新しい生活習慣を「受容」すること
こんばんは。ゴリィです。
「水腎症」から発覚した「膀胱機能不全」でカテーテルで尿を抜く生活も2日が経ちました。少し、こころに変化が表れ始めてきたので今日はその話を書きます。
慣れないことは疲れますね。
2日で10回ほど「自己導尿」をやりました。多少痛い(激痛というのはまずありません)のと、カテーテルを抜き差しする(特に抜くとき)のあの独特の気持ち悪さはありますが、順調にやっています。
ただ、慣れないことのし始めはやはりからだになのかこころになのか、まあどっちにもなのでしょうが、気付かぬうちに負荷がかかるようで、ここ2日はぐったりしています。
低血糖状態
実は、水腎症と分かってから「低血糖症状」が時々出るようになりました。原因は簡単で、食べてないから。「水腎症」と分かったときは最低でも入院、最悪あの世に行く可能性すら考えてましたし、「膀胱機能不全」の治療で「自己導尿」をやることになったのも、自分の決断とはいえそりゃ不安でしたから。
1日に夕方に1食食べるだけ、という日が何日かありその間も糖尿病の薬は飲んでいる(インスリン注射は断固拒否して医者に諦められていますw)ので、当然15時間以上何も食べてなければ低血糖になるわけで。
食欲が出ないのはこころの負担
「低血糖」には今週だけで火曜、木曜、金曜と3回なっています。やはり、こころの負担が食欲を失くさせているようです。今朝のは「自己導尿」をはじめて初日のからだへの負担がこころにも負担になったんでしょうね。
そんなわけで今夜も食欲ゼロだったのですが、無理にでもガッツリ食べました(若干吐き気がして後悔しています笑)。
今日は「納豆の日」ですからね。
左耳が聴こえなくなったときとの違い
「突発性難聴」のとき(=左耳が聴こえなくなった)は「頭」でも「こころ」でも「左耳が聴こえないという現実」を受け入れるのに1年かかりました。
今回は、「頭」ではすんなり受け入れましたが、「こころ」はやはり受け入れていたわけではなかったようです。「水腎症」の原因の有力候補の疾患が判明し、それを改善するために自分なりにベストな判断はしたと考えていますが、「こころ」では動揺している。でも、「こころ」の別な部分ではどこか「安心」して今後に身を任せている部分もある。
少し複雑な感じですね。
新しい生活習慣の受容は焦らないこと
「左耳が聴こえない生活」になっときも、「毎日数回おちんちんからカテーテルを抜き差しする生活」になったときも、それは「新しい生活習慣」になります。
「新しい生活習慣」を「受容」できるようになるまでは「からだ」にも「こころ」にも「葛藤」が生じるわけで、どれだけ時間がかかるかはケースバイケースですがいずれは「受容」に至るわけです。
「左耳が聴こえないこと」は1年半かかってやっと自然と話す相手側に右耳を無意識に向けるようになりました。今回は、「こころ」の抵抗は少ないですし、「からだ」もものすごく苦痛というほどの拒否はないので、そこまで時間がかからずに「受容」できるんじゃないですかね。
「受容」は無理にしようとしても難しいと思います。「意識的に」受容しようとしても、「無意識」の部分が「受容」できるのはまた話が違って、「無意識」が「受容」しないと必ず葛藤は生じます。
そこは、慌てず焦らずゆっくりとでいいんだと思います。
僕は、自分が届けたい思いを届けることは諦めたくないので、今回は「受容」のペースに合わせてできることをじっくりゆっくりやっていこうと思っています。
さて、ぼちぼち寝る前の導尿の時間です。
轟RADIO「こころいろ」
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