またもや続き。湯川潮音 桜井芳樹 南に渡る鳥ツアー、最終日で福岡。
博多では、大体かなり酔う。泥酔と言っても然程過言ではない。しかも今回はかなり久しぶりでこの地の旧知の方にも会うことが出来、杯が進んだことは言うまでもない。打ち上げの酒場からの帰りにタクシーに乗ったのは覚えているが、その後の記憶は曖昧だった。後日、潮音さんに聞いたら、軽く部屋飲みはしたとのこと、だった。全く覚えていない。彼女は本当に酒に強い。
以上、福岡の夜だが、ライヴのことにも少し触れよう。会場はLIV LABO。響きは自然で心地よい。エルクのギターアンプが私好みで音作りもスムース。それから、過去幾つかの会場でほんの軽い挨拶だけだった、この店の店主でもあるバンバンバザールの福島さんと改めてきちんとお会い出来、光栄であった。
博多、という名称の方が私にとっては馴染む。福岡市なのではあるが、駅名と共に母や祖父、祖母、叔母、叔父の言葉が耳に残っているからである。母の郷里は佐賀で私もそこで生まれた。すぐに東京に戻ったのだが、小学生の頃は毎夏休みに佐賀に行っていた。まだ寝台列車ブルートレインがある頃だ。佐賀での滞在は一週間から十日はあった。子供にとっては短くはない。なので、色々と出かけたのであるが、その一つが博多だった。叔母がよく連れて行ってくれた。”じゃあ、博多に行こうね” なんて言っていたのであるが、その叔母は当時20代前半。自分が遊びに行きたかったということだ。まあ、そういうわけで自分にとっては、博多、なのである。そしてそれが時折、唐津等の玄界灘の海沿いだったりもした。
なので、西九州はそれなりに馴染み深い。最近駅名が変わった肥前山口から少し南下した有明海沿いの街に母の実家があったのだが、今思えば、当時自動車免許を取得したばかりの叔母が、何かにつけて私を連れ出し、多方面にドライブしたかったということはよくわかる。だが、気乗りしない時は、じゃあ祐徳稲荷でも、と近くの大きい神社に連れて行ってもらう。子供にとっては然程興味が湧かない場所だったが付近の茶屋で落ち着いて和む。しかし、ここで買う祐徳稲荷の羊羹は大好きでそれは楽しみだった。白餡と黒餡の中間くらいの味で、円形筒状の底を押し出して、付属の凧糸で適当に切って食べるというのも、子供には楽しい行為である。
小学生高学年になった頃、私は鉄道に乗ることにとても興味を覚える。佐賀での夏休みにはうってつけの時間の使い方だった。朝早く起きて、今日は松浦線(現在の松浦鉄道)に乗って戻ってくるよ、と祖父や母に告げると、それを聞いた叔母がその日は暇だったのか、じゃあ佐世保まで行くよ、と車に乗せられた。早岐を経由して佐世保まで行きたいとも思っていたのだが、ここはそれに従う方が子供心でも可愛げがある感じた出来事ではある。
佐賀への帰省は毎年ではなかったにせよ高校時代までは続いた。ただその頃は母や妹とは一緒ではないこともあり、一人で気ままに過ごした。鉄道に乗る興味は薄れていなかったので、長崎から各駅停車の寝台列車に乗って博多まで行ったこともあった。私の世代の鉄道好きなら覚えているだろう、日本全国で指折り数えるほどしかなかった各駅停車寝台の「ながさき」である。
高校生になってからも、その鉄道熱はまだ残っていた。夏になると一人で適当に路線を乗りつぶして佐賀に向かった。青春18切符はまだなかった頃で、京都に寄り、拾得でめんたんぴんやブレイクダウンのライヴを観、アンコールの拍手の中で店を出て二条駅に急ぎ、乗車するのだ。それが各駅停車の寝台列車「山陰」。
