第1期桜蕾戦ベスト16と東上決定 ~JUNのミド活ヒストリー④
2021年
前年に世界を震撼させた新型コロナウイルスによる生活への影響は続いていた。年が明けてすぐの1月8日から二回目の緊急事態宣言が首都圏、関西、福岡に発せられてはいたが、私は
『次にコロナの波が収まったら夏目翠プロに会いに行こう。』
と心に決めていた。
そんなことを考えていた1月末。日本プロ麻雀連盟から大きな発表があった。
日本プロ麻雀連盟から、「20代育成プロジェクト」として、男性プロは若獅子戦、女性プロは桜蕾戦を各々20代の連盟プロ限定のタイトル戦として開催することが発表された。
3月にその第1期が行われるという。
夏目翠プロもTwitterで参加を表明されて、また「プロNo.1決定戦」のようにリアルタイムで翠プロの麻雀を応援できるかも?と気持ちが高ぶった。
そして、とうとう「自主出禁」を取り下げる日が来た。
その日、2月25日に夏目翠プロが3月のご自身のスケジュールをツイートされた。
このリプが翠プロへの5か月ぶりの直接のリプだった。
松岡千晶プロのブログ
その“出禁解禁”の少し前に、松岡千晶プロの何気ないツイートに目が止まった。オフで京都に来ておられるという。
「おすすめのお店を教えて」というツイートに私も返信したのだが、翌日の松岡プロのブログに驚いた。
なんと、亡くなったご自身のファンの方のお墓参りに滋賀県まで行かれたという内容であった。
「プロがファンの為に遠くまでお墓参りに来る」
私はその亡くなった方を存じ上げないけれども、松岡プロが定期的にファンの方と大会をされていたことは知っていた。
その集まりを作られた方であるらしい。
そのブログを読んで、『きっとその方は素晴らしい人だったんだろうなぁ。自分も応援する人の為にこんな風に一生懸命になってみたいなぁ。』って思ったことは覚えている。
今思えば、これが全ての始まりであったかも知れない。
でもその時は、正直そこまでの情熱を持ったファンではなかった。
ただの、「翠プロと直接お会いしたこともない投票選抜戦81位の下っ端ミドレンジャー」でしかなかった。
誤解を生むかも知れないので付け加えておくと、私がこの世を去ったとしても、翠プロお墓に来て欲しいわけではない。もっというと来て欲しくない。
家族には聞かれても何も言わないようにいい残して逝くようにしよう。
第1期桜蕾戦予選と東上決定
3月13日に第1期桜蕾戦予選が行われた。
予選の5戦で翠プロは、1、1,4、4、1で、本選出場となる上位12名に1つ届かない13位であった。
しかし、桜蕾戦予選には推薦枠があった。予選の内容を審査員が評価をして推薦で勝ち上がれるというシステムである。
「トップかラスか」のバチバチの麻雀を打って次点の13位なら当然推薦されるであろうと思ったら案の定推薦に選んでもらえた。
もう有名な話だから時系列を飛び越して書いてしまうけれど、この時に翠プロと一緒に推薦を受けた伊達朱里紗プロがこの第1回桜蕾戦のタイトルを取られた。
その後のMリーグでの大活躍を見ると、「タイトルが人を育てる」というのもあるのだなぁ、と思う。
そして、この時期に私がはじめて夏目翠プロに会いに行く日程も決まった。
翠プロが告知して下さったスケジュールの中から選んだのはこの二つ。
3月19日(金) ひよこ堂
3月21日(日) さかえ松戸
一回の東上で翠プロに二回も会える。
そしてその2日前が翠プロの桜蕾戦初戦ベスト16の対局日。
もちろん、「ベスト8おめでとうございます!」を直接言いたい。
そんな気持ちで、3月17日を迎えた。
その組み合わせを見た時には天を仰いだ。
なんと、優勝候補筆頭のMリーガー岡田紗佳プロのおられる卓だった。
この対局について詳しく書くのは慎む。
結果だけ書くと、夏目翠プロは2位でベスト8に進まれた。
色々なことがあってご本人もとても複雑なご心境であったと思うが、結果を前向きに受け入れるお言葉がTwitterには上がった。
そして、その日
2021年3月19日を迎えた。