【アーカイブス#20】オリジナル以上のオリジナル、サム・アミドン *2010年12月
「オリジナル/original」という言葉を英和辞書で引くと、「本来の」、「独創的な」、「初公開の」、「原作の」といった説明がされているが、音楽の世界では、歌う人が自分で作った歌のことを呼ぶ言葉として定着している。
「オリジナル」という言葉が音楽の世界の中でぶわーっと広がったのは、かれこれ半世紀ほど前だろうか。それまでは歌を作る人と歌う人に分かれていることが多く、歌のうまい歌手、あるいは声の素晴らしい歌手は、うまい歌を作る作詞家や作曲家に歌を作ってもらい、それを歌ったりしていたのだ。つまり歌手が歌う歌は「オリジナル」ではなく、ほかの人に作ってもらったものがあたりまえという時代が長く続いていた。
それが1950年代の終りから60年代の初め頃、フォークやロックの擡頭と共に、歌は歌う人が作るのがあたりまえという傾向になって行き、自分で歌を作れない、歌手だけの人は肩身の狭い思いをするようになった。
1970年前後にシンガー・ソングライターがブームとなる頃には、自分で歌を書けず、ただ歌うだけの人は、どんなにいい歌を歌っていても、「あの人って自分で曲が書けないのか」、「独創性がないのか」と、白い目で見られるようにすらなってしまった気がする。
そしてそんな状況の中、「オリジナル」至上主義のようなものが確固として存在するようになった。
確かに自分で歌う歌は自分で作り、歌と歌う人とが切っても切れない深い関係になるのはとてもいいことだとぼくは思う。だからと言って、「オリジナル」なら何でもいいのか、自分が歌う歌は自分で書けばそれでいいのかとなると、ちょっと考えさせられてしまうことが多々ある。
要するに「オリジナル」(自分で作った歌)でありながら、まったく「オリジナル」(独創的)ではなく、どこかで耳にしたようなもの、すでにあるものをちょっといじくっただけのもの、手垢のついてしまったありきたりのもの、すなわち独創性のかけらもないものが結構多かったりするのだ。そしてそんな歌ばかり聞かされると、「オリジナル」がちゃんと作れないなら、「オリジナル」にこだわることなく、人に歌を書いてもらって歌ったり、すでにある歌を取り上げて歌った方が、ずっと「オリジナル」になるのではないかと考えてしまう。
今回取り上げるサム・アミドン(Sam Amidon)という人が、自分では「オリジナル」を書けない人だとはぼくは決して思わないし、彼の書いた「オリジナル」がオリジナリティに欠けたものだとも決して思わない。
しかしぼくが手に入れたサム・アミドンの二枚のアルバム、『I see the sign』(Bedroom Community HVALUR9CD/EU)と『ALL IS WELL』(Bedroom Community HVALUR4CD/EU)を聴くと、彼が歌っているのはトラディショナルやパブリック・ドメイン(著作権がすでに放棄された古い歌)をアレンジしたり、作り変えたりした歌がほとんどで、オリジナルは僅かに2曲あるだけだ(そしてそれらの歌を聞くと、彼の「オリジナル」が、とても「オリジナル」だということがよくわかる)。
そしてサム・アミドンがアレンジしたり、作り直して歌っている既存のトラディショナル・ソングは、巷に氾濫しているどうでもいいような「オリジナル」・ソングよりも、ずっと独創的で刺激的なものばかりで、歌の世界に於いて、アレンジやアダプテーション、リコンポーズ(作り直し)が、どれほどユニークでクリエイティブなものになるのかということを、しっかりと教えてくれる。
しかしジャケット写真を見れば、サム・アミドンはまだ紅顔の美少年で、すごく若そうだ。しかも若くして、うんと昔のトラディショナル・ソングばかりアレンジして歌うとは、しかもそれがめちゃくちゃオリジナリティに富んでいるとはどういうことなのだ。
サム・アミドンがいったい何者なのか、インターネットのフリー・エンサイクロペディア、Wikipediaでチェックしてみた。
Wikipediaによると、サム・アミドンは、1981年6月3日、アメリカはヴァーモント州のブラットルボロ(Brattleboro)という町の生まれ。何とまだ30歳にもなっていない。地図で確かめてみると、ブラットルボロはヴァーモント州の最南端、コネチカット川沿いにある人口12000人ほどの町だ。
両親のピータとマリー・アリス・アミドンはフォーク・アーティストで、サムは幼い頃から両親の歌うフォーク・ソングやトラディショナル・ソングを聞いて育った。恐らく両親のフォークやトラディショナル・ソングのレコード・コレクションも聞いて育ったのではないだろうか。
サムの弟のステファンもザ・スウィートバック・シスターズを初めとして、幾つかのバンドでドラムスを叩いているミュージシャンだ。サムはヴァーモント州パトニーにある学校に通い、現在はニューヨーク・シティ近辺に住んでいる。
ぼくが手に入れたサム・アミドンのアルバムは、2008年の『ALL IS WELL』と2010年の『I see the sign』の二枚だけで、それ以前にも彼は2007年に『But The Chicken Proved False Hearted』、2001年に『Solo Fiddle』と、二枚の作品を発表している。
