醜形恐怖症の君へ
私も長いことこの病気に苦しみました。
とってもとっても辛いですね。
簡単に「気にするな」と言ったとしても届かないし
うかつに「君は綺麗だよ」と言っても
慰めになるどころか「どこが!?馬鹿にしてんの!?」と
反応したくなるでしょう。
でもね。
病いはギフト。
そういう一面もあるのじゃないかな。
「治そう」なんて思わなくていい。
実際、私も「治って」なんかいない(笑)
ただ、苦しみを和らげることが出来るようになっただけです。
きっと私たちは、醜に敏感なのね。
それはすなわち、美に敏感だということ。
醜いものがわかるということは、
美しいものがわかるということ。
美しさに鈍感な人、醜さに寛容な人には無い何かを、
私たちは持っているのではないかしら。
だから、これを「病気」と呼ばず「才能」と呼んだって
悪くはないと思うのです😊
この才能を、「自分や他人を傷つける為」に使うのをやめて
違うことに活かしてみる、そんな選択もあります。
私の場合は、若い頃に「セレブお抱えのメイクさん」になった事をきっかけに、【他人を綺麗にする】ことに活かすようになりました。
今ではスピリチュアリストですが、
私がクライアントの為に選ぶ「色」、「眼鏡」、「髪型」などは
喜ばれ、信頼され、感謝すらしてもらえてしまいます。
私はただ、「それは似合ってない!こうすればきっと綺麗に・・」と沸いてきてしまう想い、アイディアをぐっとこらえ、
こらえ続け、【選んでください】と言って貰えるのをひたすら待ちます。
(そうでなければただの押し付け)
待ち続ける間に、「いつか勧めよう」と楽しみにしてその人に紹介したい情報を集め続けたり、より良いもの、より楽なものを探したり、
相手が不器用であれば、コツを教えられるように準備しています。
この、「こらえる時間」もとても楽しく幸せです😊
楽しく幸せにやっているだけなのに、
何故か感謝されてしまう。
これを「病気」と呼び続けるのは、この才能に失礼だと思っています(笑)
私は目が厳しくて、自分に対しても他者に対してもすぐに「不細工っ!」と口にします。
素直なものですから(笑)
でも、【言うなら改善出来る時】【言うのは乞われた時だけ!】と決めています。
改善策も提示出来ないのにこき下ろすだけこき下ろすなんて
あまりに無責任。
そんな事はいくら病気だからって許されない。
【病気は免罪符ではない】のです。
そして。
【ブスは免罪符ではない!】のです。
ブスだから不幸(自分を幸せにしなくていい)
ブスだから嫌われる(本当は自分が美人が嫌い、他人が嫌い)
ブスだから仕事も出来ない(うん、そのくらい辛いよね!)
ブスだから恋愛のチャンスもない(世の中を見て検証してみるくらいしろー!w)
どうか、なんでもかんでも「ブスのせい」にするのをやめてみてください😊
泣いてもいいから。苦しんでもいいから。
それはきっといずれ思いやりに変容するから。
だから、もう、ブスを免罪符にするのをやめてください。
そしたらきっと、世界が変わる✨(才能の活かし方もきっと見える)
美を見つめれば醜を見出してしまう。
でも
醜を見つめれば美を見出してしまうかもしれない。
それも私たちのギフト。
この二元性の地球の真実。
ちょっと時間ないのでツラツラ書いただけで投稿しちゃうね。
君に、君に、君に。届きますように。