7月はギリシャ語でΙούλιο
梅雨があっという間に明けた。
平成最後の夏がやってきた。
春に大学をなんとか卒業し、
大学院に拾ってもらった。
あの苦しい4年間を、あと2年続けるのか?
死ぬのか??
そうならないためにも、わたしはわたしの時間を獲得していくためにも、ひとつの策を用意した。
軽さを保ち続けること
なるべくフワリとヘラヘラと、
ボウルの中のごちゃごちゃを撹拌し続け、
沈殿しないように、必死に浮遊する。
こうすることでわたし自身の心を守りながら、
わたしは自由に作品が作れる。
自由とはなんだろうか。
生き急ぐのはいけない。
まだまだこれから。
つぶれないように。
いままでも意識はしていたが、
やっと実感をともなって自由について考えられるようになってきている。
音楽はどのような役割を担っていると思いますか?
6月にニューアルバム「初恋」をリリースした宇多田ヒカルが
「音楽に責任はありません」
と答えていた。
わたしはこれまで、美術を通して何が出来るか、社会の中での美術の役割とは何か、といったことをよく考えていた。
そういった内容の講義も高校生に行ったこともある。
そんなわたしにとって、役割や責任を担わせない表現者の姿勢はとても衝撃で、
かなり心に刺さるものがあった。
いままで考えてきたことをひっくり返されたような思いだが、
いつかわたしも「美術に責任はない」と言ってみたいと今は思っている。
芸術はいろんな役割を果たすことができるが、
それはあくまで付随してくるものであり、
わたしたちが託すものではないのだと考えることができる。
この考えをもつと、本当に無垢な気持ちで作品と向き合える。
いままでが邪念だったかというとまた違うけど、
(それはそれで切実な思いだったよ)
わたしが自由な気持ちで作ったものが
偶然なにかの役割を果たしてくれる可能性がある
そんなやわらかさをもつことができる。
これは今のわたしにとっては救いであるし、
もうそれだけで(なんの役割も託さなくていいということだけで)十分なほど役割を果たしてくれちゃっているのだ…
そんな天啓のようなものを得て、
わたしがこれからどう舵を切っていくかが大変見ものである。
(ギリシャから来た留学生が帰ってしまう前になにかギリシャ語を覚えたい)