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くるクル狂ドーナツ【完】
生きるの頑張ってたらいつの間にか一生が終わってたって人と、頑張らなくても生きることが当たり前の機能として備わっていて、その上で生きるのを楽しんで一生を終えられるって人がいるのは現実だと思う。
🍩🍩🍩
平日は駅前のビジネスホテルで客室清掃のアルバイトをしている。時給は970円。
「ゆーちゃん、お疲れ様」
今日割り振られていた客室の清掃を終えて休憩室に入ると、ロッカーの前にイトダさんとキシさんがいた。イトダさんは私より少しお姉さん、20代後半の女性。キシさんは中学生のお子さんがいる50代の女性。二人とも私のことを「ゆーちゃん」と呼び、娘や妹のように可愛がってくれる。
「今日も暑かったねえ〜」
キシさんが冷やしたタオルを首に当てながら言う。「凍らせたゼリーあるよ!ゆーちゃんも食べな!」イトダさんはいつも優しい。飴やゼリーをくれたり、私が汗だくで清掃を終えて戻ると休憩室のエアコンの温度を二度下げてくれたりする。ロッカーの周辺はイトダさんがいつも使っている制汗シートの甘い香りがした。
「イトダさんのシート、いいにおいですね」
ロッカーからリュックを出しながら言うと、「でしょ?ホワイトシャボン?みたいな名前(笑)」と返ってくる。「今日は彼氏さんが迎えですか?」「そだよ〜」イトダさんの声が弾んでいて可愛い。駅の裏に新しくできたドーナツ屋に行くんだ〜とワクワクがおさえられないイトダさんと、まだ首を冷やしていたキシさんに挨拶をして休憩室を出た。
夕方だというのに、太陽は元気だ。休憩室のクーラーの涼しさの余韻は、外に出た瞬間に消えてしまった。
家は、アルバイト先から歩いて20分のところにある。ホテルを出て、交番と、スーパーと、ドーナツ屋と、駅と、公園を通り過ぎれば、私の家。
🍩🍩🍩
イトダさんが新しいドーナツ屋に行くと言っていたことを思い出し、無性にドーナツが食べたくなった。帰り道に、私がたまに寄るドーナツ屋がある。ドーナツは昔ながらの油と砂糖たっぷりのあまくて親しみ深い味で、一個100円。この時間は大体髪色の明るい小柄な女性がレジを打っている。駅前にはお洒落なカフェやスイーツ店が増えてきているけれど、私はあのドーナツ屋がいちばん好きだ。いつもの帰り道、私はふらっとそのドーナツ屋に立ち寄った。
「いらっしゃいませ」
やる気のない男性のいらっしゃいませを聞いて、あれ?と思う。レジに立っていたのは、いつもの小柄な女性ではなく、気怠げな若い男性だった。お気に入りのドーナツを3つトレイにのせてレジに持っていき、店員のネームプレートをのぞきこむと【今井】とあった。その店員さんは慣れない手つきでドーナツを紙袋に詰め、やはり覇気のない声で「ありがとうございました〜」と私を見送った。
ドーナツ屋を出て少し歩くと、駅がある。その駅の真横に、新しくできたというドーナツ屋がある。店の前を通るだけで、甘くて幸せなドーナツの香りが漂ってくる。まったく、ドーナツ屋の近くにドーナツ屋をオープンするなんて。高校生や若いお客さんはこっちに集まるのだろうな、と思う。このドーナツ屋は「バエる」ドーナツがウリで、既にインスタで沢山の投稿がされていることを知っている。いちばん安いドーナツが一個320円。店の前を通り過ぎる時にガラス越しに店内をのぞいてみると、それはそれはカラフルなドーナツが並んでいた。若い女性が目をキラキラさせながらドーナツを選んでいる。あの中にイトダさんと彼氏さんもいるのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、ドーナツの香りが途絶えた駅前パーキングあたりで「ゆーちゃん!」と声をかけられた。振り向くとイトダさんが手を振っている。近くに停められた車からイトダさんをよく迎えに来る男性が降りてきた。彼氏さんだ。こちらに手を振るイトダさんと彼氏さんに軽く会釈をする。今からあのドーナツ屋に行くのだろう。二人は手を繋いで歩いて行った。
