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遅咲きの花

 人気のない並木道は、いつの間にか地を這ってきて、辺りに重く立ちこめた灰色の霧に沈んで、まるで冥府へと続く一本道のようだった。周囲の木々は日光を遮って葉蔭を作っている。私はそれを屋根にするように道端に坐り、絵を描いていた。やがて、さっきまで澄みきっていた青空を暗雲が支配した。雲間の隙から顔を覗かせた緑色の悪魔が囁いた。
「そうやって我々の世界を上手く描いているつもりだろうが、全くまともな絵になっていない。どうせお前は単に褒めてほしいんだろう?」
 私は怯むことなく澄ました顔で絵を描き続けた。悪魔は苛立って大地を揺らし始める。痩せこけた木々はどんどんと倒れてゆく。隠れていた鳥や動物達は逃げ惑う。私はスケッチブックを抱きかかえ小さく丸まったが、揺れが収まってくると何事もなかったかのように再び手を動かし始めた。悪魔は驚愕し目を見開いた。無理もないだろう。震度五以上もの地震が起こったというのに、私だけが逃げ出さなかったのだから。
「なぜお前はそうまでして絵を描き続けるんだ!」
 私は鳩のような悲しい声を上げて泣き出した。
「私は……誰かに褒められたいから絵を描いているのではないのです……世界がいつの間にか汚れてしまったから、せめて美しい絵画に留めてあげたい。ただそれだけなのです……」
 その時だった。空を支配していた暗雲の裂け目から蒼白く光る小さな星屑がひとつ地に向かって落ちた。手に取ってみると今まで見たことのない美しい宝石のようだった。ふと空を見上げると黄金に輝く天使が浮かんでいた。
「神々の採点として汝にひとつだけ星屑を与えよう。低い評価と捉えるかもしれないが、星屑を与えたのも人類では汝が初であるぞ。これからも世界の美しさを芸術として表現して欲しい」
 響き渡る声。積み木のような世界には、今視えているより、不可思議な領域が待ち受けているような気がした。もう一度星屑を顔に近づけると、懐かしい匂いが鼻孔をくすぐった。




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