空洞aka芯
「地元、最高。」
このセリフは、よく聞くセリフでもあり、SNSの画像付きのコメントでもよく多用されて目にする。小中学校で培った人間関係は不思議なほど引き裂かれない。私の場合だけなのかもしれないが、なんだかんだで繋がりがある。
僕の地元の友達は最高だ。改めて言う必要なんて全くないのは分かってるし、この文章を目にした地元以外の人たちが、冷めた目で見ようとするのも分かっているが、それらを無視し、言いたくなる程である。だから今でも繋がりがあるのであろう。誘い断りまくって、偶にしか行けない事は本当に毎回申し訳なく思っている。懲りずに誘って欲しい。我儘。末っ子の特権。
昨日、久しぶりに地元の友達と呑んだ。
酒の席で話した内容は、今思い返しても震える程、学生時代の自分達からは想像も出来ないほど大人びた話になっていた。まだガキで居たい、まだ若く居れていると思っているからこそ、大人びたと感じてしまったのかもしれない。
具体的な仕事の話、それに見合う給与の話、ボーナスの話、自分の経済力を加味した上での現在欲しい車の話などを彼らはしていた。自分はその話を聞いて、皆の成長を嬉しく思うと同時に、寂しくも思った。色んな事が寂しかったし、悔しかった。自分は置いてかれている事や馬鹿らしい話の数が減り、賢い話の数が増えた事。こうなるなら大人になんて、、とも思ってしまった。ありきたりだな笑
こう書くと、その呑み会で自分だけ冷めたテンションになった話に思われてしまうが、そんな事はない。めちゃくちゃ笑っていた。誰かの行動や言動で笑ってしまうのでなく(もちろんそれもある)、その場に取り巻く雰囲気で笑っていた。こうなったら誰も何も勝てないなぁとも思ってしま程だった。まぁそれも悔しかった。
その呑み会で、「清水(友達)って面白い感じ出してるけど、面白くないよね」という話が一番盛り上がったし、自分の中で一番鮮明に記憶されている。
なんて清水にとっては残酷な話であろう。心中お察ししちゃう。
だが、なぜかメチャクチャ盛り上がった。清水にとっては残酷な話である。
清水は面白いのかどうか論争の結論は
「清水は面白い雰囲気出してるけど、芯がないから何も面白くない」に帰結した。
こんなにも問題提起と結論に変化がなかった議題は珍しいし、清水にとっては残酷な話であるし、清水の心中はやはりお察ししちゃう。
清水は、「地元の友達と楽しく飲もうと思って来てるのに本質の部分責められるの、仕事で怒られるよりキツイわ」と嘆いた。至極真っ当である。ごめん清水。
その際に、「清水はバームクーヘンだ」「バームクーヘンみたいに周りは美味しいけど、実際大事な真ん中の芯の部分は空洞で何もない」「パウンドの部分だけだとすぐ彼女と別れる(無理矢理)」という例えを出して清水を口撃していた。
帰ってから、地元の呑み会が楽しかったなぁと最初から最後までを細かく振り返っている時に、この場面が猛烈に回想された。何回もそのやりとりが脳内で再生され、清水の心中を何回もお察しして、それと同時に、こうも思った。
「なんでドーナツで例えなかったんだろう。」
誰かが初めにバームクーヘンと言ってから、みんなバームクーヘンになぞって言葉を清水に浴びせていた。自分もその一人だった。
真ん中が空洞の物の代表格は間違いなくドーナツであるにも関わらず、バームクーヘンに私たちは例えて、それを、変にも思わず笑いあっていた。
私にとって、ドーナツよりバームクーヘンの方が価格としては高く、普段手にする回数も多くないといったイメージ。そして、大人寄りな食べ物はドーナツとバームクーヘンどちらですか?と聞かれたら、間違いなく後者を選択するであろう。
なぜ皆がバームクーヘンの例えを出したのかは、一生分からないだろうし、多分皆何も考えずに言ってる。何も考えずにバームクーヘンを例えとして出す人たちを私は、潜在的天邪鬼だと思うし、お洒落な感覚だなとも思うし、変だなとも思うし、センス抜群だなと震えた。
分かってる。身内を褒めるほど、身内外からしたら冷めるものは無い。心中をお察しするのは清水が鍛えさせてくれた。
良い。それくらい内が楽しいし好きなのだから、隠す必要はない。
ちなみに、芯がないと言われていた後に、それぞれ全員芯ないじゃんという話で終わった。さすがの終わり方である。流行りの誰も傷付けない笑いの先の、全員を傷付けて誰か一人を傷付けた事にしない笑いである。
全員が全員を芯がないと言い合った。そして全員笑って納得した。芯がないと認められるこんなに面白い人たち、全員に芯がないなら、こだわる必要もないなと思えた。これだから会うのを辞められない。呑み会行って良かった。
ちなみに、その日、バームクーヘンこと清水が着ていたパーカーが、ブランドからサイズから全てがお揃いだった。俺もドーナツじゃなくバームクーヘンに例えてもらえれるようになろう。