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無責任に可哀想とか言わないで


誕生日を一人で迎えることは、クリスマスを一人で過ごすことは、一人で年を越すことは、かわいそうなことですか。恋人がいないことは、恋をしていないことは、そんなにかわいそうなことですか。実家に帰るたびに「良い報告をしに帰ってきたかと思った」と、年齢を伝えるたびに「そろそろ結婚かな?プロポーズかな?こどもかな?」と言われることが、「いやいやあなたは仕事バリバリしてるんだからまだまだやりたい事今のうちに全部やってた方がいいよ」と頼んでもいないのに慌ててフォローされることが、かわいそうでもない私をどんどん「かわいそう」に仕立て上げていく。

【かわいそう】みじめな状態にある人に対して、同情せずにいられない気持であること。ふびんなさま。

私のどこがかわいそうなんだ。毎日がキラキラ充実していて幸せ全開、とまではいかなくても、悪くはないし結構たのしい日々をおくっている。それなのに、赤の他人が勝手に私をかわいそう扱いして、勝手に私をかわいそうだと名付けて、勝手に私をあわれむ対象にする。どうせそうすることで優越感に浸って、まだ自分はましだと思い込んでいるんだろう。どっちがかわいそうなのだろう。



「ね、結婚したら、彼氏についていくんでしょ」「んー、それは分かんない」「え、彼氏かわいそ」

「恋人とどのくらいの頻度で電話する?」「えーっと、月一回くらいかな...」「え、かわいそう、彼氏怒らない?」

「また出張なんだ?彼氏拗ねない?可哀想」

「母親が専業主婦だったから、どうしても共働きのイメージがなくて。やっぱ子どももかわいそうに思えるし」

一個人としての感想の「かわいそう」ならば、その感想で終わらせてほしい。他人に踏み込み、他人を「かわいそうな人」だと名付けるのはやめてほしい。無責任にかわいそうとか言わないで。誰も、鍵っ子の私をかわいそうとは言わなかったし、両親が共働きでも私は全然かわいそうじゃなかった。私は私をかわいそうと思ったことなんてなかった。長いこと恋をしていなくても、それがかわいそうだと思わなかった。私は、自分をかわいそうだなんて思う暇すらなかった。生きたいように生きてきて、それで充分幸せだった。今も。

無責任に名付ける人は、そのあと何をしてくれるの?じゃあ私を幸せにしてくれるの?私にとっての幸せが何かも知らないのに、それで私を幸せにするの?笑わせんなよ。ずっと強い気持ちを持ち続けられる私でいたいけれど、ずっと逞しい精神でありたいけれど、ずっと楽しいことばかり考えて生きていたいけれど、たまに弱音を吐きたくなる時があって、たまに自分の身体ぜんぶを誰かに丸ごと預けて自分を離脱したくなる時がある。そういう時、誰かが勝手に名付けた「かわいそう」という呪いが私に襲いかかってきて、あれ、私はかわいそうな人なのか?と迷ってしまう。とても厄介だ。突然寂しくなったり道に迷ったりしたときに、いつか誰かに投げられた「かわいそう」がボディブローのように効いてきて、酷く痛めつけられる。違うんだ、私はかわいそうじゃない。そもそも、人に「かわいそう」と言える人は、その人に何をしてあげられるの?手を差し伸べてくれるの?お腹がすいて泣いている子どもに、自分のほっぺたを引きちぎってこれ食べなよって言えるの?何もしないのに勝手に名付けて呪いをかけてそれで終わりなの?


私は幸せだ。それなのに私が「幸せだよ!」と言うと怪訝な表情を向ける人がいて、負け惜しみだって言う人がいて、強がらなくていいよって慌てる人がいる。そんなことされると、不安になる。私は幸せなはずなのに、そうじゃないって言われているみたいで不安になる。そう、そのくらいのギリギリの淵をいつだって歩いていて、不安になる要素なんてこの世界にはたくさんあり過ぎていて、揺るがない幸せとか変わらない安心とかそんなの無いって分かっていて、その上で私は私を幸せにしている。しようと思っている。したいと思っている。

だから、無責任に、かわいそうって言わないで。そんなラベリングされたら簡単に「かわいそう」になっちゃうくらいの私なんです。他人の言葉に振り回されてしまうくらいペラッペラの信念なんです。でも、みんなそのくらいの心持ちで生きてるんじゃないの。知らない人の言葉に傷ついたり、気にしちゃったりしてるんじゃないの。

どうせなら、肯定的な野次をください。私、褒められて伸びるタイプなので。平成生まれなんて今はもう珍しくなくって、「ありきたりの幸せ」なんて全くありきたりじゃなくって、ていうかよく考えてみれば、どの時代だって私の幸せが丸ごと貴方の幸せじゃなかったはずだ。2021年にもなって今更だよ、まだそんな話してるの?って誰かが言い出して、そして変わるのだろうか。2100年になっても、同じような議論を繰り返して、傷つかなくていい人がやっぱり傷ついているのだろうか。いつか私が「かわいそう」にならなくて済む日が来るのだろうか。余計な同情や心配や憐れみや、取ってつけたようなフォローとかお世辞とかの代わりに、冗談でもいいから「幸せな君に乾杯」って笑える私でいたいよ。








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