いつから、やりたいこと難民?
あなたはいつから、「やりたいこと難民」ですか?
私は5歳からでした。以来45年のキャリアがあります。
今回は難民キャリアの始まりについて、書こうと思います。
はじまりは、5歳のとき
幼稚園で、保護者が参観するイベントがあって、「将来なりたい職業」の絵を披露することとなりました。
園児の一人一人が大きな模造紙に寝転がり、先生にクレヨンで型を取ってもらいます。型取りの中に「なりたい職業」を叶えている自分を描くというコンセプト。
みんなが「野球選手」「お嫁さん」「花屋さん」とか言ってる脇で、私の頭は真っ白け。何一つ、浮かんできません。
幼な心に焦ります。
え、みんな、どうして分かるの?全然思い浮かばないんだけど汗
一瞬よぎったのは「アイドル歌手」でした。当時ピンクレディーが大好きだったのです。でも、当時の私はコンプレックスの塊でした。
太っているし、可愛くない私が、そんなことを言ったらきっと馬鹿にされる。身の程知らずと思われる。言わないでおこう。
ここまで0.1秒。
思い浮かばないまま、周りの子たちが次々と完成させていくのを恨めしく眺めながら、発表の日は近づいていきます。
「みどりちゃん、まだ決まらないのーー??」
「間に合わないよー??」
と周りの子に言われると、
「うーん、何個かあってさ、迷ってるんだよね〜」と見栄を張り続けました。
内心、焦りと、嘘をついている時の、あのザワザワ感でいっぱいでした。
迎えた当日
無情にも時は待ってくれず。当日がやって来ました。
保護者が来る直前の朝、追い詰められた私が捻り出した「なりたい職業」は。。。
「画家」
なりたいとは、これっぽっちも思っていませんでした。母方の祖父が日本画家だったのと、「画家」と言っとけば周りの尊敬を受けられると判断したからでした。
ピンクの模造紙に寝転び、大急ぎで型を取ってもらいました。
絵は得意だったので、ものの5分ほどで『画家っぽい』人に仕上げました。
案の定、見に来た子が「画家なんてすごーい。カッコいい!」と言ってくれました。私の嘘が虚栄心を満たした瞬間です。
でも、みんなに「すごいね」「どうして画家なの?」と聞かれて答えるたびに、胸がシクシク痛みました。『虚しい』というヤツですね。
泣きたい気持ちでした。だって、やりたいことが分からないんです、本当は。
そんな内面を悟られまいと、わざと明るく楽しそうに振る舞い、おどけました。
頓知のような答え
この時の体験が、まさか私の今目指すビジネスの元になるとは、夢にも思っていませんでした。
45年も「やりたいこと難民」だった私が、50歳にして、ようやく情熱を持ってやりたいと思えることに出会えた。それが「やりたいこと難民のサポート」だった。気づくと同時に「やりたいこと難民」が終わったというワケです。
なんとも皮肉な、というか、神様はまるで頓知のような答えをご用意してくださっていたんだな、と笑ってしまいます。