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報告/「立場と想像力について」連続対話会第1回

トオラスのさわです。

2022年10月15日から1泊2日で開催した、
広島県の大久野島へのスタディツアー。

非常に学び多き旅で、
ツアーに参加しなかった方も巻き込んで、
対話会を継続していくことにしました。

今回はその1回目。
1回目から、実に深い対話ができました。
参加してくだったみなさま、
ありがとうございました!

対話会のテーマ

第1回のテーマは、「立場と想像力について」としました。

大久野島の歴史は、学んだ私たちにとって、
「隠された事実」や、「フェアじゃないと感じる事実」であり、
「信じられない」と驚くようなことばかりでした。

しかし、大久野島には、過去から現在に至るまで、
さまざまなステイクホルダーがいるのです。

それぞれが、それぞれの立場で、その時々に最善のことをした結果が、
史実として残っているのかもしれません。

立場を超え、想像力を働かせ、
私たちが未来に向けてできることとはなんでしょうか?

参加者からのお話し

・当時関わった人の立場に立ったら、それぞれ、そのときの最善の選択をしたんだから仕方なかったねと考えられる。でもそう言ってしまったら、現在の日本も、軍事費増強の流れになってるけど仕方ないよね、ってなってしまいそう。過去から学んで、現在〜未来を考えたとき、私たちに一体なにができるのかを考えたい。
・先の大戦の時代には、みんなで決めるとかそんなことがそもそもなかったと思う。有無を言わさず、命令だったろう。その頃は、天皇を神とし、お国のために死ぬのが当たり前な時代だった。今の日本は、少なくとも法治国家で民主主義国家のはず。当時の人たちが、抵抗もできなかったとしても、今の私たちの日本で、それが繰り返されていいってことにはまったくならない。憲法も変わっているのだから。
・その当時の人が与えられていた情報は、とても小さいものだったのだと思う。その小さい情報のなかで、最善を尽くそうとしたってことはありえる。全体をみれば最善じゃないかもしれないんだけど。工場の部品がそれぞれに発注され、最善を尽くして製造され、それらが集められて、毒ガス工場ができたように。 いろいろな人が、目的に向かって、真面目に真面目にやっていき、大きな絵になったときに、まったく違うものになるということがありえるのだと思う。
・当時とは憲法が変わってるのは確かにそうだが、9条の解釈が変わったり、閣議決定だけで大事なことが決められたり、全体像を考えれば流れはそっちに行っていて、それは、一般の人にはわからないレベルで進んでいると思う。先の大戦と今とが、そんなに違っているとは思わない。
それぞれが、精一杯の日常を生きていて、気がついたら、一生懸命毒ガスを作ってしまっているということがありえる。
流れていくものを全部変えるのは難しいけど、なにが起きているかを知ることと、その先に備えることはできる。だからこそ、うさぎ島でなにが起こっていたかをみることには、非常に意味があると思う。
・なぜ、全体像をみる権利が一般の人にはないのかな。 悔しい感じがする。
・全体像を見せないように、意図的になされていると思う。 今まさに、そこのせめぎ合いが、香港、中国、ウクライナ、台湾で起きている。
・いまは昔よりは、全体像は見やすくなっているんだろうか?
・ 全体像を見るのは難しい。 正しい情報にアクセスするには、スキルが要求される。 情報のつなぎあわせから、像を勝手に結ばない、とか、 誘導してひとつの思想にもっていかない、、、などが重要。 ロシアとウクライナの戦争についても、日本では西側の情報しか知らされていない。なにが正しいかから考えるようにしないと、仕向けられている可能性がある。探せば、正しい情報はあるはず。 
・いろんなことを勉強するっていうのが大事なのかなと思っている。 全体像、真実に近いものを知ろうとすること。それには、いろんな経験とか知識とかがベースになるのだと思う。
・人は、見たいものしか見ない・見えない。だから、自分で情報を取りに行ったり学んだりしただけでは、どうしても偏る可能性が大きい。だからこそ、対話する必要があると思う。
・第二次世界大戦で日本が毒ガスを使用したことについて、ツアー時に、「日本が国際条約に違反して使用した」と聞いた。しかし、帰ってから調べたところ、国際条約には2段階あることがわかった。 条約がある、ということを認め、その次に、批准すること。毒ガスに関する条約については、アメリカと日本は批准してなかったため、「違反している」とは言えず、「違反した」の情報には、恣意的なものが入っていた可能性もある。
・どんな人でも(無意識に)バイアスがかかるから、対話しなければならないのだと思った。
・家族を守るために毒ガスを作るしかなかった人もいるだろうし、戦争に巻き込まれていった多くの人は、情報をもってなかったと思う。その時点でも、アメリカ留学をしていたような人は、日本は絶対勝てないと知っている人もいたはず。今の日本でもそうかもしれない。
・これまでの対話で、いつもちらっと出てきてあまり言及しないところに、アメリカの存在がある。大きな絵をみたときに、アメリカと日本の関係や、第二次大戦のあと、ベトナム戦争で毒ガスが使われた歴史とかを知らなければならない。日本のことだけ見ていてもダメだと感じ始めている。
・アメリカが(その後の戦争で)使いたかった&自分たちがすでに毒ガスを大量にもっていたから、東京裁判で毒ガスの条約違反の件を裁かなかったとツアーで聞いた。実際は、アメリカと日本が条約にそもそも批准していなかったと今日聞いた。そんなふうに情報のもやっとしたところが積み重なっていくと、ちょっとずつ(伝わる内容が)ずれていく。
・すべてのことは、言葉にした段階でずれていくと思う。「赤」と言っても、思い浮かべる赤は人それぞれ。だからこそ、対話が重要だと思う。
・ 歴史というのは、人々が残したいと思ったものだけが残っているって聞いた。大切なことは、忘れられていく。
・なぜ対話が大事なんだろう?わざわざ書き記さないということもあるが、書き物のほうが、ちゃんと落ち着いて、言葉を選んで、この文章で伝えたいとか、調べたことをなるべく事実に近い形で、とか、ちゃんと伝えられる。一回書いたとしても、話し言葉で話そうとすると、漏れたり言い間違いがある。 それなのに、なぜ対話が大事なんだろう?
・時代がうつりかわると、価値観が変わっていく。価値観は当事者しかもっていないもので、価値観をわざわざ書き記すということはしない。その時代では、わざわざ書き記さなくても当たり前だと感じてしまうから。バックグラウンドにもっている思想については、書き残したりしない。だからこそ、話さないとわからない。
・想像力を働かせたとき、もし当時そこにいたら、自分も知らないうちに一生懸命毒ガスを作っていたかもしれないと言った人がいた。昔のことのようだけど、 現代でも、そうなっていることを想像しなきゃだめなのかなと思った。
・最近のSNSは、自分が興味あるものが勝手に出てくる。自分が見ているものを、必ずしも隣の人は見ていないということに思いを馳せている。
・立場と想像力ということでいうと、 自分が今いいと思っていること、仕事や地域のためにやっていることは、よかれと思ってやっているけど、 結果的にだれかを傷つけたり、めぐりめぐって、 毒ガスの原料をつくっているかもしれないということは、考えておかなきゃいけない。大昔のことではなく、何十年か前の人たちも、その中で精一杯生きて、最善のことをした。 自分の今の立場ではどうか、ということも、考えておきたい。
・インターネットの時代、似通った情報ばかりが集まってくる。 たとえばコロナワクチンひとつについても、信じる派・信じない派の分断という問題が起こってきている。先の戦争のように全体が一方向にいかない。そう考えると、分断が起こっているだけ、ましなのかな。 分かれていることに価値があるかもしれないと思った。
・分断ではなくてダイバーシティが大事。違う考えの人たちが、違うままでどう一緒にいるかが大事。どちらの選択であっても、自分がどうしたいのかをそれぞれがしっかり持っている社会をつくりたい。だれかが言ったからって揺るがない在り方は、新しい在り方。 自分が本当になにが好ましいと思っているかって、ひとりじゃわからない。 人に伝えてみて、人と違うと知って、その結果わかるもの。だから対話が大事。
・対話ってなんなんだろうなということを考えていた。 なにかを伝えるってことなのか、会話とどう違うのか。
・想像力については、今していることがどうなっていくのかという想像力もあるし、 他の人の立場に立つという想像力もある。想像力にもいろいろある。よく観察するとか気持ちを向けるとか、そういうことが大事だと思った。
・今のことでも過去のことでも、自分で考えたり調べたり、自分で決めたり、 少なくともそういう方向に努力しようとした、 自分の足で立とうとしていた形跡がないのが、自分はもやもやするのだとわかった。

