流れてくる強烈なインパクトのある文章は、数日も経てば一文字も思い出せなくなっている。「面白い」という一時的な刺激は、記憶から簡単にこぼれ落ちてしまうのかもしれない。文章としての面白さではなく、「これこれこうだから、面白いよね。」ということを伝える文章はタイムラインに流されてしまうように、少し記憶に残りにくいのだ。
「あー、何かいいな」という記憶
持続性のある文章は、言い換えれば「読む人の記憶に残る文章」だ。
人の記憶に残るためには恐らく感情のトリガーのようなものが必要で、私の場合は「あー、何かいいな」だ。
「あー、何かいいな」というと少し抽象的だが、つまりそれはふと思い出してもう一度読みたくなるような気持ちにさせてくれる文章のことだ。
何がいいと感じるかは、きっと人それぞれ違うと思う。しかし読み手の共感や悩みとは直接関係ないのに、どことなく読み手の琴線に触れ、読んでいると今まで気付かなかった感情の蓋がポーンと開くような快感に出会うと「何かいいな」と思ってしまうのだ。
私自身も文章で感情が揺り動かされたり、いま居る場所から一歩動き出してみたり、そんな素敵な体験を何度か経験したことがある。
例えば、私が1年ほど前に出会ったバズっていたツイートから読ませてもらったこちらのnote「生活をサボるな。とインド人に叱られて二年経ってから分かったこと」
こちらの投稿は、WEBエンジニアのはし かよこさんが、ご自身のインドでの一人旅をしたときの体験を元に書かれた文章だ。
何の気なしに読んだ文章だったが、読みすすめると何だか私も一緒にインド人のおじさんに叱られるような気持ちになっている。以来、自分の生活や、やりたいこと、生き方について考える時に今でも思い出す文章だ。
読む人の中で生き続ける
読み手が心のどこかでぼんやりと感じていることが言葉になって目の前に現れた時、いい意味でも悪い意味でもサプライズを感じて感情が動き、知らず知らずの内に自分に影響を与えてくれる。そしていつの間にか記憶にも刻まれて、ゆっくり読み手の中で持続性のある文章、いい文章になっていくのではないだろうか。
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