ダンジョン飯のちょっとした感想
最終巻の話なので、ネタバレ厳禁な人はブラウザバック推奨。
……どうもでいいけれど、ブラウザバックってところによっては死語では?
というか、死語という概念そのものがすでに死語感ある(ずっと言っている
○ライオスというトールマンについて
ライオスという人間が持つのは求心力ではなく受容力である。
少なくとも、私が読む限りにおいて彼に人を惹き付ける魅力があるようには描かれていない。
少年期のライオスは妹であるファリンの件に対する村民や両親との確執もあってか、有り体に言えば人間不信を募らせていた。
そんな少年期のライオスの根底にあった人間への不信感は成長するにつれて無関心へと昇華され、今のライオスができあがっている。
結果として、彼は良くも悪くも相手の人間性——特に人間との関係性——に無頓着となった。ライオスが個々人を見ることはあっても、個人間の繋がりやその先の社会との関係性に対して意識を割いていないことは随所に見られる。
また、本編前にあったパーティ解散危機の原因となった魔術師の女(≠マルシル)との色恋沙汰についても、自身がパーティリーダーであり、ある程度の裁量がある(特別扱いができてしまう)からこそ起きていたという認識がほとんどなかった。
これらは悪い面ばかりではなく、はみ出し者などにとっての受け皿となっていたという側面もある。
事実として、パーティメンバーを募っていた際、ナマリはかなり困っており、条件をかなり低くした上でパーティを探していた。場合によってはあくどい集団に引っ掛かっていた可能性や、パーティが結成出来ずに島を去らなければいけない場合もあった。その点、ライオスのパーティは探索者パーティとしてはまともであり、ナマリの経歴を汚すことはなかった。
結局、ナマリは儲けが少ないからとタンス夫妻の方に移籍するわけだが、タイミングが悪かっただけでナマリの行動自体に問題はない。ただ、タイミングは本当に悪かった。そらマルシルも感情的になる。(けれど、感情の話でしかないのでライオスはマジで気にしていない)
ライオスのパーティでまともに探索者稼業をできていたことにより「金銭に困っている腕のいいドワーフがいる」とタンス夫妻の耳に入ることができたので、その点はかなり助けになっていただろう。
結果として、ライオスのパーティはそういったはみ出し者の受け皿として機能していた。
また、パーティを離れたとはいえ、ある程度の時を仲間として過ごしたナマリはライオスに対して一定の信頼を置いている描写が存在している。
そして、ライオス自身もまたナマリに対して信頼を持ち続けているという描写が存在する。(これはパーティを抜けたシュローに対しても同様である)
これはライオスが人間そのものへの興味関心を殆ど失ってはいるが、個人に対する理解そのものはまだ行おうとしている証左である。
また、彼は感情による他者評価をほとんど行わない。先入観や価値観の相違による拒絶を嫌悪したライオスは、そういった理由での拒絶をしないようにしている……ように見受けられる。
そして、人間が他者を拒絶する理屈はその殆どが「そういったモノ」であるため、ライオスは人を受け入れるための懐が異常なまでに深い人間になっている。
また、彼はそういったこともあってか人の話自体はよく聞く。直すべき部分の指摘には耳を傾け、意見があればそれを踏まえて言葉を交わし、責任者として決を採る。
人の意見は聞き、自身の見解を伝え、行動指針を示す。
結果として、彼は集団のトップとしての適性が異様に高い人間なっている。
ライオスに人を惹き付ける力はないかもしれないが、人を受け入れる力は作中で誰よりもあった。
だからこその、あの顛末なのだろう。
トールマンである悪食王を中心とした多種族国家の成立。
特にオークなどは本来であれば差別と偏見が厳しい種族であるにも関わらず、ライオスはそれを受け入れることになんら問題を示さなかった。
それは魔王ライオスのパーティの在り方そのものの延長であり、彼が中心だったからこそ成立したモノなのだろうと思う。
○で、何が言いたいかと言えば
そんな大陸の王は呪いによって魔物から避けられるようになるわけだが、それもまた国の民が安穏と暮らすのに一役買っているというのが、私はとても好きなんです。
「物理的にもライオスが中心でなければ成立し得なかった国家」であると、そう考えるとなんだか面白くて、私はただ、それを言いたくてこんな駄文を書き連ねたわけなんです。
○↑嘘です
前置きがちょっと長くなりましたが、本当は今から書く話をしたかっただけです。
気付いたときにかなり笑顔になれたので、最初に読んだ時の私同様に見落としていた人に気付いて欲しくて書きます。……見落としたのが世界で私だけだった場合は笑い話にしてください。
最終話で悪食王が子供たちに「どうしてそんなに食事にこだわるのか」と聞かれ、それに答えるシーンがあります。
生にのみ許された特権。悪魔すら魅了した欲望。
だからこそ、彼はそれに向き合い続けようとしているのでしょう。
それがライオスなりに出した答え。
そして彼はこう言葉を続けます。
『ダンジョン飯』という作品を締めくくるに相応しい終わりですね。
……とまぁ、こうしてみると読後感ばっちりな締めなのですが、この最後のコマをね、よく見てほしいのですが、ライオスがコボルトの子供を持ち上げ、しかと見つめつつ笑顔で「今日は何を食べようか」と言っているわけですよ。
悪魔すら食べた魔王が、
亜人の子供を持ち上げながら、
笑顔で今日の食事について話す。
……おっとぉ?
そう思われても仕方がありませんね。事実として、その周囲にいた子供たちは皆一様に持ち上げられた子供が食べられるのではないかと焦っています。
最後の最後まで感動だけでなく笑いもくれたダンジョン飯という作品に感謝を。
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