吉さんとの出会い、予想師として
予想師をTwitterで始めて半月。
DMという個人的に物申す機能で、個人の感情をぶつけてくる方々がいます。
いつも買い目だけ出して有料note売りやがって、糞もあたんねー、詐欺野郎、沢山のDMがくるので一筆書こうと思う。画面の奥にいる人もあなたと同じ人間だよと伝えたい。それでも分かり合えない人もいると承知の上で一筆書こうと思います。
時間があるときにでもみてくれたら嬉しいです。
吉さんとの出会い
あれは18.9年前の話。
当時、学生だった自分は親父の影響を受け競輪にどハマりしていた。
居酒屋のアルバイト代を握りしめて意気込んでいくものの良くてトントン、たまに勝ててもその金で友達呼んで全員分ご馳走しちゃうもんだからいつも金がなかった。
吉さんとの出会いは競輪を始めて半年くらいの時、当時は喫煙室なんてもんはなくてそこらでみんなタバコをふかしてた。指定席はいつも角の灰皿の前だった。初めて万車券をとったのがその場所だったからげんを担いでいた。
その日も、指定席の角の灰皿の前でメインレース前には持っていった金のほとんどをスってしまってふてくされながら画面と新聞を睨めっこしながら一発逆転を狙っていた。
『にいちゃん、だいぶ負けてんのか?』
最初、自分に話しかけられているのかわからなかったのと予想に没頭していたところに
UCCのブラック缶コーヒーが新聞の上に転がってきた。
『考えれば考えるほど当たんねーんだよな』
顔を上げると鬼太郎カットに黒縁眼鏡、歳でいうと50半ばくらいだろうか。ニカっと笑う笑顔には歯が2本なくヤニで黄色かったのを覚えている。
貰ったコーヒーを飲みながら、真剣に予想をした。
メインレースが終わり、当たり前のように負け、くしゃくしゃにした車券を握っていると、吉さんが声をかけてきた。
『その顔だとダメだったみたいだな、今度教えてやるよ』
ニカっと笑いながらパンパンに万札が詰まっている財布を見せてきた。
それからと言うもの、サテライトに行くたびに吉さんを探すようになった。
当時は競輪なんてする友達も居なかったし、吉さんはとにかくいつも勝っていて、財布にパンパンに金が入っていた。
人は見かけに寄らないというのは吉さんみたいな人だねと、何回も茶化した記憶がある。
競輪が少しでも上手くなりたい。
そんな気持ちもあり、出会って2.3か月はサテライトで会うと挨拶をかわす程度だったものの、半年もするとレースをみて一緒に叫ぶような仲になった。
予想のスタンス、競輪への考え方の転機
あるときに予想のスタンスがガラっと変わったタイミングがある。
元々本命党だったので、当てなければ金が増えない、外したくないから買い目を増やして、トリガミなんて日常茶飯事。外すよりはいい。そう思っていた。
普段はタバコを吸って無口な吉さんはその日、やたらと声を掛けてきた。
後でわかったことだが、吉さんはバツイチでちょうど自分と同じくらいの息子さんがいるらしい。
その日は息子さんの誕生日だったらしく、会えない息子さんと自分を重ねてみていたと。
『どんな買い目かみせてみろ』
そういうと、自分の渾身の紙車券を奪い取りタバコの煙が目に入るのを煙たそうにみつめていた。
『これじゃ勝てねえよ、おなじの買ってみろ』
差し出してきた車券には、全く想像つかない買い目が羅列してあった。
146-46-146だとか
7-234-58だとか
234-1-56だとか
自分の予想スタンスと違いすぎて、目から鱗だった。当てにいっている気がしなかったし、これは無いんじゃない?って。
そのときに吉さんの万札がパンパンに入った財布を思いだし、100円ずつだけ同じ目を買った。
レースが終わってみると、4万車券的中していた。
人生が変わると真面目に思った。
嫌々居酒屋のアルバイトもする必要ないし、好きな物も好きなだけ買えて遊んで暮らせる。そのとき、二十歳そこそこのガキだった自分は本気で思った。
それからというもの、吉さんの機嫌が良さそうなときに競輪のイロハを教えてもらった。
何が正解かなんて誰にもわからないけど、勉強が嫌いだった自分は初めて先生という人に会えた気がした。
見よう見まねで穴をただ狙っては、吉さんの車券を見せてもらい答え合わせをする。たまにつぶやく選手の癖やバンクの特徴をノートに忘れないように書いた。
居酒屋のアルバイトは辞めた。
最初は資金がなく安定はしなかったが、吉さんの買い目を見せてくれるときだけ車券を購入し負けないようになったから。吉さんには居酒屋のアルバイトを辞めたことを伝えると嬉しいような顔をして怒鳴って怒っていたっけ。
