【アーカイブス#77】ポール・サイモン『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』*2016年6月
今月(2016年6月)初めにリリースされたポール・サイモンの最新アルバム(スタジオ録音アルバムだけでなくライブ・アルバムや映画のサウンドトラック・アルバムなども含めると通算16枚目のソロ・アルバムとなる)『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー/Stranger To Stranger』がほんとうに素晴らしい。来る日も来る日も繰り返し耳を傾け続けている。ひと月聞き続けてもまったく飽きない。
音楽について語る時、“攻め”や“守り”といった言葉を使うのは何だか場違いのような気もするが、ぼくがこのポールの最新大傑作を聞いてまず思ったのは“攻め”や“守り”ということで、このアルバムがどうしてこれほど素晴らしいのかということも、それと大いに関連している。
ポール・サイモンといえば、1941年10月生まれで現在74歳。1952年、11歳の時に同い年のアート・ガーファンクルと出会い、13歳の時に二人で一緒に歌うようになってポールの音楽的人生が始まった。二人は大好きだったエヴァリー・ブラザーズのハーモニーを真似て歌い、同じ頃にポールは曲作りも始め、二人は十代半ばにしてトム&ジェリーという名前で「Hey, Schoolgirl」というシングル盤を発表して、この曲は全米ポッブ・チャートのベスト50に入るヒット曲となった。ポールはエヴァリー・ブラザーズのようなポップスに惹かれつつも、すでに早くからウディ・ガスリーやレッドベリーといったフォーク・ソングにも強い関心を寄せていた。
やがて1963年、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルはサイモン&ガーファンクルとして新たな活動を開始し、1960年代半ば、「Sound Of Silence」の大ヒットによって世界中でその存在を知られるようになる。そして人気デュオとして5年ほど大活躍するも、1970年に二人での活動に終止符を打ち、その後ポールはソロ・ミュージシャンとしてメインストリームの世界の第一線で活発に活動を続けている。
つまりポール・サイモンは歌を歌ったり作ったりし始めてからすでに60年以上、サイモン&ガーファンクルで脚光を浴びてからも半世紀以上、そしてソロになってからも45年、ずっとライブ活動を行い、傑作アルバムをコンスタントに発表し続け、ヒット曲も次々と生み出している、不撓不屈、生涯現役のとんでもないミュージシャンなのだ。今の音楽シーンの中では超大物中の超大物、それこそ音楽好きなのにポール・サイモンの名前を知らなかったりすると(そんな人が実際にいるのだろうか?)、「あなたは“もぐり”だ」、「あなたはどこかおかしいのではないか」と、たちどころに糾弾されてしまうような、それほどまでにすごい存在なのだ。もう死語になってしまっているのかもしれないが、彼のことなら敢えて“スーパースター”と呼んでもいいのかもしれない。
要するに歴史もあれば、実績もあり、数多くのヒット曲、名曲を生み出し、もちろん“名誉”も手に入れていれば、お金にもきっとまったく困っていないはずの、それこそある意味で頂点を極めたと言えるミュージシャンだ。同じ歌い手でありながらまったく違う立場にいるぼくのような者からすれば、それこそ想像すらできない世界ということになってしまう。しかしその生き方たるや、まさに堂々としていて安泰至極、どこまでも悠々自適、何もかも手に入れて余裕綽々なのではないかと、つい想像したくなってしまうではないか。
そしてそんなふうに頂点を極めた人の場合、それまでに自分が築き上げてきた“財産”のようなものがたっぷりとあるのだから、その上にどっしりとあぐらをかいてしまい、新しいことに挑戦したり、新たな冒険したりすることには消極的になってしまい、何かやるなら大成功したそれまでの自分のやり方を無難に繰り返すだけと、“守り”に入ってしまうことも十分考えられる。実際、そんなスーパースターもきっといるのではないだろうか。
ところがポール・サイモンは決して“守り”に入ったりはしない。自分が築き上げた世界に安住することなく、新たなことを追い求め、何に対しても興味津々、好奇心も旺盛で、未来に向かってひたすら“攻め”ていく。それを見事なまでに証明しているのが、今回の最新アルバム『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』だ。