私はしばらく二人の後ろ姿を眺め、それから停められたイトダさんの彼氏の車を眺めた。駐車スペース二区画にまたがって停められた車。はみ出している、よりも完全に、隣の区画にまたがっている。ああ、彼氏さんはこういうのを良しとする感覚なんだなと思った。そして、ああ、イトダさんは恋人のこういうところを良しとできるんだなと思った。そんなことをぐるぐる考えながら、自分が息を止めていたことに気づく。
色々と狭い人間の私は、そういうので全てダメになってしまう。許せる許せないではなくて、あ、自分と違うのだとハッとして息が止まる感覚。いつも優しいイトダさんだけど、こういうところもあるんだな。こんな些細なことでショックを受けていても始まらないけれど、こんな些細なことこそがショックなのだ。
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生きるの頑張ってたらいつの間にか一生が終わってたって人と、頑張らなくても生きることが当たり前の機能として備わっていて、その上で生きるのを楽しんで一生を終えられるって人がいるのは現実だと思う。
だから綺麗事ばかり言う人が嫌い。
愛情とか丁寧さとかほっこり感とか自然感を装ったあれこれとかそういうのがたまに吐くほど無理になる。
そこに悪気や悪意がないのが恐ろしい。
皆が憧れるのは結局ナチュラルでも平和的でもなく、センセーショナルな物事や少しだけ煌びやかなもの、手が届きそうなかわいさだって、もう皆知っているのならそう認めれば良いのに。
難しいことを簡単にやってのけているように見せられる人はプロだ。難なく生きているように見える人ってきっと生きるプロだ。努力をしているのかもしれない。もしくは才能か。必死で手に入れた安寧を続けるのは難しいけれど、それを簡単に思えるように見せられるのは努力だと思う。
今まで、アルバイトからの帰り道、何万回も同じことを考えて歩いた。私は不幸じゃない。今のところ、自分一人くらいなら養える。アルバイト先でも良くしてもらってる。私は不幸じゃない。じゃあ、幸せ?それは、多分、幸せ、なんだろうと思う。駅の裏で知らない誰かがビラを配っている。前を歩いていた人に差し出されて受け取られなかったビラが、私の前にも差し出される。私からも受け取られなかったビラは、私の後を歩く人に差し出される。その繰り返し。バス停の近くで知らない誰かが大きな声で何かを主張している。「◯◯を許すな」みたいなことを一生懸命に訴えている。誰の耳に届いているのだろう。それを聞いた何人が、その人の主張を理解できるのだろう。雑音。雑音。雑音。日々は雑音でできていて、その雑音の中で聞きたい音だけを聞くためには、どうすれば良いのだろう。
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アルバイトの行き帰りで、私は歩きながらたまにゴミを拾う。アルバイトで清掃をしているうちに、その辺にあるゴミの一つ一つが気になって仕方なくなってきたのだ。いちばん多いのは、煙草の吸い殻。あとは、空き缶やペットボトル。気まぐれに拾って、気まぐれに見逃す。このゴミ拾いが何の役にも立たないことを知っている。こんなふうに街を少しだけ綺麗にしたつもりでも、「綺麗にした」のではなく、「元に戻した」だけに過ぎないと知っている。そして、ゴミを拾う綺麗好きに見える私の家は、いわゆる足の踏み場がない「ゴミ屋敷」だ。アルバイト先も、街も、自分の家も、同じはずなのに、違うのだ。私は、自分の家だけは、何故か綺麗にできない。自分の家のゴミに気づけない。気づいても、その先ができない。だから、私の家はずっとゴミ屋敷。
私は大学に行きたかった。でも、行きたいと言えなかった。私が通っていたのは田舎の高校で、同級生の9割は高校を卒業してすぐに働き始めた。それが普通だった。高校卒業してすぐママになる子もいた。大学に行きたいと言ったところで、行って何するの?と聞かれると上手く答えられなかった。高校を卒業して、今の街へ来た。誰も知り合いがいないところに行きたくて、この街を選んだ。料理も洗濯も掃除も得意なのに、私の部屋はすぐにゴミ屋敷になった。そして掃除が得意だったから、客室清掃のアルバイトを始めた。アルバイト先での私の評価は、自分で言うのも何だけど、そこそこ高い。
