2016/12/3
おじいちゃんが倒れてお見舞いに行った。
倒れたことをしばらく知らなかった。教えてくれなかった。
母が倒れた時と同じだ。そういうものなのかしら。
会ってみたおじいちゃんは、最初はとっても変わってしまったように見えたけど、
数時間そばにいて、だんだんおじいちゃんだなと思う表情が見えてきた。
母も祖母も叔母も献身的におじいちゃんに寄り添い、ポジティブに振舞っていた。
無理やりそうしているようにも見えた。
良くなってる良くなってると言っていた。
おじいちゃんはどこまで良くなるのか。
もう起き上がって絵を描くことはないのだろうか。
普通に話したりはもうしないのだろうか。
わからなかったし聞けなかった。
いつ死んでもおかしくないおじいちゃん。
わたしが帰るときに涙を流したおじいちゃん。
いやだなあ、死なないでよ。
わたしみたいにコロッと治ってしまってほしい。
本当は、今年の夏におじいちゃんの家に行った時、もう二度と行きたくないと思ってしまった。
正月も行きたくないと思ってしまった。
おじいちゃんとおばあちゃんの絵を描くねと言ったのに、
おじいちゃんがわたしを自慢に思うことがなんだか苦しくて、
描かずに白い紙を置いて帰ってごめんね。
今日描いた絵はおじいちゃんひとりの絵だけど、どうかな。
夕食後おばあちゃんが、来年は年賀状出さないよと言った声がすごく低く聞こえた。
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