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アバウト・ユー

 冷たい冷たい朝、凍ったフロントガラス越しに、ろくに見えもしない曇り空を眺めながら君のことを考えていた。寒い。今日は一段と寒い。気づいたら歯を食いしばっている。君は何をしているのだろうか。まあどうでもいいけど。私には知る由もないけれど。ワイパーを動かす。無駄な抵抗。シャリシャリと凍ったガラスの表面を滑っていくワイパーを見つめながら小さなため息が出る。時間はたっぷりあるようで、実際まったく足りやしない。それなのに人生が長すぎる。生活が間延びしている。目の前の「楽しいこと」も「ときめき」も考えられない。ただ、何に対しても恋をしていないというだけで、こんなに日々はぼやける。

 心穏やかに過ごすためにいくつか諦めたことがある。「元気」を諦めた。「皆に好かれたい」という欲を諦めた。「誰かにとってのたった一人になりたい」を諦めた。その代わりに、思い切り自分で自分の機嫌をとって、思い切り自分で自分を甘やかすことにした。好きな温度の部屋で、好きな音楽を流して、好きな本を読んで、好きな時間に眠る。幸福の牢獄。狭い世界だから充足が早い。今はもう、抱え込みきれなくなって夜中に一人で吐いたり、泣きながらラインを打ったりすることもない。強くなった。鈍感になった。その分、知らぬ間に人を傷つけることも増えたと思う。

 寒いというだけで心がダメになりそうになる。大丈夫、もうこのくらいのこと慣れている。怖いものも減った。弱音も不安もぐっとこらえられる。揺らぎそうになったときに心をすっと無にして外部からの騒音をシャットアウトできる。強い。わたしは、強い。訓練をして、こんなふうに強くなった。かわいくない。一人で生きていけるでしょう。大丈夫そうだよね。言われ慣れた言葉もぱくぱく食べて養分にするくらいの覚悟がないと生きられない世界だ。ぼんやりしていると潰される。

 未練はないけれど、少しだけ後悔している。わたしは不誠実で酷い人間だったなと思う。かっこ悪いところを見せたくなかった。突然弱音を吐いて驚かれたり引かれたりされたくなかった。だから捨てないでと言えなかった。本音よりもプライドが大事だと思ってしまった。わたしはずっとこう。だから誰の心にも入っていくことができない。でもそれで保っているものがたくさんあって、捨てられない。人を好きになるなんて臆病な人間には到底無理な話だ。売り込めるポイントもない。売り込もうとする努力もしない。「嫌い」と「怖い」だけはハッキリしているけれどただそれだけで、「好きかも」と「好き」はぼんやり同じだし、「良いかも」と「どうでも良いかも」もぼんやり同じ。


 凍ったフロントガラスが次第に溶け始めて視界がクリアになってゆく。「人づてに聞く君」も、次第に「もう人づてにすら聞かない君」になる。きっとわたしは君が誰と幸せになってもどうでもよくて、君が誰と幸せになっても文句を言いたくなって、君が誰と幸せになってもおめでとうと心の底から思うのだろう。人と人の関係は一瞬で、偶然で、ハッピーな事故みたいなもの。その一つ一つに意味なんて見出している暇はない。通り過ぎた日々はただの風景になって忘れ去られていく。特別、とか、奇跡、とか、信じたいと思うほどかわいくもない。

 どんな経験をしても、どんな人と一緒にいても、人間の根本は簡単には変わらない。同じコードに合うメロディが無限にあるように、どんな生き方をしてもどんな人生を選んでも、その人のベースに流れるものは同じだ。正解も間違いもない、そのコードに乗った音すべてが答え。そう考えると、人生なんて割となんでもありなのだと思う。今の生活に満足している。でも、今の生活が最善かと言われればそうではない。皆そうだと思う。いつだって最善にしている途中。それで良い。

 冷たい冷たい朝、氷がほぼ溶けたフロントガラス越しに、ぼんやりと曇り空を眺めながら君のことを考えていた。一番に好きだった、そんな錯覚に陥った瞬間も確かにあった。それでも、いつか終わるという諦めを伴った始まりだった。互いに邪魔をしないという暗黙の約束みたいな壁があった。距離を理由に諦められるくらいのものだった。もう恋愛の話なんて書けやしないなと思う。ずっと現実。さよならを繰り返す。

 アバウトユー。どこにでもいる人の話です。
 どこにでもいる二人の話にはなりませんでした。
 
 フロントガラスの氷が溶け切ったことを確認して、車を発進させる。冷たい冷たい朝、薄く積もった雪の上、皆そろそろと車を走らせている。雪の降らない町で育ったから、雪がこんなに世界を白くするなんて知らなかった。白という色がこんなに明るいということも。寒いね、なんてどうでもいいことを言えないのが一人の寂しいところだけど、寒いからと目一杯自分の納得するまでエアコンの温度を上げられるのは一人の良いところ。二人でいても一人分のコミュニケーションしかしないことが多い私のことを大切にしてくれる人のこと、雪が降ったことを教えたいなと頭に浮かぶ人のこと、もっと大切にした方がいいなとふと思った。


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