ネットの中は特別な世界か?
こんばんは。ゴリィです。ただいま月に1度程度の割合である「ラッシュ時の山手線の頻度でお腹が下る」現象に襲われています(笑)。さて、サイトをご覧くだされば分かるように、色々やってます。
さて、今回は「ネットの中は特別な世界か?」というお話です。
昔はそうだったかもしれない。
「匿名性」という点では今も変わらないようにも思いますが、昔よりも「本名」でネットをしている人は確実に増えたと思います。かくいう私も、防災士を名乗るときは本名の「後藤智之」を使っています。
「ゴリィ」はあくまでニックネーム。「ゴリィ」の由来の話は以前ここにも書きましたし、ラジオ(公共の電波)でも流れました(本名とともにw)。
きっと、Facebookが原則として本名だから、というのもあるんでしょうね。
ネットの世界と実際の社会生活の違いって何、って考えたとき、ネットは2000年代はまだ「特別な世界」だったように思います。本名を隠し、素性も隠し、もともとの自分ではなく「なりたい自分になれる」という感覚はあったように思います。
どこまでいっても、僕は僕。
さて話は変わり、2003年から「街かどクイズ・ウキウキストリート」というウェブサイトを使った「ネットクイズ」をやっています。
昔はもっとたくさんあったのですが、今ではウェブサイトを使うところ(個人がやってる分ね)は、もうひとつぐらいまで減りましたね。
「ウキウキストリート」シリーズは「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」の3時代「クイズ世界は」「新装開店」「新装開店2」をそれぞれオマージュした3番組で構成されています。
当然、「クイズ世界は」を模している「街かどクイズ・ウキウキストリート」は司会のセリフは当時司会だった「逸見政孝」さん、後者を模した「新装開店!ウキウキストリート」は当時司会だった「福澤朗」さんにそれぞれなりきったセリフで文面を書くわけですよ。
それが崩れたのがツイキャス配信で「公開ラストスロット」をやるようになってから。どんだけ頑張ってもそこで司会しているのは僕(ゴリィ)であって、それ以外の何物にもならない。
逆に自分らしさを前面に出して割り切ってやった方がいいと思い、ウェブサイトのパートも、僕がしゃべる体で書くようになりました。
ネットは日常生活の一部
今や自分で動画を作ってネットで公開するのは(やろうと思えば)誰でもできる時代です。ちなみに、前述の公開ラストスロットはこんな感じです。
そこまで凝っていなくてもテレビ番組っぽくできるので、今はネットの世界は特別なものでも何でもなく、僕の場合は「週に1回仲間とワイワイやるもの」というのが使い方のひとつです。
他にも、Twitterでは防災関係の知り合いを作り、情報やアドバイスを受けたりしていますし、かつては他の方のツイキャス配信で親友もできました。
リアルな世界で「仲間」ができるのと同じように、ネットの世界でも通常と同じ様に「仲間」ができ、実際に「リアルの世界」で再会することもできるわけです。
そこに「線引き」はないと思っています。
「ネットなら許される」がコミュニティを壊す
もちろん、ネットの中には実生活でコミュニケーションに難がある方が相当数いらっしゃるのも把握しています。ただ、その方々の多くは、テキストでのやりとりが多く、テキストなら立ち止まって考えることもできるので、ネットの世界ならコミュニケーションが取れる、という方もいると思います。
ところが、「ツイキャス」のように「生配信」となると話が違います。話題についていこうとするとコメントするのに時間の猶予(立ち止まって考える)がないので、「ボロ」が出ます。
これの繰り返しが、「仲間の輪」を壊すきっかけになりかねないのです。
僕はこういう場合、TwitterのDM等で事情を聞くようにしていました。帰ってくる答えは、「他のところでは許されていたので」とか、「僕はコミュニケーション障害なので」とか、実際もっとリアルな病気の名前を言われたりして。
「他で許される」は「ウチでは許しません」というだけでいいのですが、後者の2つはなんとかしてあげたいけど、どうしようもない。他の人たちにその事実を明かさない限り、不快な思いをさせ続けるからです。
日常的なコミュニケーションができない人はご遠慮ください
現在の僕のツイキャスはじめクイズ企画でのルールは、結局こうなりました。僕がコントロールできない以上、お互い嫌な思いをせずに済む方法がこれしかなかったからです。
これを明言した結果、やはり毎回のように参加していた何人かは去っていきました。先日たまたま過去回を見返すと、「ああ、やっぱり・・・」というコメントを実際していましたね。
特に口を出さず、静かに見守ってくれていればそれでいいのかな、と思います。
この件については「安易に人を増やすために媚びを売る」つもりはなく、これからもこの方針は貫きます。最低限、「ありがとう」「ごめんなさい」くらい言える人間に集まってほしい。
僕のサイトやツイキャスに遊びに来ている人の多くは、ネットを特別な世界だという認識はないものと思っています。まず、サイト主であり配信主である僕がその考えなので。
まとめ:すべては「主」の意思
サイトにしても配信にしても必ず「主」がいます。その「主」が何を目的に運営し、どんな人に集まってもらいたいのか、というのはすべて「主」が決めることです。
時々、「主」の意向に反することを主張する参加者がいます。でも、これは筋違いで「静かに去っていく」が本来のありようだと思います。ネットの居場所なんてゴマンとあるわけですから。
「主」が「ココは特別な空間」と考えればそこにいるうちに限ってはネットは引き続き「特別な空間」であっていいと思います。しかし、SNS含めネットは「生活の一部」ですから一般的には日常生活との線引きはない、と考えるのが無難だと思いますよ。
ちなみに、轟RADIOは「日常生活でコミュニケーションが取れず、かつ『轟RADIO』上でその努力をしようとしない方とは関係を持つことはお断りします」というスタンスは貫いていきます。
自分の信念を曲げないことのサポートカラーは、黒です。轟RADIOのシンボルカラーですね(黒とピンク)。
今回も最後までご覧くださりありがとうございました。
轟RADIO「こころいろ」