深夜2時、首都高の下で愛を
当たり前のように振られた彼女は、それはそれは穏やかに恋をしていた。私からみれば、穏やかではない恋だった。でも、彼女はあくまでマイペースに、穏やかに恋をしていた。
それにしても勇気ある行動だった。呼び出して告白なんて。しかも、深夜の首都高の下で。告白して、簡単に言えば振られた。彼女はせいせいした顔をしていた。多分、いちばん終わらせたかったのは彼女自身だったのだと思う。はっきりすっきりさせた彼女は賢かった。私と違って。
私ならそんな人好きにならない。彼女の話を聞きながら何度もそう言ってしまいそうになった。大学時代、その頃の男女なんてなあなあで適当で簡単だった。触れようと思えばすぐに、家に上がりたいと思えばすぐに、二人で抜け出したいと思えばすぐに希望は叶うような世界だった。でも、彼女はきちんと好きの感情を守っていた。どんなに酷くて節操のない男相手でも、清く恋愛をしていた。
呼び出して、いつもの調子で告白して、これからも友達でいようってことになったんだ。
そんなことを彼女は言ったと思う。彼女が幸せでありますようにとコンソメ味の揚げパスタを食べながら私は願った。「正しく」見えた彼女を前にして、私は自分の「間違った」恋愛のことを言えなかった。同じ首都高の下で私は告白できなかったよ。ずるいから、曖昧なことを良しとしてまだそのままだよ。そんなこと言えなかった。
彼女とひとしきり話して、飲んで、居酒屋のオーダーストップが終わった。しぶしぶ居酒屋を出て、彼女とまた話そうね、明日一限で、と言って別れた。
帰り道、「あの」首都高の下をとぼとぼ歩く。色んな男の人と歩いた首都高の下。色んな男の人が遠回りして家まで送ってくれた道。でも、誰の「特別」でもなかったんだよな。そこそこ可愛がられて守ってもらって優しくされてまあまあ楽しくてそれを3年くらい続けてもう何もわからなくなって距離が隣なのか1キロ先なのかも考えられないほど馬鹿になってしまっていた。好きだと思う人には好かれず、そこまで好きじゃない人にも好かれなかった。飽きて、飽きられていた。
何も欲しくなかったけどコンビニに入った。飲むヨーグルトをひとつ手に取ってレジに持って行くと、最近講義で見かけなくなったクラスメイトが会計してくれた。「久しぶり、全然会わんやん」「そろそろ講義出んといけん」笑った彼が明日の一限に来ないことは分かっていた。
既に目標とかそういうの忘れてしまっていた。大学で絶対に留学するぞって気持ちもなくなっていた。バイトしてお金稼いで、たまに旅行に行くのが楽しみという、時間もお金もギリギリの生活だった。自分のキャパをこえた人付き合いをして疲れて熱を出して一日中寝ている日も少なくなかった。でも、体調が戻ればまた呼ばれて出掛けるのだ。テキーラをはじめて飲んだあの店に。熱燗をはじめて飲んだあの店に。たまに代わりにこっそりお酒を飲んで「身代わり」になってくれる人にずるく頼りながら、私は正解のない生活を続ける。
学生時代に誇れるものはない。何も成し遂げていない、何も成し遂げようとする気持ちのない、何をしたいか自分でもわからない、そんな自分が就活で苦労するのは目に見えていた。就活解禁日、予定していた合説の開始時間に起きた私は、もちろん就活のスタートダッシュでこけた。こけると言うよりそもそも靴を履いていなかった。やっと重い腰を上げた時期、地震で地元がぐちゃぐちゃになった。避難所生活を送る地元の友達とラインをしながら、最近始めたバイトに嫌々向かっていた。こんな大変な時にのうのうと何してるんだってお客さんに怒鳴られることもあった。大変な時だなんて私にでも分かった。だって、地元の友達が何人も家に帰れない、家が半壊だ、なんて言ってくる。大変な時なんて、わかってる。わかってるけど。それでも就活のため、生活のためにバイト代は必要だった。やめるわけにはいかなかった。
いつも人の幸せも悲しみも辛さも隣でじっと感じとるだけで、何も言葉を添えることができなかった。痛みは涙がでるほど分かるのに。分かるのに。大学に入ってから人との関係をその場しのぎでまっすぐに築いてこなかった罰なのか。私には何も残っていなかった。心配だよ、と言いながら何も出来ないことが情けなくて、就活以前に生きることをやめたくなっていた。生きているか死んでいるかわからない状態で就活をし、筆記試験を受け、エントリーシートをひたすら書き、面接を受けた。一つの企業から内定をもらった日に、それ以外の会社の選考を全て辞退した。早く就活から逃げ出したかった。
いつ無くしてしまったんだろう。首都高の下で伝えられるような愛を、自分で語ることができるありったけの想いを、どこに忘れてきてしまったんだろう。私は自分を大切にできる人間だと思ってきたけど、そうじゃなかったみたいだ。
私は私を大事にしなきゃ、これから生きていけないな。
私はやっと気付いた。私はもっと自分を信じないといけなかったのだ。自分の存在価値を低く設定しすぎだったのだ。ただそこに座って笑ってるだけでかわいい女の子、他の人がシフトに入りたがらない祝日や花火の日にシフトに入って感謝される存在、みたいなもので自分に価値を見出だすのはやめようと思った。
無力だ。人間は。
もちろん「あなたのために祈ったよ」「あなたのために泣いたよ」なんて言わない。言わないけど、心で強く念じているのは本当だよ。いつか私にも、首都高の騒音に負けないありったけの声で叫ぶことができるくらいの強い想いをぶつけられる日が来ますように。自分の気持ちを後ろめたい気持ち一切無しで伝えられるようになるよ。なるから。
ゆっくりしていってね