『丹後の人に支えられ、石巻へ』 第16期 京都府京丹後市派遣
2011年3月11日、私は京丹後市にいました。
活動終了後も休学を延長し、ある農場で1年間お世話になっていました。
4月からは仙台にある大学に復学する予定でした。
被災地へボランティアとして向かうことを決めたのは3月19日。本来の予定なら自分もそのころ仙台にいるはずだったので、いてもたってもいられなかったのです。
その意志を周りに伝えると、緑のふるさと協力隊時代にお世話になった、たくさんの方たちが米や野菜、発電機、燃料などを私に託し、送り出してくれました。
ボランティアとして1ヵ月半ほど、石巻の町で炊き出しや泥だしなどの活動を行いましたが、その中で出会ったある被災者の方の言葉を今でも覚えています。
『コミュニティにとって「祭り」っていうのは、非常事態のための予行練習なんだ。地域みんなで集まって、協力して段取り組んで、みんなでご飯作って。そういう活動がちゃんと残っている地域は大丈夫だった。だけど、ここみたいな住宅街では人はばらばらになってしまう。』
私が京丹後で暮らしていたある冬、豪雪によって山の上の集落が孤立しかけたことがありました。当時の区長さんは、たった3世帯が住むその集落の家の屋根の雪下ろしを行いました。
私はいま、石巻を拠点に活動する緊急支援NGOにご縁をいただき、スタッフとして働いています。
「災害は必ず起こる。そのために一番必要な準備は、高い防波堤でもなく、立派な治山工事でもない。人と人とのつながりである」と確信をもって言えます。
それは協力隊員として村で暮らし、祭りに参加し、
地域に支えられて生きた実体験があるからではないかと、
いま感じています。
地球緑化センター機関紙『タマリスク』第105号p.5「ふるさとOBOG連載」より (2012年3月20日発行)
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