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26歳、結婚がこわい


私は結婚がこわい。

ひとり、またひとり。「入籍しました」「結婚のご報告」「出産しました」って文字を眺めながら何とも言えない感情が押し寄せて来る。おめでとうと思う。心から。でも、おめでとうの次に何と続ければ正解なのかが未だに分からない。おめでとうでしかないからだ。
私も結婚したいだとか、まわりが次々に人生のコマを進めているようで焦るだとか、幸せそうで羨ましいだとか、口先では何とでも言えるのだけれど、心の奥底では別にそんなこと思っていないような気もする。結婚や出産は、私にとってまだ他人事のように思えるのだ。

私は、結婚がこわい。

漠然とこわいと感じている。できることならまだ、他人事にしておきたい。深く考えたくない。

結婚の何がこわいのだろう。一体私は何に怯えているのだろう。今まで深く考えることを避けてきた。でも、いずれ向き合わなければならない日がくることも分かっている。逃げ続けてきた自分の気持ちと向き合う第一歩として、結婚についての今の私の率直な思いを残しておこうと思う。

結婚がこわい。私は名字を変えたくない。自分の姓名がけっこう気に入っている。名字が変わることで発生するであろう様々な手続きも面倒だし(私は極度の面倒くさがりや)、職場でも自分の元々の名前で働きたい。結婚をしたら大体女性の方が名字を変えている。私の友人や知り合いもその方式を採用している人が多い。もちろん夫婦別姓を選択することもできるけれど、やはりまだ一般的になってはいない。色んな考え方の人がいることは分かっているつもりだけど、冗談でも「夫婦別姓を選択するなんてそんなに夫の名字にしたくなかったの」みたいなことを言われるとへこむ。大好きな人と同じ名字を名乗ることができるということに幸せを感じる人もいるだろうし、それも一つの幸せの形だと思う。でも、別姓を選ぶからといって愛が足りないなんて思われたくない。

結婚がこわい。個人同士、ふたりの問題に見せかけて、バックに家族や親戚の影がチラチラと見えるのがこわい。実際、結婚する本人たちだけでなく家族同士の付き合いになると思う。当人同士に何の悪意がなくても、家族同士で折り合いがつかないことも稀に(よく?)あるようだし、結局結婚は家と家の問題なんだなあと思わざるをえない壁にぶち当たることが多くて、辟易してしまう。愛だけで結婚は成立しますか。駆け落ちしたふたりは今でも幸せですか。ずっと幸せですか。

結婚がこわい。結婚したら次は出産だね、みたいな「当たり前」の押し付けがやって来るのがこわい。そもそも私は子どもをうむこともこわい。自分が母親になるなんて到底無理な気がしている。私のようなこんな幼稚な人間が人を育てるなんておかしな話だ。むかし、とてつもなく自分が嫌いだった頃、もし子どもを産んだら自分の分身ができるんだなと想像して地獄だなと思った。大嫌いな自分の分身なんて絶対愛せないじゃんって思った。今はその気持ちは和らいでいるけれど、それでもこわい。子どもを持たない夫婦がたくさん存在していることも知っている。理解している。けれど今もなお、結婚→出産という流れが「当たり前」だと思っている人々がいることも現実だ。それがこわい。私は「当たり前」の押し付けがとにかくこわいのかもしれない。

結婚がこわい。仕事をやめるのがこわい。職種にもよるとは思うが、今私がしている仕事を結婚してからもそのまま続けるとなると少し厳しい気がしている。今はひとりだからとても身軽だ。転勤になる度に引越しを繰り返し、仕事で家を数週間や数ヶ月あけることも珍しくない。勤務はシフト制で、夜中まで働くこともあれば早朝勤務、夜勤もある。しかしもし結婚をして相手(ごく一般的な勤務時間、カレンダー通りの休み)と生活リズムを合わせるとなると、今のように好き勝手に働くことはきっと難しい。結婚と同時に退職していく同期や同僚をたくさんみてきた。自分は結婚を得て仕事を手放す選択ができるだろうか。
それにもし仕事を辞めたとしたら、相手と一緒に住むために新しい場所で仕事を見つけるとしたら、また運良く正社員で働けるのだろうか。私は一から頑張れるのだろうか。頑張って築き上げてきた人間関係や、もらった役職や、身につけたノウハウ、それらがリセットされるのがこわい。

結婚がこわい。私はずっと「私」でいたい。奥さんだとか、ママだとか、そんな決められた名前で呼ばれたくない。ずっと私の名前を呼ばれたい。ずっと私でいたい。自由でいたい。

ここまで書いてやっと気付いたことがある。そう言えば私は、もとより変化が得意ではなかった。環境が変わることがストレスになるタイプだった。それは、基本的に人を信用していなくて、周囲に適切に頼ることが下手で、一人でなんでも抱え込む性格だからだ。さらには「自分はこうあるべきだ、こうしなければならない」という気持ちが先走りすぎて、気持ちに行動が追いつかない自分をやたらと責めてしまう。

私は結婚がこわい。結婚は人生において大きな「変化」のひとつだからだ。結婚したとして、大きな変化を迎えたとして、この先何かあれば誰かが助けてくれるだろうと簡単には思えない。きっとどうにかなる未来がやってくるだろうと許すことができない。「結婚してうまくやらなければならない」「妻として、母として、ちゃんと役割を果たさなければならない」そんな気持ちがどこかにずっとある。そうやって自分自身を自分の「当たり前」で縛っていたのだ。

私は結婚がこわい。結局のところは世間でも世論でもなんでもなく、私は私の凝り固まった価値観と、自分へ課す大きすぎる責任や義務がこわいのだ。今まで世間や世論みたいな大きすぎるふわっとしたもののせいにしてきたけれど、これは紛れもなく私の問題だ。

私はまだ、結婚がこわい。それでも、これから少しずつ自分を許すことができる柔らかさを手に入れていけたなら、ちょっとだけ結婚がこわくなくなるかもしれない。でも、ずっとこわいままかもしれない。どうなるのかは私にもわからない。大好きな人がいてずっと一緒にいたいけれど、その答えが結婚なのかは今のところ正直分からない。好きという気持ちだけで結婚はできますか。こんなはっきりとしない私をもう少し待って、見守ってくれますか。結婚って、どれくらい良いもんですか。こんな結婚に対してめちゃくちゃな気持ちの私が結婚して大丈夫ですか。








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