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身体感覚をチューニングするAokinodaira Field - ist

標高1,300mの山間の澄んだ空気。風が吹くと頬にあたる空気は冷たく、そばを流れる小さな川のせせらぎの音を届ける。

冬の気配がすぐそこにある11月末。長野県と山梨県の県境に位置する八ヶ岳の東麓は、すでに紅葉シーズンは過ぎており、木々のシルエットが、清々しい美しさを纏いはじめていた。

風で落ち葉のこすれる音。キャンプ場を歩く人の足音。少し離れたテントから微かに聞こえる談笑。川の音。人の気配がほどよいキャンプフィールド「Aokinodaira Field - ist 」のコテージに、私は2日間滞在した。

身体が緩まる感覚とでもいうのだろうか。自然をそばに感じられる小屋で、なにもしない時間を過ごしてみたら、人としての活動の実感を取り戻したような気がした。「東京での生活って、緊張しているんじゃないか」と、日常の時間への意識が変化したAokinodaira Field - ist の滞在記です。

普段の暮らしを、自然の中で

istは2万坪の敷地に、テントを張れるキャンプサイトとコテージがあるフィールドだ。istのコンセプトは「普段の暮らしを自然の中で」。

ここでは、非日常的な自然を一時的に体験するのではなく、私たちの普段の「日常」が自然とともに営まれることを理想としており、自然とともに過ごす滞在ができる。

1日目。甲府駅から八ヶ岳へ

長野県と山梨県の間に位置する八ヶ岳は、意外と東京から近く3時間ほどで着く。私たちは電車で甲府駅まで行き、甲府駅で車を借りることにした。甲府駅からistまでは1時間ちょっとだった。

気持ちのよい秋晴れのなか車を走らせると、標高が徐々にあがってゆき、見頃の紅葉が迎えてくれた。途中でローカルスーパーの「ひまわり畑」へ立ち寄る。

八ヶ岳のビックリ箱とも言われてるひまわり畑は、地元食材はもちろん、パンや加工食品も長野の名店のものを多く取り扱っており、食が好きな人ならかなり楽しめるスーパーマーケットだ。なにより、いい肉が安く、いい酒も豊富である。

あと、メンチコロッケと社長の店内放送によるマイクパフォーマンスが有名だ。目的地になるスーパーマーケットと言っても過言ではないと思う。気になる人はぜひ調べてみてほしい。

istで自炊をしようと目論んでいた私たちは、新鮮な野菜と肉と酒を買い込んだ。ひまわり畑からさらに30分。ナビの誘導に従って、畑の中をそろそろと走っていく。

「本当にここでいいのだろうか…?」と不安になるタイミングで小さな看板が表れた。看板に従い、借り物の車を、ガタガタと揺らしながら坂を下っていくと、いよいよ森の中だった。

千曲川の源流が流れる谷あいにあるキャンプ場「Aokinodaira Field - ist 」に到着した。

まずは辿り着いたことにホッとしながら、チェックインを済ませ、今日の私たちのすみかになる「nest」へ向かう。

まるで私たちの小さな家 nest

この日泊まったのは20㎡のワンルームの小さな家「nest」。こじんまりとした愛らしい空間だ。

ワンルームだが、床に高低差を設けることで、寝室・キッチン・リビングの機能がやんわりと仕切られている。デッキに続く大きな窓からは、川が見下ろせる。

寝室からベランダまで、まるで山の斜面に沿っているようで、部屋にいるのに、なんだか自然の中にいるような感覚になる。

すっかり冷え込んでいる部屋に、暖房をつける。端正でよそよそしい空間を、荷物を整えたり、食材を片付けたりして、自分たちの仕様にしていく。余所者の私たちを、美しい部屋に馴染ませるちょっとした儀式だ。

ひと段落ついたところで、コーヒーを煎れ、長距離移動で疲れた身体をソファで休める。独特な汽車のイラストに惹かれてパケ買いしたご当地牛乳が、濃厚でおいしくて、嬉しくなる。

