今夜さよならに一歩近づく
数分前に何と言ったかすら覚えていないけれど、特に届けたい言葉でもなかったし相手に振り向いて欲しかっただけだから、喉から甘い声を出したことだけが確かだ。小手先の甘い声は耳にべたっとはりつくから煩わしいのに、私は気付いたらそういう声を出している。
寒さをしのぐための寄り添いで良かった。眠れない夜に息をひそめて隣にいるだけで良かった。それ以上はいらなくて、だってそれ以上になればもっと難しいことを沢山考えなければならなくなって、生命力の小さな私たちは共倒れてしまうだろうから。
そっと抱き寄せられる温度の低い夜が好きだ。君の腕の付け根にすんなりおさまる私の頭。このままでいいのにな、ぽつりと本音がこぼれた。このままでいいのになんて狡いよな、でも、このままでいいのにな。この先は無くていい、でも、後退はしたくない。だからこのままがいい。特別でいたいのに、特別になりたくない。
ねえ、隣で寝るだけって難しい?
そふれ、という言葉が流行り出したのはいつだろう。隣で眠るだけだというすべての約束が果たされているだろうか。それが破られた時に押し寄せるのは、裏切られるという感覚なのだろうか。信頼という言葉で柵を作るのも虚しいから、ただ身体を預けてついでに心もぜんぶ預けてしまおう。腕の中ですうっと息を吸う瞬間が好きだ。満たされている。ここが満ちる、最高地点。このまま溶けて夜になってしまえれば。愛だの恋だの純愛だの下心だの、そういうの何もなしで、人間でいることの寂しさを分け合える人と出会いたくて、分け合うのに手っ取り早いのが互いの温度だった。言葉で「一人じゃないよ」なんて言われても所詮言葉でしかなくて、何も言わなくても自分以外の体温があれば、ちゃんと一人じゃないって分かる。
どんなに繋がっても、心が寂しいとずっと寂しい。すべて終わった後の「愛してる」なんて要らないから、心臓の音で「大丈夫だよ」って伝えて欲しい。
そんなのはじめから伝わらないんじゃないかって怯えて、信じるなんて言葉を信じる方が馬鹿馬鹿しいって気付いた。結局私たちは生まれてから死ぬまで一人じゃないか。私は都合よく、そふれという言葉を出した。
腕の中でまどろむ。やっと今日は安心して眠れそうだ。離れたくないな、少しだけ腕に力を込めた次の瞬間、おでこにひんやりとした唇を感じた。あ、と思ったときには唇に温度を感じていた。二度目の唇が、離れない。反射的に息を止める。開けられない目に何故か涙が滲んだ。また終わったのだと悟った。喉の奥で嗚咽を飲み込む。苦しい。これが幸せな苦しみならこのまま息ができなくなって消えちゃいたいって思えるのに、どうしてこのままじゃ死ねないって思うのだろう。誰かに期待して分かり合えるかもしれないと希望を持ってしまうのだろう。
ただ、隣で安心して眠りたかった。寂しかった。ずっと寂しかったから、恋にしてはいけなかった。私は君に何を探しているのだろう。トリックオアトリート、カーテンの隙間からもれる街灯、街に飾られたハロウィンのかぼちゃ。甘さもいたずらも何もいらない夜が欲しいよ。キスの先、これから終わりに向かって始まる。今夜さよならにまた一歩近づく。