見出し画像

『粟島に移住して、思うこと』 第17期新潟県粟島村 派遣

新潟県の人口355人の粟島に協力隊として、やってきたのは、1年前の4月のことでした。

ここ粟島は、集落も2つ、面積的にも広いところではなく、ほかの地域に派遣された協力隊の活動と似たようなものは一切ありませんでした。


私の主な活動は、頼まれてもないのに竹炭でお菓子を作ってみたり、掲示板を作ってみたり、手作りのカレンダーを作って島の人に配ったり…。今思うと学生のノリでやってしまったなと恥ずかしくもあります。そのように活動の幅を考えてみると、粟島はほかの派遣地とはまったく違った活動ができるところでした。

画像1


私が協力隊で実感したのは、アクションを起こせばさまざまなリアクションがかえってくることと、人と関わることの面白さでした。関われば関わるほど、人の持つ力に気づかされる、そんな粟島の人をもっと見ていたくなってしまったことと、自分にできることがあったので、協力隊終了後も残ることにしました。


私は就活をまったくせず、大学卒業と同時に協力隊に入りました。就活をまったくしなかったのは、「農家になる」という小さいころからの夢と企業の中で働くビジョンが見えなかったからです。

協力隊を終えた今考えると「協力隊」が私の就職活動だったのかもしれません。「自分がそこでしたいと思うこと」と「そこの社会が求めるもの」、働くビジョンが粟島で見えました。

今、私は粟島浦村役場の臨時職員で商品開発を担当しています。

ただ商品を開発するだけではなく、協力隊経験を踏まえた、島でできる、島の人が活躍できる商品を作っていこうと考えています。今、進行しているのは、島のタケノコやジャガイモを使った食品、島のお年寄りと一緒につくる島のおやつ作り体験企画、島の人の冬の手仕事になるような粟島ストラップ作りなど。説明すると長くなってしまいますので、紹介のみにしておきます。

画像2


島にあるもの・できるもので、島のみんなで作ることを軸に、

これから粟島で頑張っていきます。

地球緑化センター機関紙『タマリスク』第101号p.7「ふるさとOBOG連載」より (2011年7月20日発行)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?