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エネルギーを何に使って暮らしているか.2

前回の記事のその後

パニックを発症してからの5年は、とにかく模索の連続で。当初は本当に何が何やら訳もわからずに、ただただ息苦しさや動悸や神経がぐわんぐわんすることに恐怖があった。

出かけられない、一人でいることができない。予定していたものは直前に断るしかない。そんな状況にパートナーを巻き込んでいった。今思うと、口では言えないことを病気を使ってやっていたんだよね。

そこから1年程経った頃に、とある人に出逢ってサポートを受けることになったけれど、その人はその人で「自分はなんでもわかっている、見えている」というような姿勢の人だった(口では謙虚さを言いつつも)。

それでも、解説されるということの安心感はすごくて、いつの間にやら心酔してしまった。心酔に気をつけていたけれど、結果的にはそうだった。

パニックのメリットとして「世の中に出ていくのが怖い」という解説がされて、だから思い切って外に出ないと!的な方向性と、時に、病は病だからそのままいるしかないというアドバイスが来て、ダブルバインドというのか、ものすごい葛藤が起きた。

結局、その人からも認められようとして、そこでもいい人間をひたすらに頑張ったんだなと振り返る。そりゃ、何をしたって治るわけがないよな。結局はその人の期待にも応えようとしすぎて、限界が来て、そこからも抜けることになった。

パートナーもその同じコミュニティにいたし、色んなアドバイスを受けて、どんどん生命力や自信を失っていった。関係性も良くなったように見えてやっぱり当初よりは小規模ながら、我慢しては衝突するということが繰り返された。


自分のために生きるということ

コミュニティを抜けるとか抜けないとか、そんな頃に、斎藤学氏の「自分のために生きるということ」という本に出逢った。

パートナーも私も、それぞれにその本を読みながら、それぞれに「自分のために生きる」ということに向き合っていった。

私は、色んなスピリチュアルな学びや、そのコミュニティでも高次元だのなんだのって話なんかもたくさん出ていたけど、そんなスペシャリストを目指す前に、ぜんぜんここ(自分を大切にする、自分のために生きる)じゃないかって愕然とした。

「耐え難い寂しさ」と斎藤学氏は表現されていたけれど、しばしパートナーとは食事も何もかも別々で会話もほとんどしないという「ひとり」期間をつくっていくと、身体がガタガタと震えるほどの感情が湧き上がってくるような日々だった。

それでも次第に、これまでが共依存のべったりとした感覚、何をするにも相手に見せているような感覚だったんだということにハッとする瞬間が来るようになって、ベクトルが次第に自分に向くようになっていった。

そうするとある時、なんとも言えないような、いのちの泉のようなところが自分の中にあって、そこからエネルギーが湧いてきているように感じられた。はじめての感覚だった。

自分を大切にすること、パートナーとの距離感、尊重すること、そんなことをはじめて感じられたことが嬉しかった。


パニックの再発

その後はそれぞれに、やりたいことをやって、適度に顔を合わせては会話してとか、食事をしながらお笑いを見たりとか、散歩しながら対話してとか、そんな関係になっていった。

ほとんどのエネルギーを喧嘩とかギスギスすることで消費・疲弊していた頃からすると、すごくクリエイティブな関係に思えて嬉しかった。

そして体調もどんどんよくなっていき、できることが増えていって、順調そのものだった。そんな時に、またパニックが再発した。


行き過ぎたその先に

色んなことがうまく回っていたから、最初は調子を崩すような原因が見当たらなかった。無理をし過ぎたかな?とか、走り過ぎたのかな?とか、それくらいに思っていたけれど、

先日、セラピストの方とお話しして、腑に落ちた。またまた、光の方だけに行こうとしすぎてしまったんだなって。

喧嘩がないという日々、重たい空気が流れていない日々というのは、本当に当初からしたら夢のようでもあって、それはそれで素晴らしかったけど、でも、生きていればそうじゃない日なんていくらでもある。

パートナーが不機嫌な顔をした時にも「相手は相手で頑張っているんだから」と介入しないように一生懸命に努めた。相手もそうしてくれていた。相手が何かやりたいということは、すべてOKを出すのが正解のように思えた。

寂しいとか、こうして欲しいとか、一緒に〜したいとか、わがままのように思えることは飲み込んだ。自分なりに、あまりに子供だったから、これが大人になるということなんだとさえ思っていた。

だから、いつの間にか今度は、うまくいっている関係をずっと持続させることにエネルギーを注ぐようになっていた。完璧な関係、完璧な人間。気づかないうちに、ずっとずっと、それを持続させるエネルギーを使い続けたら、それはいつか崩壊してしまうよね。


続く

そんな「うまくいっている」と思っていたところからの、「多大な無理がずっとかかっていた」という事実に直面したところが今だ。

そうして、ようやく次の記事で今の自分を見つめてみようと思う。


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