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コカ・コーラ vs ペプシ 100年続く炭酸戦争の全て

https://youtu.be/OHar8ponqUE?si=-kHluOD-J-HHwifj

今や世界中で愛飲されている炭酸飲料、コカコーラとペプシコーラ
この二つの巨大ブランドの対決は、「コーラ戦争」と呼ばれ、ビジネス史における最も熾烈な競争の一つとして知られています。
しかし、その始まりは、意外にも、アメリカの小さな薬局でした。


1886年、ジョージア州アトランタ。
薬剤師のジョン・S・ペンバートンは、頭痛や疲労回復に効果があるという万能薬の開発に没頭していました。
彼は、コカの葉(コカインの原料)とコーラの実のエキスを配合したシロップを調合し、ソーダ水で割った飲み物を**「コカコーラ」**と名付け、薬局で販売し始めました。
当初は、1日に数杯しか売れない、ささやかなビジネスでしたが、その独特の風味と爽快感は、徐々に人々の間で評判を呼ぶようになります。

一方、1893年、ノースカロライナ州ニューバーン。
もう一人の薬剤師、キャレブ・ブラッドハムも、新たな飲料の開発に取り組んでいました。
彼は、消化不良に悩む人々のために、ペプシン(消化酵素)を含む飲み物を考案し、**「ブラッドのドリンク」という名で販売を開始します。
これが、後に
「ペプシコーラ」**となる、運命の飲み物でした。

ペンバートンとブラッドハム、二人の薬剤師の、ささやかな野望から生まれた二つの飲み物。
しかし、彼らは、自分たちの発明が、後に世界を揺るがす大戦争の火種となるとは、夢にも思っていなかったでしょう。

第1章:禁酒法とコカコーラの急成長 ~「国民的飲料」への道、そしてライバルの苦悩~
20世紀初頭、アメリカ社会は大きな転換期を迎えます。
1920年、禁酒法が施行され、アルコールの製造、販売、輸送が禁止されました。
この禁酒法は、アメリカ国民の生活様式を一変させ、新たな嗜好品への需要を生み出しました。

ここで、大きなチャンスを掴んだのが、コカコーラでした。
巧みなマーケティング戦略と、全国的なボトリング網の構築により、コカコーラは、瞬く間に**「国民的飲料」**としての地位を確立していきます。

コカコーラは、禁酒法以前から、巧みな広告戦略を展開していました。
ホーロー看板、雑誌広告、ラジオCMなど、あらゆるメディアを駆使し、**「Delicious and Refreshing(美味しくて爽やか)」**というキャッチフレーズとともに、コカコーラのイメージを人々の心に植え付けていったのです。

さらに、コカコーラは、フランチャイズ方式によるボトリング網の構築に力を入れました。
これにより、全米各地で、新鮮なコカコーラが手軽に飲めるようになり、爆発的な普及につながりました。

また、コカコーラは、サンタクロースのイメージ戦略にも成功しました。
赤い服を着た、陽気なサンタクロースは、コカコーラのブランドイメージと見事に合致し、クリスマスシーズンには欠かせない存在となりました。
このサンタクロースのイメージは、コカコーラの広告によって世界中に広まり、今日に至るまで、コカコーラの象徴として親しまれています。

一方、ペプシコーラは、苦難の道を歩んでいました。
第一次世界大戦後の砂糖価格の高騰により、経営は破綻寸前。
何度も身売りを繰り返し、コカコーラとの差は開く一方でした。

しかし、ペプシは、諦めませんでした。
1930年代、世界恐慌の時代。
ペプシは、大胆な価格戦略に打って出ます。
**「ニッケル(5セント)で、コカコーラの2倍の量が飲める」**というキャッチフレーズで、大容量ボトルを低価格で販売したのです。

この戦略は、経済的に苦しい時代に、大いに受け入れられました。
ペプシは、低価格路線を武器に、徐々にシェアを拡大し、コカコーラの強力なライバルへと成長していきます。

第2章:第二次世界大戦とコーラの世界進出 ~戦場を駆ける赤いボトル、そして「ファンタ」誕生秘話~
第二次世界大戦は、コカコーラとペプシ、両社の運命を大きく変える、歴史的な転換点となりました。

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