そして“守り”に入ることのない、“攻め”る一方の挑戦者だからこそ、彼の音楽は70代半ばになった今も驚くほど瑞々しいし、若さにも溢れている。たくさんいる先達、すなわちティーチャーたちの音楽の中で、今ぼくがいちばん聞きたいのは、新たなことに挑戦し、未来へと向かっていくもので、過去の栄光にしがみつき、過去を振り返り、過去をただ懐かしむだけのような後ろ向きの音楽は、それがいくら豪華に、入念に、贅沢に作り上げられていようとも、まったく聞く気にはならない。
ポール・サイモンの最新アルバム『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』には、24ページに及ぶフル・カラーのブックレットが付いていて、そこにどうやってこのアルバムが作り上げられたのか、その経緯を説明するポール本人によるセルフ・ライナー・ノーツが4ページにわたって掲載されている。ぼくはアメリカ盤でこのアルバムを買ったのだが、ユニバーサル・ミュージックから発売された日本盤にはそれがきちんと翻訳されていると思う。
ポールの説明によると、アルバムの始まりとなったのは、最初ギター・インストゥルメンタル曲として書かれた「Insomniac’s Lullaby」で、ギターでその曲を奏で、タイトルに使った「不眠症」という言葉に思いを馳せているうち、彼が辿り着いたのは、1オクターブは12音階ではなく43微分音階であると提唱した20世紀のアメリカの現代音楽家、ハリー・パーチ(Harry Partch)がその理論に基づいて独自に作ったさまざまな楽器群だった。それらはニュージャージーにあるモントクレア・ステイト・ユニバーシティに保管されていて、そこにあったクラウド・チェンバー・ボウルズ、クロームロデオン、それにハーモニック・キャノンやボウド・マリンバといったハリーが発明した43微分音階楽器が、ポールの「Insomniac’s Lullaby」のレコーディングの中に登場している。
『ストレンジャー・トゥ・ストレンジャー』でも、ポールは彼の音楽の根幹とも言える新たなリズムやビートへの挑戦、リズムやビートの冒険を果敢に続けている。今回はポールのバンドのパーカッショニストのジェイミー・ハダッドがよく知っているボストンのフラメンコ音楽のグループのメンバーが何曲ものレコーディングに参加し、彼らの手拍子や踊る時に靴の踵でフロアーを蹴る音、それにカホンの響きなどが、斬新なグルーヴを生み出している。
またポールにはエイドリアンという23歳の作曲家の息子がいて、彼に教えられたというイタリアのエレクトロニック・ダンス・ミュージシャンのクラップ! クラップ!(Digi G’Alessio)も今回のレコーディングには、3曲で参加している。彼の作り出す斬新なダンス・ビートが、ただでさえ生きのいいポールの音楽をよりアグレッシブで活力に満ちたものする上で、大いに貢献している。
ポールはクラップ! クラップ!の2014年のアルバム『タイー・ベッバ/Tayi Bebba』を聞いて大いに感銘を受けて、一緒に何かやりたい気持ちになり、ツアーでイタリアを訪れた時に二人は初めて出会い、今回のレコーディングはインターネットを通じてアメリカとイタリアで音のやり取りがなされたということだ。
ポール・サイモンの音楽の根幹はリズムやビートにあると書いたが、もちろんそれと同じく重要なのが彼が作る美しく印象的なメロディであり、物語やメッセージ、心の中に湧き上がる複雑な思いを鮮やかに伝える歌詞だ。この新しいアルバムでも世界屈指のソングライター、ポール・サイモンの燻し銀の魅力に満ちたソングライティングが存分に楽しめる。
ポールのセルフ・ライナー・ノーツを読んでいて興味深く思ったのは、ゴピチャンドというインドの一弦楽器を弾いていて、その響きが「werewolf」(狼人間)という言葉のようで、そこから「The Werewolf」という曲が始まったとか、サンプリングした1930年代のゴスペル・カルテット、ゴールデン・ゲイト・カルテットがスラーして歌う声の響きが「street angel」やそのほかのフレーズに聞こえたから、その響きをもとにして「Street Angel」という曲を作ったと説明しているように、彼はある響きにインスパイアされて歌詞を思い浮かべたりしているということだ。しかしきっかけは何であれ、ポールはそこからスタートして最後には見事な歌詞の世界を完成させている。
