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山田洋平:龍山町レポート

まえがき

自分はアーティストとしても、企画者としても仕事をしています。今回両面から見たこの企画へのレポートを書きます。書く目的は7日目にも書きましたが自分なりのお礼です。同時に今後参加される方への資料であり、自分自身へのメモでもあります。参考になれば幸いです。


龍山町から得たもの

日記まとめ

既に7日間書いたので、現時点でアーティストとしてこれ以上出せるものはありません。この項は旅を思い出しながら徒然なるままに書きます。ただの感想となりますので、視点を読みたい方は日記の方に、構造分析を読みたい方は下のMAWについてをご覧ください。


徒然

予想以上に多くのものを受け取った旅でした。
行く前に見つけたい、出会いたいと思っていたことは実際3,4日目にはもう出会っていて、残りは更なる贈り物という感じでした。

自分はお土産に住んでいる土地である山代温泉のお菓子・お酒と、山代温泉のお湯を汲んで持って行ったけれど、それがとても好評だったのが嬉しい。それと山代温泉や加賀市の話を沢山できたのもよかった。旅人だからね、他の地域の話をするのが大切だと思ってたのです。

このことは現在進行形の自分のプロジェクトにも影響を及ぼしています。住んでいる土地の話をできるかできないかは他所の土地に行った時にとても重要な事です。


江戸っ子ばなし

自分の出身は東京葛飾区で、両親の両親ともに東京なので江戸っ子。リアルに東京の話すると、子供の頃は

・工業地帯で夜中にも機械の動く音が聞こえる
・油の臭いがそこらでする
・ヤクザが多くて銭湯はヤクザがよく集まっていた
・道路占拠してサッカーをしていた
・ちょっと大きい屋敷があれば庭に忍び込んでみんなで遊んでいた
・駄菓子屋さんがあってそこは子供の社交場で中学生くらいまでの子供達が集まって駄菓子を食べ、アーケードゲームをして子供なりの社会構造ができていた

など華やかな東京のイメージとは全く違う物がある。

東京のイメージなんてここ2,30年で強固に作り上げられた幻想だと思う。『港区女子』なんて言葉があるけれど、それって全員地方からの移住者だよね。港区に古くから住んでいる人に謝れとか思ってしまう。

東京、というか関東に住んでいる人たちの多くは自分の素性を隠す。職業は何ですかくらいはあるけれど、どこ出身かは語りたがらない。方言もたいてい隠す(関西圏は別)。

その中で眩しく映るのは自分の故郷大好き人間。こっちで経験積んで故郷に帰ってこういう仕事したいとか話している人は眩しすぎて直視できないくらい。故郷はこういう事があってこういう場所なんだよと話してくれる人は本当に羨ましい。方言持っているのも羨望の眼差しである。時期によっては実家から送ってきた名産物をおすそ分けしてもらい、なんと豊かな土地であることかと思う。

素性あまり語りたくないなら語らんでもいい。話したくない事は話さんでいい、というのは江戸っ子美学みたいなもので、適度に距離をとる。でも故郷の話をしてくれる人は羨ましい。テレビやドラマ、映画なんかでしか見たことのない世界がそこにあると思う。

地方と言われる場所に住んでいる人にとっては逆なのかもしれない。東京は羨ましい。何でもある。素性を語らずに済む。個人でいられる、など。でも東京でも羨ましがられ、尊敬されるのは故郷を持つ人々。

自分は3年ほどベルリンでダンサーとして生活していたけれど、海外でも同じことがあって、海外で日本の話をすると喜ばれていた。ステレオタイプのニンジャとか、フジヤマ・ゲイシャなんて話じゃなくて、リアルな日本の姿や風習、価値観、歴史なんか話すと相当食いついてくる。そうすると逆に自分の国はどうだとか話をしてくれる。こうして交流は深まっていく。

自分の故郷を持っている、それを自信を持って伝えられることは大切なことだ。誰もが自分に持ってないものを欲しがるし、知りたがる。だから故郷を持つことは他の土地の人間が持ちえない価値を持っているという事だ。

龍山町。ここも素晴らしい土地だった。誇れる故郷だと思う。住んでいた人はそう思わないかもしれないけれど、龍山町を出ていった人も自分の故郷を誇りを持って伝えてほしいと思う。龍山町で育ったことは龍山町で育たなかった人には持つことができない一生の宝を持っているという事だ。
旅人である自分が見つけた龍山町の宝と思えることは全て日記の方に書いてある。これは自分にとって一生の宝で、これからずっと静岡の話になったら静岡県の浜松市には餃子やウナギじゃなくて龍山町って素晴らしい場所があると語り続けるだろう。


これだけのものがあるのに

龍山町から戻ってきて、自分のプロジェクトに取り掛かかっています。でも同じように山代温泉のある加賀市でも在住歴が長い人ほど、ここには何もないと言います。これだけのものがあるのに。

きっと多くの事を見直す時期なのでしょう。今までの構造が使えなくなってきて、新しい構造が生まれる時期に今回龍山町へ訪れることができたのは大きな契機でした。この経験は自分の加賀市でのプロジェクトにも大きな影響を及ぼしています。


マイクロアートワーケーション(MAW)について

この仕組みを作り実現している事に対する企画者・制作者・出資者及びその他関係者への多大なる努力と洞察力、忍耐力に賛辞は尽きません。特筆すべき点は以下の三点です。

1.アーティストへの適度な負荷

毎日noteに投稿することは参加者側としては楽ではないけれど苦でもない、適度な負荷でした。その負荷によって一定の責任を負い、自分自身のアーティストの目によって見た風景・出会いを開示する必要が生まれます。その内容は地域の人々にとって重要なアイデアやヒントを与えるかもしれないと同時に、自身も自分の視点は何か、自分がすべき仕事は何かを考えさせられる機会となり、相互に利益を生む仕組みだと思いました。

