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私のピーターパン
私にとって初めてのディズニーは、母親に買ってもらった
『三匹のこぶた』と『白雪姫』の絵本。
次は紙芝居の『ピーターパン』
その次は飛び出す絵本という3Dの『眠れる森の美女』でした。
昭和40年代は日本が、古き良き時代’60sのアメリカという国の影響をとても強く受けていた頃でした。
私の家には何故かビルトインの食洗機が有りました。新し物好きの母親が、再婚相手の家に嫁いできた時、100年の藁葺き屋根の平屋、今なら古民家という言い方もありますが、大変古い田舎の家に入った時にその時から私の父親となった養父が、母を迎える為に土間の台所を改築して板張りのキッチンを設え、母がねだったに違いないであろう憧れの食洗機を据え、五右衛門風呂だった風呂はガス給湯器で沸かす風呂に、洗面台も新しく作り、池や井戸、納屋やゴミ焼き場、小さな畑まである大きな庭には、私たちの寝室となる離れやガレージも建て、母は、田んぼや畑と年寄り世帯ばかりのど田舎の知らない家に私と兄を連れて入ったのだ。柴犬の犬小屋も作り、子犬も生まれた。
私たちの寝室のある離れには、私たちの子供部屋に勉強机とベッドとトイレがあり、もう一部屋は夫婦の主寝室。
夫婦の部屋には小さな冷蔵庫やテレビがありましたので、昼間は親が仕事に行っていて留守の間、学校から帰って来た私は、婆さんの居る母屋や庭や離れの部屋で過ごしていました。ファンタジーには程遠い、ましてやアメリカという外国には全く縁遠い土地柄での幼少期でした。
ピーターパンもロストボーイ達も海賊フック達もとても自由で、親なんか居なくても自分たちの意思で昼も夜も仲間と遊び暮らし、宝物が欲しい海賊達🏴☠️とのバトルを繰り広げます。
私には、そんな遠い国のカラフルな夢物語の世界は、本の中でのスリルと冒険のファンタジー…だった筈。
ところがね…
ピーターパンの紙芝居を買ってくれた母親は、紙芝居をしてくれなかったし、自分の生きたい人生を生きることに忙しく、夢のお話を語り合ったり一緒に楽しんでくれる母親ではありませんでした。
周りに公園などなく、遊び場所といえば家の庭か、神社か、棚田を降りて行った先にある広い病院の保養施設。誰も居ないのに立派な建物の中にグランドピアノがあるのが見えて、広いグラウンドと、木立の中にバーベキューエリアもあって、素敵な所。私のいつも居る離れの部屋の窓を開けると、そのグラウンドや建物が見えて居る場所。名前はグリーンランド。入っちゃいけない人の土地なのに、近所にヤンチャなピーターパンのような遊び相手の男の子が一人居て、登下校も帰宅後もその子と二人であらゆる所で遊び回った。そのグラウンドで、私はその子の家の大きな自転車を借りて、練習に付き合ってもらい、乗れるようにもなった。三年生の頃。その子は何でも知っていて、何でも教えてくれて、勇敢な探検心に満ちていて、私にとってのピーターパンだった。
雑草花の名前や虫の名前、生態、道路を走る車の車種も全て言えて教えてくれた。ヨーヨーも上手で、私が転んで怪我をしたら、ヨモギの葉を見つけて手で揉み私の傷口に擦り込んでくれた。
柿の木に登って上からゆすられ、ズボズボした柿の実が、下の枝に居る私の背中と服の間に入った事もあった。良く鳴る豆笛を作って鳴らしたり、笹の葉で笹舟を作って流して見せてくれたり、カマキリの卵を見つけて見せてくれた時、メスは卵を産みつけるとオスを食べてしまうんだよ、と話したり、蝉の幼虫が殻から出てくる所を一緒に観察させてくれたり、プラモデルの作り方を見せてくれたり、おはじきやメンコの飛ばし方、ベーゴマや竹とんぼ、竹馬をやって見せてくれたりした。彼は
私にとっての立派な現実世界のピーターだった。
あの子は今どうしてるのか、多分どこにでも居る普通のおじさんになってるだろうし、急に挨拶もせず引越して行った私のことなんて思い出す事もないだろう。
ありがとうって言いたい。親に相手にされなくてもああして、楽しく過ごせていたのは彼のおかげかもしれない。学校から一緒に二人で帰っているとよく周りにからかわれたものだ。イチャイチャしてんじゃねーよって。
二人にはそんなつもりは全くなくて、単純に、1時間も掛かる退屈な長い歩きの山道を、野犬に襲われる事なく大型ダンプカーに轢かれる事なく安全に帰る為の当たり前の助け合い行為だったのだから。バスは1時間に一本もなかったから仕方なかった。
子供の頃毎日同じ毎日同じ道をあんなにテクテク歩いたから、今では少しでも歩きたくない人になってしまったのかもしれない。
さあ、今朝は新しい自転車に乗って、出かけよう。
ピーターが教えてくれた自転車の乗り方は、今でもこうして私の人生で役立っている。
私は魔法の粉は持っていなかったから、ティンカーではなく、弟の子守りを押し付けられていた真面目で臆病なウェンディの方だな。間違いなく!
大人になってから初めて行ったロンドンの街で、ビッグベンを見たけど、あんまり感動しなかった。
大きな時計の針にぶら下がるピーターパンは見えなかったから。
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湖水地方にも足を伸ばしてピーターたち、そう、もう一人のピーター、ピーターラビットも探してみたけど見つからなかった。それとも見えなかっただけかしら?
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今はちゃんとオリジナルをよんでますよ。まだ半分もいってませんが読んでいきたいと思います。
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