スシ・ナイフ(? いったい何のこと)で夫を殺した妻の話で始まる「The Werewolf」や神の存在、信仰とは何かを問いかける「Street Angel」、イラクやアフガニスタンの戦争で傷ついて帰還した兵士を病院に見舞って話を聞いたことや2012年12月にコネティカット州の小学校で起こった子供たち20人と教師たち6人が犠牲となった銃乱射事件の犠牲者のひとりの教師の葬儀で歌ったというエモーショナルな体験にインスパイアされて作られた「The Riverbank」、それに1922年から1950年までニグロ・リーグで活躍した、世界一素早い選手と言われたクール・パパ・ベルの肖像画を友人にもらったことから誕生した「Cool Papa Bell」など、日本盤には歌詞の対訳も絶対に付いているので、ここはやっぱり『Stranger To Stranger』は日本盤で買い直して、歌詞対訳もじっくり読んでみたいと思っている。
ぼくとしては、歌詞でいちばん面白かったのは、2曲目の「Wristband」で、これはタバコを吸おうと楽屋口からちょっと外に出たら、楽屋口のドアがバタンと閉まってしまい、出演者やスタッフなど関係者であることを証明するリストバンドを付けていなかったがために、入り口でいくら説明してもセキュリティの人間に会場の中に入れてもらえなかったという“笑い話”が歌われている。
ぼくはこの曲を聞いてすぐにアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の2014年の傑作映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の名場面を思い出してしまった。あの映画でも役者を演じるマイケル・キートンが楽屋口から締め出され、ブリーフ一枚で劇場の入り口へと向かう羽目になり、まわりにいるみんなに笑われ、しかも証明するものが何もないからと劇場の入り口で中には入れてもらえなかったのだ。
しかしポールのソングライティングの素晴らしいところは、これをただの“笑い話”で終わらせることなく、リストバンドが象徴する特権、あるいは特権に恵まれた者と特権を手に入れられない者の間に生じる区別や差別、はたまた特権社会や世の中の不条理な優遇制度までをも浮かび上がらせる、鋭い諷刺の歌にしていることだ。たかがリストバンド、しかしそのリストバンドひとつから、ポールはつい見逃してしまいがちなとても重要な真実に気づかせてくれるのだ。
YouTubeにはこの「Wristband」をポールがパンチ・ブラザーズやアンドリュー・バード、サラ・ジャロウズなどと一緒に演奏している2016年2月6日の「A Prairie Home Companion」のライブ映像がアップされていて、それがまたすさまじく良いのだが、その音源が同じ時に同じメンバーで演奏している「Duncan」と共に、そしてほかにも3曲、全部で5曲が日本盤にはボーナス・トラックとして収録されているではないか(アメリカ盤のデラックス・バージョンにも)。これはもう何としてでも日本盤を買い直さなくてはならない。
と、ここまで書いてMIDI RECORD CLUBのマガジンの連載ページにアップしようと思っていたら、「ポール・サイモンさん、引退を示唆 米紙インタビュー」という6月30日APP発のとんでもないニュースが飛び込んで来た。
それによると、ポールは6月29日付けの「ザ・ニューヨーク・タイムス」に掲載されたインタビューで、「終わりが近づいている。ショービジネスに対する興味がなくなった。少しもない」と語っていて、「現在開催中の全米ツアーと10月から1か月間にわたって開催する欧州ツアーの後は、一年かけてゆっくり旅行をしたいと述べており、三番目の妻でもあるミュージシャン、エディ・ブリッケルさんと一緒の旅行も悪くないと話した」と報じられている。
そして「手放すというのは、勇気のいることだ。手放したらどうなるのだろう。自分が誰なのかが分かるのだろうか?」と、サイモンさんは自らに問いかけるように語る、とも書かれている。
これじゃ、最初にぼくが書いたこと、ポール・サイモンは未来を見つめ、“攻め”の姿勢で音楽を作り続けているということがすべて覆されてしまうではないか。いったいどうすればいいのか。しかしどうしようもない。とりあえずは書き終えたばかりのこの原稿をマガジンの連載ページにアップして、今後の様子を見守ることにしよう。ありゃりゃ、何てことだ。