この旅行で、私たちは八ヶ岳のしゅっぽっぽ牛乳のファンになってしまった。

焚き火と食事と、映画だけの時間

パートナーが食事の支度をする間に、私は火起こしをする。焚火だなんて、いつぶりだろう。小学生以来かもしれない。

受付で薪を購入したのだが、スタッフの方に「それっぽく組めば、着火剤もあるので、初めての方でも簡単に火をつけられますよ」と説明を受けたが、どうにも不安で、乾いた落ち葉と小枝、松ぼっくりを集め、野外学習で学んだ遠い記憶を頼りに薪をセットしてみた。プチキャンプ気分だ。

私が準備を終えると、外はだいぶ暗くなっていた。山間だから日が沈むのが早いのだろう。少し身体が冷える。ガラガラっと、ベランダから小屋に戻ると、小屋の中は肉の焼く匂いに包まれていた。あぁ、おなかがすく。

長野県産牛100%のハンバーグとソーセージに、赤かぶのスープとパン。それと、先ほどistのラウンジで買ったクラフトビールも一緒にあける。赤かぶのスープの色と、ペアリングしているみたいだ。

赤かぶは、初めて見て興味本位で買ったのだが、シェフいわく、小さなキッチンゆえに家とは勝手がまるで違うので、つくるのにかなり苦労したそうだ。

シンプルで、素朴な食事だった。たくさんのことができないキッチンでつくられたシンプルな調理だからこそ、ひとつひとつの食材の味がメインになる。そんなおもしろさに気づき、食の感動を2人で共有しながら、ゆっくりと食事をした。

食事をするだけの時間。旅先で、その土地の食材を料理したからこその美味しさ以上に、心に沁みる感覚があった。

今日あったこと、明日の予定のこと、今日SNSで見たニュースのこと、コンビニの新商品のこと。他愛のない会話もいいけれど、今、目の前にある食事に集中する。すると食事の時間というものは、とても豊かであることに気づいた。

食事を終えて、テラスに出る。どんなものかと思いながら、火をつけて、少し見守っていたら、5分もせず薪に火がうつった。火のある安心感。

森と川の音。すぐ下にはキャンパーもいるようだが、落ち葉と闇夜に声が吸いこまれるのか、声はあまり聞こえなかった。

パチパチと薪が爆ぜる音。

火を眺めながら、ぽつぽつと会話をする。ビールを飲みながら、自然がそばにあることになんとなく意識を向けてみる。東京にはない贅沢な時間だね、なんて話しながら、特に何をするわけでもなく、11月の夜の肌寒さにちょっとセンチメンタルな気分になってみたり。薪を焚べ終え火が弱まると、身体も冷えていくのを感じ、私たちは部屋に戻った。

夜は長いが、シャワーを浴びたあとは、とくにやることもなく(それがとてもいいのだけれど)、あえて寝落ちしそうな映画を見ることにした。持参したプロジェクターを寝室にセットして、ふとんにもぐりこむ。

『場所はいつも旅先だった』

遠い異国地。人がいない早朝と深夜の時間の街並みや、街の人々との出会いが綴られた美しい映像が軽やかな音楽とともに流れる。

私はボディクリームを足に塗りながら見ていたが、パートナーは案の定、寝落ちしていた。徐々に私も瞼が重くなり、就寝した。

おだやかな日の光で目覚める

朝、7時前。カーテンのない窓から、降り注ぐ光ともに目覚めた。

少し肌寒いが、布団から出て暖房をつける。ひとつ伸びをし、明るくなったテラスから川を見下ろすと、キャンパーの人はすでに火を焚いていた。

ホットミルクをつくろうと思い立ち、しゅっぽっぽ牛乳を注いだ鍋に火をかける。その間にせっかくだからと、自宅から持ってきた積読本を開く。まるで雑誌の中で、選ばれし素敵な人たちが語る「1日のはじまり」を過ごす。


2日目、軽井沢へドライブへ

私たちは、初日と2日目を別の小屋で予約したため、この日はチェックアウトからチェックインの時間まで、フィールドの外で過ごす必要があり、軽井沢方面にドライブをすることにした。結果とてもいい旅行になった。

軽井沢からほど近いが、わざわざ行こうと思わないといけない場所にあるパンと雑貨の「わざわざ」でシュトーレンを買い、ほど近いセレクトショップで服を見て、本のあるカフェでコーヒーを飲み一服し、偶然Googleマップで見つけたスパイスカレー屋さんで遅めのランチをした。

