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ヤツデの葉

子供の頃住んでいた借家の一階に散髪屋さんがありまして、
親についてそこに行くことがよくあったのですが、お店の入り口付近に大きなヤツデの植木がありまして、
まだ子供だった私は、大人たちの退屈な会話に飽きて、その自分の顔より大きな、手のひらを広げたような形の葉っぱを念入りに観察する事くらいしかやることがなく、ヤツデの葉っぱの形は大人の手のひらよりも大きく、天狗の団扇とも言われ、そのことをどこで聞いたか思い出しては、怖いなぁって思っていました。

こないだ散歩の途中でこのヤツデに花が付いているのを見かけて、そのことを思い出しました。

私は子供の頃、なんでも怖かったんです。
天狗とか、鬼とか、古い廊下とか、便所とか、仏壇とか、田舎のものはなんでも怖かった。大きなダンプもすごく怖くて、犬も怖いし、バス停で待ってるバスがやっと来ても、止まってくれないんじゃないかと思って怖かったり、お習字のお教室の板の間が怖かったり、天井の模様とか、電気の傘のや裏側に何か居てこっちを見てるんじゃないかと怖かったり、朝顔を洗う水が怖かったり、夕方日が暮れて来て辺りの色が暗っぽく変わるのが怖かったり、食卓の下の足の方に何か居そうで怖かったり、ヤツデの葉っぱを見ても👺が持ってる手が見えそうで怖かったりしました。

神経質な子で、夜になると大抵足が痛くなるんです。冷えていたんだと思います。それに沢山歩いて学校から帰って来てましたし。

なんか、あの何にでもビクビク、怯えて気味悪がってた私はどこへ行ったんでしょう。

だけど、秋の昼下がり2時を過ぎるともう陽が傾いて来て、いつもの景色の色を少しセピアにする感じは、そんな子供の頃を思い出します。

このヤツデを観た時一気に子供の感情が蘇り、感傷的に見入ってしまいました。

学校から帰って来てもお母さんが居なくて、
居たとしても、一緒に話したりすることはなかっただろうけど、あの頃児童会はなかったから、夜になる頃親が帰ってくるまでにピアノを練習したり、本を読んだりしながら、リリアンを編んだり、テレビをみたりして、少しづつ暗くなってくるうちの中で過ごして、一々怖かったな、と思い出しました。だけど、花が咲いてるのを見たのは初めてで、こんな花が咲くんだなって、びっくりです。

それから、厚葉君が代蘭というこの花を見た時も食い入るように近くまで行って写真撮りました。

千手観音のような迫力があります。
人が魔法でこの姿になっているかのような。

実は、私にとって神社とか、祠とか、お社など、祀ってあるような物は今でも怖いんです。山登りしてても突如小さい祠とかあったりしますよね。そういうのも。
だからそういうのがないアメリカはとても安心だったんです。
ただ、気が溜まりやすい場所というのはあって、そこにいるととっても不機嫌になる自分なので、ソワソワします。

秋はお祭りも多いし、そういう、いつも隠れている隠、辺りの陰の部分が感じられやすく、心細くなってしまうのでちょっと苦手。

さあ、これから着替えて仕事に行きます。そんなこと考えてる暇はないんだぞ、と自分を鼓舞して。

昨日買ったばかりの服を着ようかな。気分を明るく持ちたいものです。黒い服だけど。

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