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「激しく、そして凪いでいる」川村恭子

これはなんだろうか。
この横隔膜のあたりから突き動かされる、
漏れ出るこの感情はなんなんだろう。
みぞおちからぐっと掴まれてグイグイとゆすられているような、この感覚だ。良いとか、悪いとか、—もちろん、とても良質な音楽なのだけれど—
そういったありきたりな価値観ではなく、そんなものはとっくに超えてしまっていて、体の内側からひっくり返されて、中身が外に投げ出されてしまったような。ヒリヒリして、あふれ出る。とめられない。
まるで自分が夕凪というバンドの細胞のひとつになって、ともにこの音を奏でているかのような錯覚に陥っていく。
ああ、これが夕凪という、このメンバーでしか作りえない、 磁場であり、30
年という時間のなかでゆっくりと発酵し熟成した音楽なのだと思い知る。
誰 1 人として欠けてもならない、彼らにしか生み出せない音楽だ。
ここには、それぞれがそれぞれに影響されてきた音楽も肉体と一体になって
いて、清濁も熱い冷たいも嬉しい哀しいも渾然一体となり、激しくうねり流れているのだ。それは一曲目「丘の上」の絡み合うコーラスワークに絡み取られるところから始まってしまう。

観葉植物に水をやる。枯れた葉を摘みとる。掃除をする。大量の野菜をみじん切りにする。それを煮込む。煮込んでいる鍋から上がる湯気に、 ほんの一瞬、考えるとも考えていないともなく、誰かのことを思いやる。 昔の会話が蘇る。思い出しているともないとも言えない、浮かんでは日々の雑事に紛れていく埋もれる感情と記憶達。 その積み重ね。想いは、 そこここの日常の隙間にあふれている。歌の向こうに、それぞれの毎日の営みが見え隠れする。それは深淵でもある。
とてもとても深い、落ちたら戻れないかもしれない、うっかり足を取られるかもしれない、そんな深い穴と、気づかないうちに日々、隣り合わせで生きている。時にはそこに落っこちたこともある。
人と関わることでしか生まれてこない、邪魔くさい感情ややり取り。 そうした人間臭さ。
このアルバムの音楽は、そうしたものから成り立っている。 

並べられた愛の歌たちは男女の愛だけではなく、失いたくない人生の先輩や友人、家族への想いでもある。いや、その対象は人ですらないかもしれない。生まれては消える他愛ない日々の繰り返しの愛おしさ。それが重要であったということを、なくして思い知る感覚。あるいは帰れない場所への郷愁とも異なる、 少し後ろめたい影を落とす想い。 
私たちに何かを教えてくれていた人たちがいない。
頼れた仲間がいない。
喧嘩しながらも一緒に笑い大口をあけてご飯を食べていた人たちがいない。ここにもぽっかりと喪失感が口を広げている。埋まらない穴だ。
残像は記憶でしかないくせに、写真よりリアルにそこに焼きついている。
哀しみを伴った喜びであったり、誰かといることが余計に孤独を知らしめる。そんな、矛盾した、永遠に相容れない感情が揺れながら
茫然茫洋とそのままここに音として生まれているのだ。
その生まれた音は多すぎない。少なすぎもしない。 
あるべきところに、欲しいところにある、その奇跡。

これは大人のための歌たちだ。
歳相応の、背伸びも若造りもしていない、自分たちに必要な音楽なのだと思う。

コロナがあり、私たちは本当に怖い思いをした。
病気の怖さだけではなく、大切な人たちを次々に失うという、 痛くて怖い怖い思い。
信じていたもの、信じていた人たちと分断されてしまうという体験。
先が見えない、音楽が共有の場にないということ。
「不要不急」のレッテルを音楽が貼られてしまった恐怖。
八百屋が大根を売るように、 洋服屋が服を作り売るように、 ミュージシャンは音楽を作り、売っている。それは営みということでは何も変わることのない行為で、決して「不要不急」などではなく 「必要早急(もしくは至急)」なのにも関わらず。

この出口の見えなかった数年間に、それでも自分たちにできることを ひとつづつ、日々のことを慈しみ、続けるしかない。けれども続けることがどれだけ難しかったことか。 どれほど傷んで挫けそうになったことか。

アルバムタイトルは「日々の糧」だという。
なるほどなあ、と思う。
日常の隙間に空いた穴、落ちていた思い。
その愛は、生命の糧となる。

凪の静謐さと裏腹に
水面下には濁流も清流もうねり、渦が巻いている。それは激しく。
それも、しかし、日々の生きているという積み重ね、その隙間なのだ。
そうして、この音楽に魅了されたものは積極的にこの深淵の渦へと身を投じる。

大人になるまでに
失う、迷う、そしていまだに解決しない。永遠にそれは解決しない。
でも、それが生きているということであり、明けない夜はないのだ。
陽のさす向こうにはいつでも希望がある。
それが夕凪にとっては音楽を孕み、産んでいくという行為なのだと思う。


2024 年 晩夏と初秋の隙間に大蔵博と野村麻紀を思いながら。川村恭子

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川村恭子(かわむらきょうこ)

音楽を中心とする文筆業。19歳から20歳にかけて
NHK-FM『サウンド・ストリート』のDJを学生ながら担当。
音楽に関わるイベントやライヴを企画、多岐に渡り活動。
春一番、ハイドパークフェス等にも携わる。
著書に「シティポップ文化論」(フィルムアート社)などがある。

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