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九州は南、鹿児島に降り立ったのは十年ぶりくらいと随分久しぶりのことだった。過去を調べると、それは2013年の中村まりさんとのデュオで、正確には十一年ぶりということだ。
この10月は湯川潮音さんとのデュオ。鹿児島~熊本~福岡の行程だが、同行の予定だったツアーマネージャーが体調不良で欠席となり、急遽、潮音さんと私の二人での旅となる。
鹿児島着の当日の昼頃に羽田空港で待ち合わせたのだが、彼女は思いのほか荷物は少ない。楽器や物販は既に送っているとのことだが、九州内の移動は自力で運ばなければならない。その辺りを指摘すると、なんとかなるでしょう、と楽観的で、逆に私も気が楽になる。飛行機の搭乗は案外久しぶりだったが、窓際の席でしばらく経って外を覗くと雲が少なく、遠くに佐田岬半島も確認出き、未だ足を踏み入れたことがない四万十よりもっと西の四国の港町の様子をかなりの上空だが、興味深く眺める。宿毛湾は整備の様子が窺えるが、こんなに背後に山地が迫っていることに驚く。そして豊後水道は思いの外狭く、対岸の九州も見える。
鹿児島空港に到着し、預けた手荷物を受け取るが、私のスーツケースの取手の一つが壊れてしまっていた。もうかなり古く酷使していたので、致し方ないと思うが、中にエフェクター等の機材も入っているし、何よりライヴ会場と宿の移動に手間取ることになるだろう。
空港からのバスで天文館に到着する。そこから会場の位置は簡単だが、いざ降り立つと距離感に慣れず、潮音さんにスマートフォンで確認してもらう。こういう時には全く便利なものだ。
会場はBar MOJO。以前ライヴの後に飲みに来た記憶があったのだが、それは間違いでこの近くの別の店だったことをマスターとの会話で確認しつつ、セッティングを開始。私は店のヘッドストロングのフェンダー・プリンストンリバーブに近いアンプをお借りし、難なくこちらの音は決まるが、サウンドチェックに少し手間取る。潮音さんが今回からギターのピックアップのシステムを新調したのだが、思いの外、プリアンプとのマッチングに時間がかかってしまう。それでも慌ただしくなることはなく、本番前に一杯引っ掛けに近くの居酒屋に。
演奏前なので、私はビールとチューハイ等の少しの薄い酒で十分だが、彼女はビールの後は強い酒になる。しかも時折手鏡で自身の化粧を確認しつつ、世間話も挟み、出勤前のひと時の様相だ。暫くして私が喫煙の為に席を外し、戻るとテーブルには牛の焼き肉があった。お値打ちだったからオーダーしたとのことだが、脂身の多い薄いサーロイン。ただ悪くはなかった。
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とても良い感触でライヴを終えた。
終演後も店で結構飲み、十分弱荷物を引きづり宿に着く。そして、荷物を置き向かいの焼き鳥屋に。何か食べたい状況ではなかったが、一応串を注文。甘い。塩にすれば良かったが、まあもうどうでも良い。深夜2時は過ぎていただろうが、天文館のその店は私たちが帰る頃にも新たな客が来ていた。久しぶりに芋焼酎を重ねた夜だった。
そんなに飲んだ夜でも歩いて数歩足らずだが、宿に戻ると少し覚める。ロビーの自動販売機で缶ハイボールを買った。
翌日チェックアウトから新幹線の時間まではそこそこあったので、散歩と朝食を兼ねる。ゆっくりと珈琲と煙草の時間が欲しいのだが、なかなか店が見つからず、小一時間は彷徨う。途中、宿近くの公園でKAGOSHIMA JAZZ FESTIVALのサウンドチェックが始まっていて、遠目からステージを見ると、長髪に派手なシャツの男性がセッティングをしている。近づいてみると、ギタリストの加藤一平さんではないか。挨拶し、残念ながら本番は観られない旨を伝えると、爽やかな笑顔を返してくれた。
うろついてようやく喫茶店に入る。落ち着く良い店だった。珈琲もトーストも有り難すぎるくらいの美味しさだった。
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宿のロビーで潮音さんと待ち合わせをして、鹿児島を去る。鹿児島中央駅前も賑わっている。タクシーの運転手さんによると、イベントも多く、衆議院選挙の為の演説も相当あるようで、人出も多い。
駅のみどりの窓口はかなりの混雑だったが、既に切符は予約しておいたので、販売機で発券できた。九州新幹線の乗車は初めてだった。
一つ疑問、最終目的地は博多駅なのだが、この日の我々はまず熊本で降りなければならない。となれば、鹿児島中央から博多までの乗車券と鹿児島中央から熊本、熊本から博多の特急券と考えるのが普通だと思うが、JR九州のサイトでの予約では、乗車券も特急券と同じように熊本で区切った方が数百円だが安いのだ。第三セクターが間に入るという所為なのだろうか。いや新幹線では関係ないだろうと思うが。
新幹線は通常の指定席だが、グリーン車のように快適だ。しかし、外は結構な雨模様で熊本に着いた。
1967年以降のBUTTERFIELD BLUES BAND 再聴の秋(その3)
さて、1969年のバターフィールド・ブルース・バンド、時系列で追うと以下の流れだった。
1月 ヨーロッパ・ツアー
5月 シングル Where did my baby go / In my own dream 発売
8月18日 ウッドストック・フェスティバル出演
11月 アルバム『Keep On Moving』発売