移動に時間がかかるのは当たり前な時代だったが、それでもよりパフォーマンスを求めない方を選んでいた。というか、目的地のつくことが目的ではなく、移動が目的だったのだろう。そういう意味で百閒先生の阿房列車と同じだったということに気づいたのはそれから十数年経った20代後半のことだった。
もう一つ思い出したことがある。母の実家は昔ながらの飲み屋街にあった。私がティーンエイジャーの頃は夜になると、カラオケの音が聞こえる通りに面していた。その一方通行の通りの入り口に今で言う街中華の店があったのだが、昼間の営業はほとんどなく、夕方からの開店が多いと祖父に聞いた。小学生の頃、その店の前と通るとやけに臭かった。それまでに知らない独特の匂いだった。祖父はいつも私に、夕飯何が食べたいね、と聞く。私は適当に鰻だったり皿うどん、ちゃんぽんと言っていたのだが、ある時ラーメンと答えた。祖父は少し笑って、よしラーメンね、と出前注文の電話。届いたものは白くて臭かった。こっちのラーメンはこれだから東京育ちには薦めなかった旨を言いながら祖父は1~2分でその細い麺を全て啜った。ああ、これがあの中華屋の匂いか、とその時ようやく私は気づいたのだった。
その母の実家はもうない。グーグルのストリートビューで見ると、隣の神社はそのままにその土地に全く新しい店が出来ている。
その後、博多での数々な色々なことも思い出したが、今回はやめておこう。
軽く昨年を振り返ってみる。
1月はジャズ大名の地方公演。あれはまだ一年前か。今年の1月3日に箱根駅伝を見ていたのだが、そういえば、昨年のこの日はジャズ大名の地方公演の為に横浜まで機材を運んだのだった。その時間帯がちょうど駅伝復路の横浜あたりで、交通規制を念入りに調べ、ストレスはほぼなく機材運搬出来たことを思い出した。
2月は映画音楽の最終的な詰めやロンサムストリングスの3デイズ、白崎恵美さんの東北ツアー。
3月は栗コーダーカルテットの関西や浮ちゃん。
4月、すごく久しぶりにカルメン・マキさんと。ところがその後神経障害で楽器が弾けず、5月は棒に振る。鍼灸に通う日々。
6月半ばの小松亮太さんのコンサートで現場復帰。スーマーのバンド編成の所沢航空公園野外ステージも楽しかった。
7月は通常になり、ライヴであちこち。
8月は湯川潮音さんの録音が多し。
9月は自宅で音源編集が多いが、ベースの服部将典さんとのデュオ開始。
10月は芝居の音源作りと色々ライヴの日々。湯川潮音さんと九州に行く。
11月も音源編集が主。
12月はライヴ諸々。
そしてどの月もレッスンが4~6日。
まあ、今年もアクシデント以外は然程変わらないと思うが、只今また新たな音源制作中。
最後に1月4日、阿佐ヶ谷SOUL玉Tokyoでの久し振りの岡田拓郎くんとのレコード千夜一夜、11日の牧野琢磨くんとのライヴの写真で今回は短めに締めるとしよう。
2月のライヴのお知らせ。
2月6日 ストラーダ 立川AAカンパニー
7日 牧野琢磨デュオ 上尾プラスイレブン
9日 ロンサムストリングス 吉祥寺マンダラ2
(松永孝義トリビュート with QUJILA、松永希)
11日 高岡大祐デュオ 四谷三丁目bar dress
12日 華村灰太郎カルテット 阿佐ヶ谷SOUL玉Tokyo
14日 服部将典デュオ 阿佐ヶ谷SOUL玉Tokyo
19日 大熊ワタル 吉祥寺Star Pine’s Cafe
22日~24日 ロンサムストリングス3days 所沢MOJO
ゲスト)22、23日 浜田真理子 24日 中村まり
28日 ホープ&マッカラーズ 阿佐ヶ谷SOUL玉Tokyo
詳しくは http://www.bloc.jp/skri/ にて。どこかでお会いできたら嬉しいです。