どこも人気店だから、人は絶えずいるのだけど、東京とは違って、ここには忙しない空気がない。秋晴れに恵まれた長野は、穏やかな時間に満たされていた。

なんだろう。東京のカフェだって、のんびり過ごしているはずなのに、ここでの時間の感覚を知ると、あれは本当にのんびり過ごしていたのだろうか?なんて思ってしまう。長野の時間は、たおやかな時間とでもいうのだろうか。

池のほとりの小屋「float」

2日目の小屋は、池のほとりに浮かぶように建つ「float」。

floatは、母屋と離れの2つの棟からできており、最大4人まで泊れる。写真右側の母屋にはみんなでくつろぐためのリビングやキッチン、ベッドルームがある。

ウッドデッキでつながった離れは、もう2名が泊まれるベッドルーム。このベッドルームはまるで池の上に浮いているような景観がとてもよい。

寝室が2つあるので、家族利用以外にも、仲のいい友人や二家族で訪れて過ごすのにぴったりだと思う。私たちは1室持て余してしまった。

キッチンはnestよりも広く、設備も充実していた。オープンキッチンだから、リビングにいる人と話をしながら料理ができる。きっと夜にワインをあけて、料理をしながら、わいわいと過ごすことを想定されてるのだろう。

リビングにはローテーブルと、ソファ。そして、大きな窓の絵に薪ストーブがシンボリックに置かれており、部屋の中でぱちぱちと薪がはぜる音が聞こえる。広くはないが、天井が高くて、気持ちの良い空間だ。

2日目の夜は、floatのテラスは広かったので、せっかくなので私たちは焚き火をしながら、外で夕飯を食べることにした。私たちはキャンプはできるほどアウトドア派ではないのだけど、コテージでキャンプ気分をしっかり楽しめて、うれしい。

焚き火の準備をしていると、山の天気は、変わりやすいのか途中で雨が降ってきた。雨粒が、池と落ち葉に打ち付けられる音が静かに響く。パラパラパラパラと遠くから、近くから、雨音の重奏を聞く。東京にはない音だ。

食事の準備が整い、外のテーブルに料理を並べる。ちょっとしたキャンプ気分だ。池のほとりで食事をするだけでも、私にとっては自然の中で過ごす体験だった。これがきっと日常の延長の非日常なのだろう。

焚き火のおかげで、私たちは寒くはないが、料理はすごい勢いてで冷えてしまった。そんな当たり前なことに驚いた。

薪ストーブで、しっかりと暖かくなっている部屋に戻り、シャワーを浴びて、暖炉の火を眺めながらストレッチをし、本を読んだり、明日の予定の話をしたり。スマートフォンからの余計な情報に触れず、夜を過ごすと、こんなにも私には時間があるのかとも驚いた。

この日は、焚き火で暖まった身体をに気持ちの良いひんやりとした布団に潜り込んで、眠りについた。

istに2日間滞在して、生活における時間の身体感覚がチューニングされた感じがした。時間に追われずに、料理をすること。食事をすること。食後の時間を仕事でも、SNSでもなく、なにもせずに過ごすこと。

正直言うと、なにもない山の中で2日も滞在して暇をしないか心配していたのだけど、実は、逆で東京にいると、常に私は緊張状態なのだろう。日々仕事をして、SNSでの友人との会話をいそしんで、トレンドをキャッチアップして、週末になにをしようか考える。常に、次は何をしようか意識しながら、スマートフォンに次々飛んでくるリアルタイムな情報を眺めている。

たとえ、食事を大切にする意識を持って、日々ごしていても、私はなにかに追われてるのだろう。あれもこれもしたいという私の想いは「達成した充実感」と引き換えに、少しずつ私たちの本来の感性を閉じ込めてしまっていたのかもしれない。

istに滞在したことで、時間も、情報も、一度手放して、私が私として「生きるための活動するだけの時間」を過ごすことができた。私はあの日、八ヶ岳の自然の中に身を委ねて、日々の時間、未来や過去、緊張した身体や、偏ってしまった感性など、そんな私の中にある感覚をチューニングをしていたのかもしれない。

1年前の、森の中の小さな私たちだけの空間で、あの満ち足りた時間を、自分の身体の記憶として反芻している。きっと私は、あの自然の中に自分がいる感触を求めるんだと思うし、その求める感性自体を見失う前にまたistに訪れたい。

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