やはりフレッド・ベックマイヤーがベースを弾いている Where did~は’69年の早い時期には録音されていたということだろう。しかもシングルB面は前作のアルバムのタイトル曲だ。既にジェリー・ラゴヴォイの計画は始まっていたと想像できるが、その後、ベースがロッド・ヒックスに交代し、彼がテッド・ハリスも呼ぶ。バンド内部で変化が起こり、ラゴヴォイの計画はスムースではなかったと推察できる。しかしある時期のリハーサルスタジオにはヒックスとベックマイヤーの二人がいたという話もあり、1月のヨーロッパはベックマイヤーだったので、その後のオーディション的なリハーサルだったのかもしれない。後のベターデイズ最後期はヒックスが弾いていることを考えると、おそらくバターの判断だろう。そして、最後までここに残るジーン・ディンウィディと翌年の最初にはバンドを離れるフィリップ・ウィルソンとバジー・フェイトンがベックマイヤーを誘って後にFULLMOONを結成とはなんとも面白い。
話は戻るが、ヒックスは曲も書くし、ハリスはアレンジも出来る。だがラゴヴォイもバンドに歩み寄るかのようにバリトンサックスのトレバー・ローレンスを呼ぶ。その勢いで『Keep On Moving』を作るが、熱量の割にチグハグ感は否めない。演奏は良い部分も多いがもう半年もしくはライヴを重ねる時間があれば、推敲もできたであろう。多分7月くらいにはアルバムの録音は終了し、8月のウッドストックはこのバンド史上の最大編成の10人でステージに立つ。ウッドストック最終日のトリはジミ・ヘンドリクスで、その前がシャナナ。そしてその前がバターフィールドだった。ただ、シャナナは30分ほどの短いステージだったので、ヘッドライナー前の通常ステージはこの10人ということになる。
アルバム『LIVE AT WOODSTOCK』は2020年に発売されたものだが、オリジナルの8トラックとモノラルの録音を混ぜてかなり綺麗にトリートメントしている。当時のウッドストックのライヴ盤には二曲収録されているが、こちらの方がステージが近くなり生々しさが増す。
(アルバムのジャケット写真には一切姿が映っていないテッド・ハリスがウーリッツアーを弾く姿も垣間見える)
このライヴ盤、サブスクリプションには無いと思っていたのだが、実はあった。曲目を見たら一目瞭然。ただ音はレコードとは違って少し荒い。それが下記の中のディスク13、Live in White Lake, NY 1/18/69 である。日付が間違っているのだ。この 1/18/69 は先に紹介したアムステルダムでのライヴと同じ日である。1/18と8/18の単純なミスだが、なぜWoodstockとは書かなかったのか。『LIVE AT WOODSTOCK』はジャケット含めかなり丁寧に作られたもので、おそらくこのボックスセットの時点で計画されていたのかもしれない。だからこそのレコードのみの発売だったのだろうと推測できる。
ちなみにこんな画像もあった。間違いなく 8/18/69 である。
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こちらが2020年発売の『LIVE AT WOODSTOCK』
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トレバー・ローレンス曰く、「バターはいつも物事を進めていた。彼はブルースの男でしたが、同じことを何度も繰り返すようなものではなかった。毎晩違うことをやった。書面によるアレンジがなかったので、そうする必要があった。だからバンドは進化し続けた。僕たちはアレンジを書いたことは一度もないと思うよ...。それがこのバンドの注目すべき点のひとつだった。完全にヘッドバンドだった。演奏するときはその場でやった。演奏したものがそのまま出てきた。まるで魔法のような創造が起こった。とても自由だった……。 バンドに入ったとき、フィリップ・ウィルソンの演奏に惚れ込んだ。彼には独特の感覚とテンポがあり、いつも紆余曲折があって、ただ彼についていくしかなかった。」
そう、ウッドストックでは、まさにそんな感じで出だしの Born Under a Bad Sign はゾクゾクするかっこよさだ。『Keep On Moving』にはその魔法が欠けるが、バンドは進んでゆく。
テッド・ハリスはトニー・ベネットのツアーが一段落し、ウッドストックのバターの家に滞在しアレンジを相談したようだ。ハリス曰く、「私は長い間音楽を演奏してきましたが、私が演奏したバンドの中で、毎日、思い立ったらすぐに演奏を開始できる唯一のバンドです。すぐに演奏を開始できるのです。私はそのようなバンドで演奏したことがありません。悪い日などないかのように思えました。」
要するにヘッドアレンジで全て成り立っていたということだろう。ホーンのラインも複雑なものはなく、ステージ写真でも誰も譜面台を立てていない。
『Keep On Moving』が発売されたその四ヶ月後の1970年3月に次作の『LIVE』を録音する。ライヴ盤だが、プロデュースはトッド・ラングレン。ただ、その前に一悶着あったのだろう、ウィルソン、フェイトン、キース・ジョンソンが脱退してしまう。私は切にこのライヴをウィルソンで聴きたかったと思うが、それは想像の域。それでもこれはザ・バンド『Rock Of Ages』と並んで、私が最も聴いたロックのライヴ盤である。
このロサンゼルスでのライヴ録音の6日後の3月28日、ジャニス・ジョプリンの録音の為にバンド全員でスタジオに入る。プロデュースは同じくラングレン。素晴らしい。これでアルバムも作って欲しかったが、計画は頓挫し、別テイクはあるがこの一曲のみとなってしまった。それでも私はジョプリンの最高傑作だと思う。そして彼女はこの年の秋に死去する。
このあたりの考察は次回に。
桜井芳樹(さくらい よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki
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