北海道ブラックアウト
コロナの影響でもういまや覚えている人なんているだろうか。
2018年9月6日
北海道胆振東部を最大震度7の地震が襲った。地震そのものの大きさもさることながら、その後に起きた北海道全域の停電、“ブラックアウト”は大きな問題となり、TVや新聞などでも広く報じられた。
色々なデマがいきかい、電気の大切さを本当に痛感した。電気がとまると水も使えない。その日の昼には携帯もとまるって。電波塔の電気がないからだって。
結局電気が復活したのは3日後だった。地区により早いところもあったが、田舎よりに住んでいた自分は電気復旧が遅かった。
そんなときに知らない番号から電話がきた。
『吉崎の弟ですが、○○さんですか?』
最初なんの話なのか、わからなかったが聞いてみると吉さんの弟だったみたい。そもそも吉さんとしかみんなに呼ばれてなかったから吉田だと思っていたし。
『じつは兄が』
吉さんは地震でタンスの下敷きになり帰らぬ人となった。
大学を競輪きっかけでやめ、会社員になり家庭を持ってからは嫁が大のギャンブル嫌いだったこともあり競輪とは疎遠になっていた。
最後に吉さんとあったのは嫁の目を盗んで行ったちょうど今時期の2018年高松宮記念杯だった。
今でも吉さんを思いだしてはあのレースをみる。
元気にニヤっと笑う吉さんはもう居ない。
レースを見返してもゴール前には涙で最後までみれないんだけど。
予想師として
吉さんの葬儀にいって弟さんから言われたのがきっかけだった。
『兄貴は○○さんしか、友達が居ないっていつも言ってましたよ』
毎日競輪しかしてないんじゃ、たしかにそうなんだろうと思った。
息子なんていないし、結婚もしていない。
葬儀にいってはじめてしった。
吉さんはきっと寂しかったんだろうと思う。
新聞みながら予想するではなく、ふと物思いにふけている吉さんを何回か見ていたから。
二回りも上の人を友達と呼ぶには不思議な気がするんだけど、きっと一番の親友だった。
『兄貴の好きな競輪最近やってるのかい?』
プライベートな話だが離婚をし、自由な時間も出来たので競輪への気持ちは高まっていた。競輪の予想をしているときは他の感情が湧いてこないから。
『あいつの予想はなかなか良くなってきたって口癖のようにいってたよ、今度俺にも教えてよ』
なんだか吉さんがそこにいてタバコ吸いながらニヤっと笑った気がした。
それからは暇さえあれば、弟さんと競輪をしに行った。
最初はまだまだ毎日のように通っていたあの感覚には戻らなかった。
それでも昔のノートを引っ張りだしてきては、予想をし何でも聞いてくる弟さんに何でも教えた。あのときの吉さんのように。
あるとき、弟さんが携帯をみながら予想をしていた。聞くと予想師がいて携帯で買い目を教えてくれるって。
『○○さんもやってみたらいいんじゃない?ほかの予想師さんと違うから人気でるよ』
なんだか、吉さんと自分が認められた気がして嬉しかった。
それからというもの、Twitterの機能や投稿の仕方、機械に疎い自分は弟さんに今度は頼りながら予想をはじめた。
少しずつ認知もされて、noteを買ってくれる人も増えた。
一撃当てたときのあの感覚は自分だけで喜ぶよりも嬉しく、また同じ思いをしたい。そう思うようになっていた。
たくさんの批判について
正直にいうと辛い。
スタンスもあり、荒れないとまず当たらない。
当たらないから言われて当然。note代を貰いながらなおかつ買い目分負けるんだから、怒って当然だと思う。
でもこれだけは伝えたい。
誰よりも真剣に予想し、ことさら自分でも車券買ってるのにわざと外すような予想はしていないと。
買い目をみてから、こんなんくるわけないから返金しろだとか。1日単位のnoteで結果がでなかったから返金しろだとか。
正直にそういうかたには買っていただきたくないのが本音です。
吉さんのようにはまだまだなれませんが、競輪を好きな方々とTwitterでつながれることに感謝しています。
暖かいDMやスタンスに賛同してくれる方々のためにこれからも予想をしていきます。
100%勝ちたくて、負けた、外れた、詐欺だと騒ぐような方はどうぞ自分をブロックしてください。
わかっていただけるかたを大切にしたいので宜しくお願いします。
いち予想師のつぶやきにお付き合いくださりありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。