私は大学に行きたかった。
私のアルバイト先に、新卒の正社員で入ってきたフロント担当のヤマダさんは、なかなか「ヤバい」らしい。キシさんと仲が良いフロントのパートのタカノさんが、よくロッカーで愚痴をこぼしている。例えば【出納帳】や【進捗状況】が読めない。【御中】の使い方を知らなかったし、【確認】や【把握】という漢字が書けなかった。それでもヘラヘラと大学で遊んでばかりいたから、と笑っているのだそうだ。「もうちょっと危機感を持ってほしいんだけどねえ」とキシさんにこぼすタカノさんの声を背中で聞いていて、死ぬほど羨ましくなった。こんな人が大学を出て、正社員として雇われて、私たちはこの人の下で働くんだ。やりきれない気持ちでいっぱいになった。頑張って働いたところで時給970円。きっと大学に行けていたとしても、私は今頃奨学金に追われている。「食べたくても食べられないこどもたちがいるんだよ」というのはある意味本当だし、ある意味物理的には仕方がないことでもある。食べられないこどもたちの存在をそもそも知らない世界で暮らしている人が必ずいる。当たり前に豊かで当たり前に自由で当たり前に与えられてきた人。それを純粋に受け取って、真っ直ぐ育ってきた人。だからこそ何も知らない人。幸せそうに見える人。それが私のような捻くれた人間をより捻くれさせるという現実。私の気持ちは僻みでしかなくて、私が羨むべきはヤマダさんじゃなくて、私はもっと別のところに目を向けて自分の幸せを掴み取っていかなければならないって分かっているけど、分かってはいるけど、そう上手くはいかない日々なのです。でもこんなこと、誰に話そう?汚れたスニーカーのつま先を見つめながら、私はいつも下を向いて歩いて、そうしてたまにゴミを拾う。
🍩🍩🍩
いつも通る公園の隅っこ、道路の脇のフェンスの地面にいつも座っている男性がいる。この辺でフラットな長いベンチが減ったのは、ホームレスがベンチで寝られなくするため、らしい。排除アート、という名前があることを最近知った。排除しておいて何がアートだよ、と思いながら男性の横を通り過ぎる。例えば今私がここで、さっき買ったドーナツを彼に差し出すことが本当の優しさなのだろうか、そう考えながら、数日前イトダさんにもらった塩飴のことを思い出す。私のロッカーの中で溶けかけているであろう飴。飴をくれる優しい人でも、駐車スペースを守らなかったりする。仕事で清掃をしていても、家が荒れ果てていたりする。駅前の「バエる」ドーナツ屋のドーナツを買って、写真だけ撮って捨てる人がいる。なんなんだよそれ。インフルエンサーが道路の吸い殻でも拾ってみせろよ。私が毎日通勤途中に拾うゴミなんてきっと意味がない。毎日拾っても拾ってもゴミなんて湧いて出てくる。なんなんだよそれ。手を差し伸べるって何だよ。私の部屋はいつになったら綺麗になるんだよ。
🍩🍩🍩
家に着くと、やっと一日が終わった気分になる。脱いだ靴は揃えない。キッチンに直行して、手を洗って、水道水をやかんにいれて沸かす。麦茶のパックを一つ、入れる。紙袋からドーナツをカサカサと取り出す。チョコのかかった甘ったるいドーナツをかじると、100円の味がした。これが一番おいしい。ドーナツ界の中で、これが一番。写真映えもしない、ヘルシーでもない、それでもこれが一番。生きている味がする。こんな他愛もないドーナツを噛みしめながら、私は今日も明日も生きていくんだなと思う。ドーナツを半分食べ進めたところで、やかんがひゅーひゅーと音を立て始めた。湯気が白くてかわいい。
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くるクル狂ドーナツ、これにて【完】と致します。
読んでくださりありがとうございました🍩
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