『But The Chicken Proved…』は、9月にAmazon.co.jpに注文したのだが、いまだに発送予定日が決まらず、『Solo Fiddle』は、ずっと入手不可能の状態のままだ。果たしてこの二枚でもサムはすでにあるトラディショナルやフォークを独自に料理する音楽を展開しているのだろうか。早く手に入れて聞きたい。
ぼくが持っているサム・アミドンの二枚のアルバムの古い方、『ALL IS WELL』は、ドック・ボックス(Dock Boggs)に捧げられている。1898年にヴァージニア州で生まれ、1920年代後半に二年ほど活躍したものの、その後は炭鉱夫として暮らし、60年代のフォーク・リバイバルの動きの中で「再発見」されたミュージシャンだ。
バンジョーを弾きながら歌ったその歌は、アパラチャン・フォーク・ソングとアフリカから伝えられたブルースとを結びつけた、実に「オリジナル」なものだった。
「このアルバムの音楽のメロディや言葉の多くは、ドック・ボッグスのレコードから学んだ」とサムが書いているとおり、『ALL IS WELL』では、「Sugar Baby」、「Wild Bill Jones」、「O Death」、「Prodigal Son」など、ドックのよく知られた曲が数多く取り上げられている。
それから二年後に発表された『I see the sign』では、ジョージア州の大西洋沿岸のシー諸島の男性と結婚し、その地に伝わる歌を歌うようになったベッシー・ジョーンズ(Bessie Jones)、コーデリアズ・ダッド(Cordelia’s Dad)のリーダーで音楽学者でもあるティム・エリクセン(Tim Eriksen)、それにルーシー・シンプソンが歌っていた歌などをサムは取り上げ、それらを見事に自分の「オリジナル」に料理している。 またそのアルバムには、トラディショナルやパブリック・ドメイン以外の曲も3曲収められている。「Red」は歌詞も曲もサムのオリジナル(といっても実にシンプルな歌詞だが)、「Way Go Lily」はトラディショナルの言葉にサムが曲をつけたもの、そして「Relief」は、何とあの有名なR&Bのシンガー・ソングライター、R.ケリーの曲だ。
サム・アミドンはバンジョーやアコースティック・ギター、エレクトリック・ギター、フィドルなどを弾きながら、耳もとに囁きかけるような、優しく穏やかでとても親密な歌を聞かせてくれるが、ぼくの持っている二枚のアルバムは彼の弾き語り作品ではない。
『All IS WELL』も『I see the sign』も、レコーディングはアイスランドのレイキャヴィクにあるグリーンハウス・スタジオで行なわれ、何人ものミョージシャンがレコーディング・セッションに参加している。
グリーンハウス・スタジオは、ビョークのコラボレイターとして知られる、もうすぐ40歳になるアイスランドのレコード・プロデューサーにしてエンジニア、そしてミュージシャンで作曲家でもあるヴァルゲイル・シグルズソン(Valger Siggrdsson)が1997年に設立したスタジオで、サムがアルバムを発表しているベッドルーム・コミュニティは、彼が2005年に立ち上げたレコード・レーベルだ。
そしてサムのレコーディングには、ヴァルゲイルのお気に入りで、彼が自分のレーベルでアルバム作りを手がけている、ニコ・マーリィ(Nico Muhly)やベン・フロスト(Ben Frost)といったミュージシャンが参加している。
ビョーク、アントニー&ザ・ジョンソンズやルー・リード、フィリップ・グラスやルーファス・ウェインライトなどと活動するニューヨークのピアニストで作曲家のニコ・マーリーは、『I see the sigh』では、キーボードを担当するだけでなく、管弦楽のアレンジもすべて引き受けていて、サムが取り上げたトラディショナルを「オリジナル」にする上で、大貢献をしている。
『ALL IS WELL』では、サムの弟のステファンがドラムスで参加していたが、『I see the sigh』では、パキスタン移民のもとに生まれ、現在はニューヨークを拠点に幅広い活躍をしているマルチ・ミュージシャンのシャーザッド・イスマイリー(Shahzad Ismaily)がドラムスを担当し、ドラムス以外のさまざまな楽器も彼は手がけている。
サムの「オリジナル」作りに大貢献しているのは、ニコだけではなかった。シャーザッドやヴァルゲイル、ベン・フロスト、そしてサムとのデュエット・ヴォーカルを聞かせてくれるベス・オートンと、レコーディング・セッションに参加している全員が、ほんとうに素晴らしい働きをしている。
サム・アミドン、とにかくすごいミュージシャンだとぼくは思う。間違いなく『I see The sign』は、2010年にぼくが聴いたアルバムの中のベスト10、いやベスト3に入る。
そして「オリジナル」とは何かを改めてぼくに教えてくれる、とても奥が深くて、聴けば聴くほどいろんなことに気づかされる、実に勉強になる作品でもある。
もちろん、聴いていてとても楽しい作品であることは言うまでもないが。
中川五郎(なかがわ・ごろう)
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。
中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html