何もしない時間が生み出すもの
母になった瞬間から
彼女が望むものは全て与えようと思っていた。
特に「習い事」ということに関しては、彼女が望めばなんでもさせてあげようと思っていた。
私は田舎出身で自分で通える範囲の習い事はピアノしかなく
スイミングは一度反対されて(最近母に聞いたら、反対したことすら覚えていなかった)そろばん、習字、公文すら歩いていくには遠すぎる場所にしかなかった。
母は一度「スポーツ少年団に入る?」と高学年になった私を誘ったが、
見た目と違って運動がそんなに好きではなかったのと、小学生のくせに先輩後輩の関係が厳しいと噂で聞いていたので
「そんな時間よりも遊んでいたい」と誘いを断った。
本当はバレエやモダンダンスをやってみたかったが、習っているのはお金持ちのお嬢さんばかり。そんな時代だった。
さて、それから20年ほど経ち私は母になった。
娘が3歳になった時に彼女は
「私も何か習い事がしたい」と言い出した。
年少になると多くの子が習い事を始める。中でもスイミングを習っている子が多かった。
私は娘に聞いた。
「この辺りで習えるものだと、バレエ、スイミング、ピアノ、体操、英語だけど、どれがいい?」
バレエがいい。と3歳の長女は答えた。
その後、年中になり、いよいよイギリスに行くために英語の準備をちょっとでも始めようという話になった。
そこで週に1回、私と長女は英語を習いに出かけるようになった。
保育園で楽しく過ごしていたのもあっという間、小一の壁がやってきた。
小一の壁をどうにかやり過ごそうと必死だった私は、綿密な一週間の放課後スケジュールを組んだ。それは以下の通りだ
月曜日:学校附帯の学童に6時までその後ピアノ
火曜日:バスの送迎がある英語学童に7時まで
水曜日:学校附帯の学童に行き4時半から6時までバレエ
木曜日:バスの送迎がある英語学童に6時半まで
金曜日:バスの送迎がある英語学童に6時半まで
土曜日:午後1時からバレエ
日曜日:午前中にイギリス英語専門の英語教室
今書き出してみると、なかなかのスケジュールである。
良いことと言えば
・今イギリスの学校に通っているがフォニックスと簡単な英会話はできるため全く英語をやっていない子よりもはスタートが楽だった
(とはいえ、現地の勉強についていけるレベルではない)
・イギリスでもバレエを習っていて、その時間が彼女に自信を与えている
(とはいえ、発表会の前は忙しすぎた)
というのがある。が
今、認めたい。
忙しすぎである。
小学校2年生の6月。全ての習い事をやめた。
イギリスに移住するためだ。
ところが予定通りにビザは出ず、半年間、長野県にある私の実家で先のわからない生活を送ることになった。
そう、私が習い事がないと絶望していた場所に来てしまったのだ。
しかもビザがいつ出るかわからないので習い事はできそうになかった。
長野に来てすぐ、長女は貪るようにテレビを見た。
放課後帰ってくるとずっとずっとテレビを見ていた。
そのこと自体は悪いと思わない。なぜなら私がテレビが大好きで、だからテレビの世界で働くようになったからだ。
その後、長女と共に図書館に行くと、彼女は私が与えたのではない自分で見つけ出した本を一気に10冊借り、それを数日で読み終えると、次々と本を借りるようになった。
「その本、知ってるの?」と聞くと
「うん。学校の学童にたくさんあって前に読んでいたんだ」と答えた。
学校附帯の学童は私からみるとアクティビティが少なくて魅力が薄かった。
子どもたちをほったらかしにしている印象すらあった。
英語学童の方が子どもたちが喜びそうなものをたくさん用意していくれていて、時間も30分ごとにやることが変化していて飽きなさそうに見えた。
でも、そのほったらかしにされている時間に彼女は何かを見つけていた。
その後長女は、ノートに何かを書き始めたり、
大好きな漫画を自分でも書きたいと、創作に意欲を出し出したり
自分でもYouTube番組を作りたいと台本を書いたりした。
俵万智さんが「未来のサイズ」という著書の中で書いていた短歌が胸に刺さる。
何かを与え続けることが母としてせねばならないことだと思っていた。
でもその与えるに私は見返りを求めていなかっただろうか。
何も与えていない時間をそっと見続けると、長女は自分でやりたいことを選び出し、自分の時間を好きに使い、自分で何かを作り出し始めた。
イギリスでは明日から2週間のイースターホリデーが始まる。
習っているバレエも休みなる。
何もしない時間がたっぷりと用意されている。
私は子どもの頃夏休みが嫌いだった。
暇で脳みそが溶けるかと思った。
でももう私は長女に対して先回りして何か暇つぶしのできることを提供しなくてもいいのかもしれない。
何もしない時間がもたらすものが何なのか、私は見守りたいと思う。