ディズニーランドに住もうと思うの
昔憧れていた先輩が結婚したらしい。プロポーズはディズニーランドのシンデレラ城の前。へえ、そういう感じの人だったんだ。サプライズとか苦手そうだなって思ってた。先輩に憧れていた時期は確かにあったけれど、私は先輩のことを知ろうとはしていなかった。自分の目に映る先輩の姿だけを綺麗に形づくって憧れに変換していた。なあんだ、憧れなんてただの傲慢だな。結婚したって人づてにきいても嬉しくも悲しくもないや。
あいつにはもう新しい彼女が出来たらしい。あの子のことをあんなに大事そうにしていたのに。あんなに愛おしそうに見つめていたのに。何かあるとあの子のことばかり指名していたのに。俺にはあの子しかいないなんて熱く語っていたくせに。もう新しい彼女が出来たとか言って、その子がまた黒髪ロングの赤い口紅が似合う肌の白い子だったらウケるな。
地元の同級生は2人目の旦那さんと別れたけれど、可愛い子どもたちに囲まれて随分幸せそうだ。インスタのストーリーには彼女と彼女の子どもたちの笑顔が溢れている。人は恋してなくても生きていけるし、パートナーが不在でも幸せになることができる。でもきっと彼女はまた新しい恋をする。きっとする。彼女の思い切りと自分の気持ちに素直なところが本当は羨ましい。
私は恋人と写真を撮ることができるようになったし、一緒にショッピングモールを歩くことができるようになったし、旅行に行くことができるようになった。私は今まで、いつかは別れるのだから一緒に写真は撮りたくない、残るものをあげたり貰ったりしたくないと「思い出を残す」ことを避けてきた。付き合っていた相手にもそれを公言していた。過去の自分は、そんなルールでしか自分を守ることができなかった。こんなレンアイのどこが恋愛だったのだろう。
過去の私は必死だった。自分に自信がないからいつ捨てられても良いように準備をしていた。別れても消すのはメールのやり取りくらいで、写真もなければ捨てるような物もなかった。
どうしていつも不安になるのは女の子なのって、不公平だよって、思っていた。産婦人科の看板をぼんやり見上げながら、あの人だったら一緒に来てくれるのかなって考えた。私は可愛くもないし素直でもないし、ミニスカートやノースリーブも似合わない。私が想像する「女の子」でいられないのに、それでも愛されたいなんて狂ってるな、とんだ勘違いだ、意味分からないなって思ってた。
いちごみるくは甘すぎて飲めなかった。お酒の飲みすぎで吐いたことはないけれど、飲み会で可愛い子ぶって飲んだマンゴー味のカクテルが甘すぎて吐いてしまったことはある。ディズニーランドにも興味を持てなかった。新しいアトラクションやグッズやパレードにも心が躍らなかった。こんなの、私のどこが「可愛い女の子」だよって思っていた。悲しかった。デパコスとドラコスの違いもまともに分からない自分が悲しかった。シンデレラ城の前でプロポーズされても、家で夕食を食べながらプロポーズされてもきっと同じ反応しかできない自分を想像すると悲しかった。
「現実的だね」って、何度も言われた。「夢見がちだね」って言われたかった。「しっかりしてるね」って、何度も言われた。「甘え上手だね」って言われたかった。「強いね」って、何度も言われた。「守りたくなるね」って言われたかった。
ねえ、知ってる?本当は、本当の「女の子」は、可愛いけれど誰よりも現実思考で、したたかで、しっかりしていて、守られているように見えてしっかり相手を守っている。私みたいに中途半端に強く見られて、中途半端に自分で何でもできてしまって、中途半端に下手にそこらへんの人に甘えてしまって次の日に後悔してしまうような人間は、私の思う「女の子」像にどう頑張っても当てはまらないんだ。
だけど、それでも、女の子がいい。絶対、女の子がいい。完璧な理想の「女の子」じゃなくても、私は私なりに「可愛く」生きていきたい。諦めてない。ちゃんと自分を肯定していたい。どんなに「可愛くないな」「愛嬌がないな」と言われても、「私はかわいい!!!」って自分で肯定できる私でいたい。
だから、君もかわいく生きててね。
♪大森靖子「絶対彼女」