家にずっと居たもので ③賽は投げられた
私の住むマンションは、都心へ電車通勤で一時間半の郊外にある。間取りは三DK、住み始めて十年築十年、特にオシャレでも素敵でもない、普通のマンションだ。
玄関から入り左側の洋室が長男と次男の部屋。その先が私たち夫婦の寝室。末娘の部屋になる予定だが、小さい頃より一緒に寝ているから、いまだ三人の部屋である。
娘が大きくなって、一人の部屋が必要になったら、一番奥の六畳和室が、私たち夫婦の寝室になるはずだが、現状、物置部屋となっていた。
その先に十五畳のリビングがあるが、ここもモノがあふれていて、六畳ぐらいのスペースしかない。
引っ越し前からの荷物と、整理整頓をしないで住んだ十年間で、我家は既に、飽和状態となっていた。
自粛生活に入り、断捨離せにゃと思いつつ、いたずらに時は過ぎて行った。家族のごはんを三食作らねばならなかったし、食料品や生活必需品の買い出しもハンパなかった。その合間に、大好きな韓国ドラマも見放題だった。
四月も半ばだというのに、まるで初夏のような暑さが続いたある日、子供達にリクエストされて、今年初の冷やし中華を作った。
家族五人が揃いも揃って冷やし中華をズルズルとすすっている最中、夫がとんでもないことを言い出した。
「あのさ、仕事に集中したいから、ホテルに泊まりに行きたいんだけど。いいかな?」
「えっ。何」
それはまさに、寝耳に水、晴天の霹靂、いきなりステーキだった。
「駅前のビジネスホテルで、テレワーク応援プランってのがあんだよ。素泊まりで一泊三千八百円。安いよね」
「えーずるい。父さんが行くなら俺も行く。クーラーガンガンに冷やして勉強しないと、頭に入らないんだよねー」
高校二年生の長男が、降ってわいたようなホテルライフに目の色を変えている。
「兄ちゃん居なくなったら、あの部屋、俺がひとりで使える。ラッキー」
中学二年生の次男までいい気になっている。
「みんな何言ってんの。ばっかじゃない?さっさと食べちゃってよ、片付かないんだからさっ。だいだい、そのホテル代は会社から出るの?」
「まさか、自腹だよ」
「じゃあ無理です」
「だったら、せめてクーラー使わせてよ」
長男が食い下がる。
「それも無理!」
家族五人が一日中家にいるようになってから、電気代も水道代もうなぎ登りだった。在宅勤務で給料は三割減だし、搾れるところは絞らないと、家計は火の車だ。
「あーあ、せめて図書館開いてればなー」
「それ、私に言うかな・・・」
似てほしくない所が似てしまうとはよく言われるが、長男は父親そっくりだった。小太りで運動嫌い、そして甘いものが大好き。最近は後ろ姿まで似てきた。それ故、二人とも暑がりでクーラーが大好きなのだ。
その日の夜、夕飯の片づけを終え、これだけが楽しみの韓国ドラマを見ていると、夫が話し掛けてきた。
「やっぱりダメかな?ビジネスホテルで仕事したいんだよなぁ」
「ムリムリ!マンションのローンと子供達の教育費で、いっぱいいっぱいだから」
「今さ、そこで仕事してるだろ」
夫がダイニングテーブルを指さした。
「お前がテレビ見てるのが気になって、集中できないんだよ」
「・・・て、てへぺろっ」
そうなのだ。緊急事態宣言発令の翌日から自宅待機となった私は、ここぞとばかりに録画していた韓国ドラマを見まくっていた。流石に、音はイヤホンで聞いていたし、なるべく静かにしていたつもりだったが・・・
「わかった。そしたら、物置にしてる部屋を片付けて、そこで仕事する?」
思わず言ってしまった。
「おっ、そうしてくれる。助かる」
と言って、夫はお風呂に行ってしまった。
「エ?私?手伝う気まったくないんだ・・・」
少し腹が立ったが、断捨離するにはいい機会だと思った。賽は投げられたのだ。
職場である図書館からは、休み中にマニュアルの再読や、業務改善の提案など命じられてはいたが、これといって、急ぎでやらねばいけない事は何もなかった。
翌日、覚悟を決めた私は、物置部屋の片付けに取り掛かった。
そこには、捨てきれずに溜めてしまった不要な物が静かに眠っていた。まるで私たち家族の、「過去」の墓場だ。
先ずは、自分の独身時代の趣味の物から、捨てる事にした。この先、絶対に着ることの無い派手なスキーウエア。健康の為に通っていたスポーツジム用の着古したジャージと地味な水着・・・これらは迷うことなく、ゴミ袋
に入れていった。
次は、OL時代に着ていたブラウス、ジャケット、スカート。中には姉がくれた物も随分とあった。捨てたら怒られるかなと、一瞬頭をよぎったが、
「断捨離しなよ、断捨離ダンシャリ」
と口癖のように言ってくる姉が、文句をいうはずはないと思い直した。
45Lのゴミ袋が五つ、あっという間にいっぱいになった。気が付いたら時計の針がお昼の十二時を指していた。
お昼を食べる前に、地下のごみ置き場に捨てに行くことにした。夫にも子供達にも、なんとなく頼みたく無かった。やり始めたらスイッチが入った感じ。これは私の仕事なのだ。
「なんかいい感じだぞっ」
意気揚々と二往復して、五袋を運んだ。
着ていない服を捨てたら、本当に気分がスッキリとした。断捨離は心のお掃除だとよく言われるが、本当にそうかもしれない。
「よしっ、この調子で午後も頑張ろう」
と自分にエールを送った瞬間、滅多に鳴らない、固定電話が鳴った。