娘の9歳の誕生日に思うこと 「正解が決まった子育てをしたくない」
日本に住んでいた時、私は「正解」にこだわっていたつもりはありませんでした。
でも、知らず知らずのうちにこだわっていたんだな。と最近になって気が付きました。
娘は今日で9歳になりました。
良いところを伸ばしたいと思いながら
苦手がない子どもになって欲しいと思っていました。
娘は黙って人の話を最後まで聞くことが苦手です。
脳がくるくる回転して、すぐに話をしたくなってしまいます。
よく思い出してみると、私もそんな子どもでした。
子どもは大人ではありません。
そうなのですが、ある程度話が通じるようになると、急に大人としての振る舞いができるのではないのかと、思ってしまうのです。
そしてそういった「大人のような振る舞いができる子ども」が「正解」とされていると親の私は感じてしまっていました。
私は子どもから「経験」を奪わない。と何度も心に言い聞かせ
「死なない」「大怪我をしない」程度の失敗はさせようと思っています。
木にのぼる、大きな石を持つ、高いところから飛び降りる、明らかにおかしな方法で勉強をする。
親の私から見れば子どもの日々は「失敗しそう」なことの連続です。
でも「失敗しないこと」と「効率の良さ」にこだわりすぎる親の干渉は、子どもから「経験」を奪うことにならないのか?
と、思ってしまうのです。
そして親が安全だと思う程度の失敗を用意することも何か違うよな。と思ってしまうのです。
私はヨガインストラクターもしています。
ヨガの教えの中に「盗まない」というものがあります。
こう書くと「金品」を奪うことを想像しがちですが、私は親が一番気をつけなきゃいけないのは「子どもの経験」を奪うことだと思っているのです。
イギリスに住んでやっと
「良い親と思われたい」という呪縛から解放されました。
そしてやっと、子育てに対して「子どものこと」にフォーカスすることができるようになりました。
私には都会での子育てが向いていなかったんだと、つくづく思いました。
9歳の誕生日の少し前に、私の古いMacBook を娘に譲りました。
Appleのペアレントコントロール機能を使い、子どもの年齢に合ったコンテンツが表示されるようにしました。
娘は、自分でネットの安全性に関する本をたくさん読みました。
お気に入りのステッカーを貼り、自分だけのPCを喜んで使っています。
これでも、何か失敗することはあるかもしれません。
でも「経験を奪わない」って心に決めているので、あとは娘の後ろで困った時に助ける役として、ドーンと構えて待っていようかと思っています。
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