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深川未貴「色々あって今があるからシミもできたりする(6日目)」

滞在先である入サ岩﨑商店のすぐ脇には、蛇松緑道がある。

この緑道には、かつて東海道本線の資材運搬のための、蛇松線という貨物列車のレールが敷かれ、明治から昭和にかけて運行していたそうだ。
廃線になった後は、緑豊かな緑道として生まれ変わったが、当時の線路だった面影や、関連資料が随所に残されている。

今回は、その1.8kmほどの蛇松緑道を、ホストの佐々木さんコーディネートのもと辿っていく。

そして、林さんと古地さんという”沼津のプロ”お二人が、蛇松ウォークをアテンドしてくださった。
林さんは蛇松緑道沿いにご実家があり、まだ列車が現役の頃、赤ちゃんだった林さんは、家の横を通る列車の振動で泣いていたという頼もしい近所エピソードをお持ちだ。

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緑道は、管理している地域ごとに雰囲気が変わっていく。テーマを設けて建設されたところもあるそうだ。
場所によって、植えられている植物や、地面の施工、ベンチやオブジェが違ったり、広場に繋がるところもあるなど、意識して歩いてみるとかなり特色がある。

滞在の4日目に歩いていた時は、鉢合った小学生に怪しまれ、気にしてないように振舞うことに集中してしまい、ちゃんと道を見れていなかったので、林さんのガイドで、見えてなかったものも見えるようになった。

レールが残っている
林さんのご実家の湧水。ホースをつなげて排水しているそうだ。

ここらへんは、地面を5mくらい掘れば、湧水が出ることがよくあるそう。緑道沿いにも、突然湧水が登場する。

昔はこういう湧水がいろんなことろにあったらしい。
大きな木がたくさんあり、影ができていて歩いていると涼しいが、蚊も多い。
「漫談 お好み焼」中にいる店員さんに声をかけるも、一言も返ってこず。どんな漫談が聞けるのかより気になる。

そもそもすごい名前だが、終点の狩野川の河口あたりに生えていたという、大きな松にちなんで「蛇松線」と名付けられたらしい。

その松は、大きな蛇が寝そべったような形をしていたらしい。
そして、その老松の樹皮に傷をつけると、流脂血(なんだそれ)をなすという伝説や、蛇が住んでいたという言い伝え、さらに蛇姫伝説などがあったことから、蛇松と呼ばれるようになったという。

松の呼ばれが、今でも道の名前として残っているなんて、よっぽどとんでもない松だったのかなと思う。
でも、沼津の海岸を歩いていると、よく立っているな〜って感じの松が多いので、大蛇のような松もここなら 生えてたんだろうなと感じた。

沼津の海岸沿い

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緑道は人通りも少なくて、猫ものんびりできるほどである。
もちろん、人が歩いたり休んだりする場所でもあるみたいだが、地域の防災避難路、火災防火帯などの機能も兼ねているらしい。

観光地の沼津で、なんとなく生活に溶け込む蛇松緑道が、これからも誰の場所でもある余裕を持って守られていったらいいと思う。

途中、閉館のところをお邪魔させていただいた「モンミュゼ沼津」

蛇松ウォークが終わり、夕方は沼津に滞在したアーティスト3人の活動報告会が行われた。

報告会が終わり、地域の方から、入サ岩﨑商店をリノベーションするとき、ただのホワイトキューブではなく、なるべく元の建物の良さを残して欲しいとお願いしたとのお話が。
集まってくださった方々を見て、この建物が千彩美さんのおじいさんの代から愛され、見守られながら今の形になったんだなと、その最初の滞在アーティストになれたことが嬉しかった。

井口さん
3人で天井や壁に残った木目の後を見ている図。帽子の方は、この部屋の壁画を制作された、沼津在住のアーティストの杉澤さん。
MAWポーズができた瞬間

これからも、Artspace入サ岩﨑商店が沼津のまちと、様々な文化を繋ぐ場として、変わらず地域に愛されていくのだろう。今回、そんな施設の走りだしに滞在し、関われたことを誇りに思う。

この日は一番、沼津に住んでいる人達とたくさん関われた日だった。
いい日旅立ちじゃん、とお風呂に入る前、鏡をみると顔にシミを発見。普段薄暗い部屋で生活しているから気がつかなかった…。
でも、こうやっていろんな人に会ったり経験したりで、私も年を重ねるなりの実りがあるんだからな、しょうがないか、と自分を慰める。
と言いつつも、帰宅後すぐハイチオールを買いに走り、こんな肌歴史は消し去りたいのであった。

おわりっ

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