心のフィルター
写真に納めたつもりでも、本当に感じたものは心のなかにしかない
写真を後で見返すことも絵を描いて見返すこともおなじことなのかもしれない
見た人の感動をその絵や写真から感じ取って心でうつす
だから芸術は怖いとかんじる
あぁ、だからか
いままでわからなかったけれど、言葉にして整理すると妙に納得する
普段絵なんて書かないわたしも太陽が織り成す色とりどりの世界を見たとき描きたい!という衝動にかられた
絵心のなさにがっかりしながらその絵をみたとき、また同じ感動を思い出すことができた
もしかすると、みんな心のフィルターを通して見ているのかもしれない
だから家族を友達を人をこうだと思い込む
わくにはめようとする
知ってるカテゴリーにいれてしまえばそれ以上かんがえなくてすむ
わからないことも心のフィルターを通せば理解できるものに変換できる
人はわからないことがこわい
わからないとみとめることがこわい
わからないことにふみこむのがこわい
知ってるものもはじめはわからなかったものなのに
回りの環境?
親の影響?
自分が逃げてる?
一体なに?
わからないって楽しい
そう思えたら世界はもっとひろがる
みんなそうだといいのに
知らなければいいのに
わからないことから逃げればいい
そうすればずっと楽な世界で生きられる
見たい世界だけ見られる
成長はない
どっちをえらぶのは自分
自分でしか人は納得して進むことはできない
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