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#SELF_FOUND_PHOTO
FOUND PHOTO
世の中には【FOUND PHOTO(ファウンドフォト)】という文化があるそうです。
撮影されたのが昔過ぎて誰の物なのか、誰が写っているのか分からない、そんなフィルムのネガや紙に焼かれた写真を集めて公開する。簡単に言うとこんな感じの遊びです。
ファウンドフォトという文化には否定的な部分も多くありますが、やっている事は理解できますし、楽しさも分かるのです。自分自身も、オークションなどで古写真を落札した事があります。しかし、どちらかと言うと資料的価値を重視した部分が多いので、「写真をレビューする」と言うことはしません。
ファウンドフォトとして公開される写真は、いつ、誰が、どこで、どのような想いを込めて撮ったのか、真相は分からない。誰が撮ったのか分からない、何故撮ろうとしたのかも分からない、それを考察するのは一つの楽しみ方としてはアリなのでしょう。しかし、そこは著作権も肖像権も曖昧な世界であり、作者自身の本当の想いは無かったものにされてしまう。それはなんだかなぁって気持ちになるのです。
写真は人に見られて初めて「写真」になる
写真に関わる人間として、自分にできる表現は何か、自分にしかできない表現は何かと言うことを考えたりもします。ファウンドフォトも一つの写真表現なのだと思います。
しかし、なんだかなぁと思う部分が強く、取っつきにくい世界なのです。でも、だったら自分の写真で同じことをやってみる事にしました。一度はゴミ箱に捨てた写真、それだけを集めて公開すればいい。セルフ・ファウンドフォトもありなのではないか。
露出がおかしい、ブレてる、ピントが合ってない、面白味がない。そんな理由で、自分ではゴミだと思った写真も、他人が見ればそれは立派な写真であり、作品なのではないでしょうか。ただの画像で終わらせるのか、表に出して写真として昇華させるのか、楽しそうなのは後者だと思うのです。
まずは昔のネガをひっくり返して、適当にスキャンして、写真を用意するところから始めよう。気が向いたら写真に思いを馳せてレビューする事にしよう。
外出自粛で撮影に行けない今だからこそ
こんな時期だからこそ、外出しないで写真に触れる。そんな遊びをしてもいいのではないでしょうか。皆さんもゴミ箱からサルベージして、写真を語ってみてはいかがでしょうか。