まとめ

つくづく、対話の重要性を感じました。
対話ってなんだろう?って問いが出ていましたが、
もし無理やり一言でいうなら、私は、
「自分を知ること」だと思います。

相手のいうことを傾聴しようとか相手の靴を履いてみるとか、
そうして違う考え方から学ぼう、なんて言ったりもしますが、
私からしたら、そんなことより、
「自分を知る」のほうがずっと重要だと思います。

自分のことって、知っているような気になっているけど、
実は全然知らない。
他者との対話により、自分に気づく。
それを一生かけてやっていくのが、
生きるってことだと思います。

この秋、トオラスの使命を、
「ひとりでも多くの対話できる人財を増やす」
と、あらためて定めました。

今回の対話会は、
そう決めたことに、あたらめて、
自信と勇気を与えてもらう時間になりました。

ありがとうございました!

第2回対話会のご案内

うさぎ島から考えよう!連続対話会(第2回)のテーマは、「加害と被害について」です。
2023年1月10日(火)21:00-22:30 
お申し込みはこちら
https://torus-usagi-after2.peatix.com/

広島といえば、原爆の被害を受けた町として有名ですね。
いわば、私たち日本の、「被害者」としての歴史。

しかし、大久野島で作られた毒ガスを使って、
日本が中国の方に対し「加害者」となった真実を知る人は、ほとんどいません。

では、毒ガスを作っているとは知らずに、毒ガスを作った人たちは、
加害者でしょうか?被害者でしょうか?
その毒ガスが使われた中国のことを思うと「加害への加担者」とも言えますが、
彼らは、製造過程で健康を害し、
戦後も生涯にわたって健康被害と生きていくことになった被害者でもあります。

戦争における加害と被害は、二元論で話せるようなものではありません。

私たちの多くは、可能なら、加害者にも被害者にもなりたくないはず。
そのために、
私たちが未来に向けてできることとはなんでしょうか?



ミドルパークについて

大人のヒミツキチ ミドルパークは、
トオラスのオンラインサークルです。
対話の基礎体力をつけ、対話の場数をたくさん踏むことができる場を目指しています。
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