もしも伝記作家が音楽に詳しかったらシリーズ (いきなり最終回)
ジョージは1958年2月にクオリーメンのステージを見て、翌3月に加入する。
そして「B7を教えてもらう為にポールとバスで出向いていった」という逸話が生まれる。
つまりこの時点で彼らが知っていたコードはC,D,E,G,A(+D7,E7,G7,A7)くらいだったと思われる。これでもバディホリーを筆頭にレパートリーにできる曲はたくさんあった。
B7を手に入れたクオリーメンに何が起こったか?
ポールとジョージはE-A-B7で‘In Spite Of All The Danger’を作曲し、直後の7月12日にクオリーメンとしてレコーディングして記念すべき自主制作シングル盤となる。
一方で、ジョンもこのコードを知る事となり、B7-E7(Key B)でOne After 909を作り始める。
こちらは60年春のホームレコーディング迄は未完成の状態だったようだ。
完成する頃にはF#という難しいコードも知る事になる。しかし、これでは演奏し辛いと感じていたのか半音上げたKey C(C7-F-G)でも録音している。どっちもどっちでビートルズ時代はKey Bとなっている。
同ホームレコーディングにはポールの I’ll Follow The Sun 初期バージョンも登場する。
この時点では A-D7-A-B7(Key A)となっており、知っているコードを組み合わせてメロディを作るスタイルであるのが分かる。
ちなみに、ビートルズ時代にはG-F7-C-D7(Key C)と変化してリリースされる。音楽的に詳しい人ほど4小節目のD7が斬新に思えるが、実は「B7しか知らなかったから」というのが理由である。
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