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やる時は、やるしかない。

note書くとき、事前に書くことを整理してから書くのがいいと、これまでに培ったライティング知識では思うんだけど。

それしていると書かないまま気が済んでしまいそうで、いつも書きながら整理しています。そして今日も。

よく考えると、事前に整理するっていうのは一般的、つまり多数派のやり方ではあるけど、それが自分に合っているという保証はどこにもないよね。内容によっても変わってくるし。

だから、あまりとらわれずに自由にやりたいよね。

で、これ書いてて気づいたけど、なんだかアレもコレも型にハマり始めていたかも。自分を型にハメようとしはじめていたかも。

だからそれを抜け出すためにも自由になって書いてみよう。

音楽で表現することは、自由になること。

自由になる、と書いていて思い出した。

今この世に作られている常識などに従って自分をフルに表現することって本当に難しくて、自分には合わないと思っている。

noteやるにしても、しっかり準備してやるのは苦手だし、あれもこれも「こうやるといい」ってことはだいたい学んでいるものの、咀嚼せずにトライするとだいたいうまくいかない。

それでもやってみる価値はあると思うけどね。やっぱりダメだなぁ〜とわかるから。

で、グルグルまわって、やっぱり音楽やってる時とか、やろうとしている時の自分は一番リアルだということを思い知っている最近。

音楽やっているときは、なんの枠にハマることもなく、自分でいられるし、自由でいられる。

音という制限があるからこそなのか?それをどう表現するか、という無限の選択に自由を感じる。

選択が自由にできるというのは、ある程度、知識や技術に基づいているかもしれないけど。

でもなんか、もっと本能的なものな感じもするよね。

そしてその自由は、音を追求するだけでなく「伝える」作業においてより強く感じられるものだと分かってきて、なおさらしっくりき始めている。

誰かに伝えたい、という意志が強くなると、目にも力が入るし、より強い自覚みたいなものが生まれるんだよね。なんだろこれ不思議。

ああ。表現するということは、伝えるということなんだ。

そしてそうしている時の私は、一番自由でいられるんだ。

そう思いながら、次の自分をできるだけフラットに、意識の中に定住させていく作業をしている。

もう随分、離れてしまっていたから、なかなか定着しないのだけど。

でもそんな過去の流れとか「前はできたけど」とかは実は関係なくて。

「今、どうありたいか」だけなんだよね。

だから、過去の音楽活動への意識とかそういうのを、今の自分から切り離して、今あらためてピュアに、自分を作っていく。

そういう作業の途中にいる感じがしてます。

得意じゃないことをもっともっと辞めていく。

そういう作業の中で、強く意識しているのがこれ。

社会人になってからの自分というのは、常識や一般的なものの考え方と言われるものとのせめぎ合いのなかで生きてきている。

で、ここ数年は特に、そういった多数派に馴染みたいという思いが大きかった。

理由は分からないけど、とにかくスッカリ自分に自信をなくしていたから、自己否定だったのかもね。

そういう中でいつの間にか「苦手なことを頑張ってやる」自分が育っていて。

それをどんどん、どんどん、止めていきたいと思っている。

まぁそれには前から気づいてて、どんどんやらなくしてるつもりなんだけど、止めれば止めるほどに、次々と気づくという感じで。笑

まだまだ、苦手なことに自分を突っ込ませているところあるから、そういうのはもっとやめて自分を研ぎ澄ましていきたいなと思ってる。

先週ぐらいから、日常の振る舞いが少し変わってきた。

媚を売ったり、むげに自分を落として甘えようとしたりすることが減ってきた。よしよし。

という感じで。

よりブレない自分を作っていこうと思う。

過去からの流れも、今あらためてリセットする。

苦手をやめていくなかでも、キーになるのはこちらで。

とくに音楽関係のことで自分が難しいのは、過去に頑張っていた時期があることで、そこを基準にものごとを考えてしまうことなんだよね。

あのとき好評だったアレをやろうとか、あのときうまくいかなかったからやめておこうとか。

あるいは逆に、前にやったことを活かした方がいいとか、前にやりたくてできなかったからやりたい、とか。

過去にフタをするのも良くないけど、しがみつくみたいになるのも身動きとりづらいんだよね。

他のことに関しては、過去を投げ捨てるように(残酷なまでに笑)切り捨てて前に進むタイプだから、音楽でもそれができればいいんだが。

どこかで、当時の自分が間違ってなかったと誰かに訴えたくなったり、一方で胸を張って何かを達成したと言えないところもあって、苦しくなったり。反芻しちゃうんだよね。

わかりやすく、過去を精算するには、、、

過去のプレイリスト捨ててみるとか?

過去の持ち歌も捨ててみるとか?

過去のSNSも捨ててみるとか??

なんかそれぐらい、真新しい自分になりたいなぁ。

私の過去なんて、何も知らない人たちと生きたいって思う。

それは別に過去が辛かったからとかではなく、とにかくリセットしたいんだよね。

良いことも、悪いことも、要らないの。今の自分だけ欲しい。

一応、音楽やろうとするにしても、過去にやったことないところにアプローチしたり、作り方も変えてみたりしようとは思っているんだが。

気づいたらまた、過去基準に戻っててわちゃわちゃ、みたいなことを繰り返している。笑

今こうやって言ってるうちに、もういっこ過去に戻ってることに気づいた。笑

ってことでね。

これ、気づいては手放すの繰り返ししかなくて、気づくまでが難しいんだけど。

一歩一歩、やるしかないのかなと。

戻っても、また進むしかないのかなと。

そんなことを思いながら。

新しい表現を、ありのままの自分でできる場所。

まだまだ模索は続きます。

まとめ。

一連の思考が繋がっていたと判明した。

苦手を克服せずに手放す作業と、過去を切り離したい願望。

岡本太郎さんが、人生は「積み重ねではなく、積み減らすべきだ」と言っていたっけ。

今、自分は過去イチそういうフェーズにいるような気がする。

何もかも捨てて、荷物を軽くして。

大切なものだけを、大切にしながら。

軽やかに、前に進もう。

#ただの日記  #音楽と私 #岡本太郎 #人生は積み減らし

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