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失われた「雑談」を求めていたはずなのに、いざそれが少し復活したら雑談どころではなくなっていたあの頃のこと

最初に断っておくと、タイトルはこちらの本を意識してつけたものですが、私はこの本を読んでいません。本当に語感だけです。すみません。
せっかくなので、書き終わったら買って読んでみようと思います。

はじめに

さて、コロナ禍で失われた(そして現在はある程度は取り戻された?)ものとしてよく挙げられるのは「雑談」だろう。人との距離を縮めるための雑談、何かのアイデアのきっかけになるような雑談。

全面的にオンライン化されたコミュニケーションに苦しみ、同じ空間で直接顔を合わせての「雑談」の価値を再認識し、それを切望した人は多くいたはずだ。

そして、私にとってコロナ禍の一番苦しい記憶が、その「雑談」が失われていた当時のものではなく、それが徐々に復活し始めた頃のことだった……、というのが、このnoteの趣旨である。

※この先、今暗い気持ちになっている人にとっては刺激的かもしれない内容を含みます。

前夜

2020年。大学に入学したはいいもののろくにキャンパスにも行かないまま半年が経過した。

完全にオンライン化された授業を受ける日々があったということ、そしてそれが大学という場をまだろくに味わったことのない学部1年の上半期であったということは間違いなく、(社会全体から見て)特異な経験ではあった。が、正直この頃の記憶があまりない。全体的に淡い、薄い印象しか残っていない。それこそ全て画面越しだったからかもしれないが……。

これは家でそれなりに快適に過ごせていたおかげだと思うが、そこそこ真面目に授業を受け勉強し、家族と・時々電話越しに友人と会話し、のんびり生きていた。インドア派だからむしろ外出しなくていいのは楽じゃん、とも思っていた(今も部分的にはそう思っている)。

10月から部分的に対面授業が再開され、私はいよいよ週に何回かは大学に通う生活を送り始めた。

対面で授業が実施されたのは主に語学(第二外国語)だった。第二外国語が必修となっている多くの大学がそうだと思うが、語学の授業はいつもメンバーが固定で、ある程度真面目に・主体的に授業に参加する必要があり、しかも週に複数回あるので、必然的に入学したての1年生にとっては他の学生と知り合うための重要な機会になる。

私も最初は、これまでほぼ画面越しにしかコミュニケーションを取ってこなかった同じクラスの学生と頻繁に顔を会わせられるようになることを楽しみにしていた。

でも、授業が始まって1〜2ヶ月ほど経過したころ、私は他の学生とのコミュニケーションを楽しめるような精神状態ではなくなっていた。

雑談

理由は割と単純で、サークルの活動とバイト(個別指導塾の講師)がほぼ同時に果てしなく忙しくなったためだった。

今思えばもっと何事も気楽に取り組めばよかったのだが、

  1. サークルで当時任されていた仕事(役職ではない)が、少なくとも1年生がやるものとしては純粋に作業の量が多かった上に社会人とやり取りをする必要があって個人的に胃痛案件と化していたこと

  2. その仕事が辛すぎてサークルを辞めようかと本気で考えていたがそれを誰にも言えずにいたころ、なぜかサークルのサブリーダー的立ち位置の役職に就くことになってしまい、さらに謎の責任感が発揮された結果それを断れなかったこと

  3. バイト先の冬季講習期間が近づき、レギュラーで持っている生徒の分に追加で何人かの生徒の授業を持つことになってしまったこと

などが重なった結果、私はかなり絶望的な気持ちで毎日を過ごしていた。

1はよく覚えていないが、スケジュールがきつかったのと私の要領が悪かったのと両方が原因だと思う。

2は別に周りの人が悪いわけではなく、私が役職者選挙の空気感をあまり理解せずにとりあえず被選挙権を放棄せずに臨んだらちょうど被選挙権保持者の人数=定員で信任投票になってしまったために起こったことだ。

そして1と2に悩みすぎてスケジュール管理どころではなくなり、バイト先に冬季講習期間中の出講できない日の一覧をほぼ白紙で出した(たぶん)ところ3のような悲劇が起こった。悪いことは連鎖する……。

頭痛の種を抱えまくり、授業の予習復習どころではなくなり、日常を回せなくなり、何のために大学生をやっているのかもよくわからなくなり、とにかく授業のために玄関から外に出るのが怖くて嫌で仕方がなくなり、嫌々家を出て大学に着いた後は語学の授業が始まる直前までトイレにこもって「今のこの状況から逃げたい……逃げるには死ぬしかないか……」と割と本気で考えていた。

(※当時の自分は気づいていませんでしたが、これはどう考えても普通の精神状態ではなかったので、今似たような気持ちになっている人は身近な人や、頼れる相手がいなかったらこういうところに相談してください)


最終的には、やらなければいけないことを色々と減らしたり、少しは人に相談したりしてなんとかこの状況は脱することができた(とはいえ、正直その具体的な経緯はあまり覚えていない……)のだが、この時の経験として強く印象に残っているのが「必要最低限以上のやり取りをするのが本当にキツかった」ということだ。

授業が始まる直前に前の席の人と少し話すとか、これはコロナ禍ならではだが顔と名前が一致しているか互いに自信のない相手だったら念の為自己紹介し合うとか、そういう些細な「雑談」でさえも本当にする余裕がなかった。誰も話しかけないでくれと本気で思っていた。

その精神状態そのものももちろん非常に苦痛だったが、何が一番苦しいって、みんなが待ち望んでいた雑談が少しだけどようやく復活した! という世間の喜びの空気感(?)に全然乗ることができなかったことだ。誰も共感し合える相手がいなくてとにかく孤独だった。

写真acから撮ってきたそれっぽい素材

おわりに

普通に見知らぬ相手とのものも含めた雑談や出会いをまあまあ楽しめる(元々とにかく誰とでも喋りまくるのが大好きなタイプの性格ではないので常に100%出力とは言えないものの)今になって振り返って思うのは、日常を満喫するためにいかに健康な体と精神が重要かということだ。

正直そこまで挫折らしい挫折を経験してこなかった私にそのことを初めて教えてくれたのは、直接的ではなかったとはいえコロナ禍だったのだ。

今はまあ普通に元気だし前向きに(?)過ごしているが、誰もが突然こういう絶望の淵に立たされる可能性を持っている、ということだけは決して忘れたくないなとは思う。

そしてより素朴な感情として、せっかく今程々に前向きに生きられているからには、少なくとも何事にも全力で挑戦したい(キャパオーバーしない程度に)し、人のためになりたいな、とも。

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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。

また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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