幸せってなんだろう?~いのちの日
皆さん、こんばんは。ゴリィです。いろんなことをしていつつポンコツです。詳しく知りたい方はサイトをご覧ください。
さて、今日12月1日は「いのちの日」だそうです。厚生労働省が自殺防止のキャンペーンの一環として制定したそうです。ちなみに、3月11日も「いのちの日」で、そちらは災害医療を考える日になっています。
以前、「自殺を考えているあなたへ」という記事を書きました。
今回は最近の精神不調も踏まえて、改めて「自殺」について触れていこうと思います。
あの日、「踏切に行こう」と言った僕
今回のメンタル不調は5月25日が引き金になっていて、ズルズルと精神が崩れていきました。昨年末にメンタル不調を起こした際、「0時21分」という歌詞を書きました(完成はしていません)。
0時21分に家の横に通過する回送列車に飛び込めばあの世に行ける
そんな歌詞でした。
さて、9月下旬ごろ、突然頭が真っ白になり、自分で行動を起こせなくなりました。友人が家にいたので「とりあえず、ご飯食べよう」ということでコンビニに行き、食事を買いました。ちょうど日付が変わるころ。
ふと、僕がボソッと口にしたのが「踏切に行こう」でした。意味を察知した友人は「電車ならベランダから見ようよ」といって部屋に連れ戻されました(正直、このあたりの経緯はあんまり覚えていません)。
以後も、自分の部屋の前の通路から身を乗り出して飛び降りようとしてみたり、何度か自殺未遂めいたこともしています。
「幸せ」を感じられなかった自分
頭が真っ白になり思考停止するほど精神が崩壊した経験はなかったので(数時間固まっていたようです)、当時はどんなだったか思い出してみました。
とにかく、「幸せ」を感じられなかった。すべてが「不幸」に感じた、というのが端的に言えるところです。
今回の精神異常は「他人からの悪意で精神的な健康を奪われた」状態だったので、「幸せ」も「すべて奪われた」と感じています(今もその思いは強いです)。
おそらく、自殺を考えている人って同じように「幸せを感じられない」状態なのではないでしょうか?
であれば、「幸せが何か」をきちんと届けることができなければ、自殺予防以前の話になってしまいます。
「たちつてトドメガネ」
突然話は変わり、僕はさいたま、浦和出身在住のプロのシンガーソングライターで書家(=唄う書家)の「岩船ひろき」さんと共同で「たちつてトドメガネ」という歌を配信リリースしています。
「たちつてトドメガネ」作詞・編曲:ゴリィ 作曲:岩船ひろき
※岩船さんが歌っているバージョンはサブスク等で聴くことができますし、ダウンロード販売もしています(笑)。
Aメロの出だしが「幸せってなんだろう?」なんですが、その答えは僕自身がよく分かっていません。ちなみに「トドメガネ」は「幸せを届(トド)けるトドの妖精」という設定です。
助け合える「仲間」がいるのは「幸せ」
ただ、最近になって「幸せ」を感じるときがどんなときか少しずつ見えてきました。
助け合える仲間がいること
これです。もちろん、幸せの形は人それぞれで、もちろんいくつもあったほうがいいのは確かです。
僕はお金の計算がニガテなので、お金はありません。貯金より借金のほうが多いです。それでも、なんとかお金の把握をしやすいように工夫しながらやっています。臨時収入があれば嬉しいですが、永続的なものではありません。
だとすると、「永続的なものってなんだろう?」と考えます。そうすると、助け合える「仲間」「家族」「パートナー」の存在が思い浮かぶのです。
2014年に自殺未遂したときは、「会社の仲間」に病気で迷惑をかけてしまい距離感を感じてしまったためです。でも、退職してから会ったときはやっぱり「仲間」でした。
今は、パートナーがいます。そして、仲間もいます。
もうひとつ、もし一方的に「助けられる」「助ける」だけの関係だったらどうか。恐らくそこに「幸せ」はないと思います。ただ、「物理的に助ける(助けられる)」だけでなく「精神的に助ける(助けられる)」も考えてみてもらえたら、と思います。案外、物理的には一方的に助けられていたり、その逆だったりしても「ありがとう」の一言や「いつも助かってるよ」っていう言葉やしぐさ、表情だけでも精神的に支え合っていることになっていたりするものです。
その仲間の「輪」が広がるのが幸せのひとつなんだと思います。
あなたが死んで涙する人がいる
目を閉じて想像してみてください。あなたが死んだと聞いたときに、涙してくれそうな人は誰かいますか?
その人が、精神的に支え合っている「仲間」です。
「え、誰も浮かばない・・・」と言う人は普段関係を持っている人に範囲を広げてみてください。誰でもいいんです。家族とか友人とかでなくとも。
あなたが死んで涙してくれそうな人がいれば、それ自体が実は「幸せ」なんだろうと思います。
ただ、当たり前すぎてこの「幸せ」は見失いがちです。僕もそうです。今だって見失ったりする不安定な状態を生きていますから。
・・・もし、本当に誰もいないとなったら、残念ながらこの記事であなたを救うことはできませんでした。ごめんなさい。
まとめ
2020年に「突発性難聴」を患って以来、僕の心は何度も折れて自分には幸せはないと思い込み、再び自殺未遂をやりそうになりました。
「当たり前」って本当によく「見失っちゃう」んですよね。
今回はまだ精神疾患の急性期で、自殺の恐れがある僕自身へのメッセージとしても、この記事を書かせていただきました。
同じように、生きることを諦めることが頭をよぎってしまう人に、今回の記事は贈りたいと思います。
どうか、「当たり前にある幸せ」を見失わないで。
今回はこころの傷を癒し、気分のコントロールを助ける「緑」を贈りたいと思います。
緑色のものを部屋に置いてみたり、持ち歩いたりして色の力も借りてみてください。
今回も最後までご覧くださりありがとうございました。