おじいちゃんが倒れてお見舞いに行った。

倒れたことをしばらく知らなかった。教えてくれなかった。

母が倒れた時と同じだ。そういうものなのかしら。

会ってみたおじいちゃんは、最初はとっても変わってしまったように見えたけど、

数時間そばにいて、だんだんおじいちゃんだなと思う表情が見えてきた。

母も祖母も叔母も献身的におじいちゃんに寄り添い、ポジティブに振舞っていた。

無理やりそうしているようにも見えた。

良くなってる良くなってると言っていた。

おじいちゃんはどこまで良くなるのか。

もう起き上がって絵を描くことはないのだろうか。

普通に話したりはもうしないのだろうか。

わからなかったし聞けなかった。

いつ死んでもおかしくないおじいちゃん。

わたしが帰るときに涙を流したおじいちゃん。

いやだなあ、死なないでよ。

わたしみたいにコロッと治ってしまってほしい。

本当は、今年の夏におじいちゃんの家に行った時、もう二度と行きたくないと思ってしまった。

正月も行きたくないと思ってしまった。

おじいちゃんとおばあちゃんの絵を描くねと言ったのに、

おじいちゃんがわたしを自慢に思うことがなんだか苦しくて、

描かずに白い紙を置いて帰ってごめんね。

今日描いた絵はおじいちゃんひとりの絵だけど、どうかな。

夕食後おばあちゃんが、来年は年賀状出さないよと言った声がすごく低く聞こえた。

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