更に、その開示方法が基本的に自由であり、写真一枚でも可という設定にしてあるのも素晴らしい点でした。言語化が得意な人間もいれば、他の表現方法が得意な人間もいます。アーティストは特にその振り幅が大きい人たちでしょう。経験を消化して伝えるのに時間がかかる人もいます。それらを全て包括しつつアウトプットを義務付ける設定は素晴らしいものがありました。
自分も消化しきれず短歌に託した日もありました。

2,ホストへの適度な負荷

龍山町のホストの皆さまはこれでもか!というほど諸々準備・気遣いくださり恐縮の至りでした。お蔭さまで貴重な体験や出会い、気付きを得られて感謝しております。その上で、システム的な面が優れていて自分も何か応用したいと思ったのでメモとして記載しておきます。

Website上から見るホストへの依頼は最低限アーティストがその土地に滞在できる準備をし、リサーチを開始できるきっかけを作るという事。後は放置しても構わないし、協力をしても構わないというアソビのある設計。
この設計がアーティスト側にとってもホスト側にとっても過度な負荷になる事を避け、成果をださねばならないという重圧から身を守る優れた仕組みになっていると思いました。成果を出さねばならない重圧は多くの場合短期的な、あるいは短絡的な成果を出す結果に留まります。
この仕組みから、創作も地域振興も短期では成りえず、中長期的な視点に立って行っていかねばならないし、そのためには過度な負荷も短期的な成果も求めないで企画を遂行していく事を重視する意思のようなものを感じました。(短期的な成果としてはこのnoteが成果物と言えますが)
また、ホストもアーティストも人間なので相性によって不具合が生じる事を避けたりする効果もあるかもしれません。

3,目的論ではなく確率論

この企画は芸術文化による地域振興成功の確率を上げる試みだと思いました。
自分は0日目として芸術文化による地域振興の危険性を語りました。

要約すると、

芸術文化によって地域振興を行うという目的も持って活動・滞在すると目的達成のために本当に見なければいけないものではなく、成果を作るために必要なものを取捨選択してしまうのでアーティストの創造性や視点を発揮できなくなってしまう。

https://note.com/microart2023/n/n5c0d990a576d

という事です。目的達成ならばデザイナーやエンジニアの方が理にかなっているし、わかりやすくかつ成果を定量化しやすいのでアーティストである必要はないと考えていました。

しかし実際MAWを体験してみると、成果は最低限のものに留まっている分、現時点での出会いや洞察に集中できる環境でした。MAW企画主旨にも、

将来的に新たなプロジェクトが創出されるなど地域コミュニティの未来づくりに寄与する

MAW企画主旨より一部抜粋

という一文が添えられているように、決して現時点での何かでは無く将来的に何かが生まれる可能性を期待している事がわかります。

極論すれば、何か新しい試みをするという事は特に日本では、『過去の成功例を持ってきてアレンジして行う』傾向が強いと思っています。結果どの都市も似たような都市が立ち並び、その土地の表層の部分をかすめ取って独自性と謳う事が『新しい試み』と名付けられて行われていると考えています。これは都市に限ったことではなく、『現代アート作品』にも同じことが言えると思います。この点が自分がアーティストインレジデンスや、アートによる地域振興に警戒心を抱く源です。(あくまで極論です。アレンジすることによる面白さや創造性も沢山あると知った上での)

しかし実際には新しい試みをしたり、創作したり、地域の独自性を発見し世に訴えたりするのは膨大な時間がかかります。そしてどんな出会いがどんな成果を生み出すかは予想できないのです。

ある目的を持って構造を組み立てる事を目的論による機械構造と言います。
時計を思い浮かべていただけたらわかりやすいです。特徴は複雑であり、部品一つの欠陥が全ての機構に問題を及ぼす脆い構造です。
逆に目的は持たず成る様になってできる構造を確率論による散逸構造と言います。生物を思い浮かべていただけたらわかりやすいです。特徴は複雑であり、部品や構造に破綻が起きても自己修復していく構造です。

社会的に言えば、機械構造とは社会主義です。有能な人間が社会を統治すれば必ずうまく行く、という考えです。
散逸構造とは民主主義です。様々な考えを持つ人間がすったもんだしながら社会を統治すれば何とか成る様になってうまく行く、という考えです。

この企画がどちらに属すかは明らかに散逸構造に属して行っていると思います。日本全国からアーティストが集まり、地域の人間と出会い、すったもんだしながら将来的に新しい地域の構造が生まれる事を願う事。
世界的な有名なアーティストが来てそれを軸に地域の構造を作っている事とはわけが違います。

新しい地域の構造が生まれる可能性を高めるのは出会いの数です。全体で見れば大成功と言える地域もあれば、大失敗と言える地域もあるかもしれません。ですが、この出会いの数だけ新しい地域の構造が生まれる可能性は高まります。そうして生まれた構造はちょっとやそっとの事では揺るがない強い力を持った真の地域振興であり、アート作品と言えるでしょう。

新しいものが生まれるまでには時間がかかります。それはアーティストにとっても地域の方々にとっても。それを願い長期的視点にたって活動を行い続けるのは忍耐力と理解が必要です。それをこの形で実行しているMAWについては改めて敬意を表しています。そして僅かな期間ですが関われたことを誇りに思います。

あとがき

5000文字近くなりましたね。読んでくださった方、ありがとうございました。
最終日の打ち上げで、旅人は適度な無責任と距離感でホストといい関係を築けるね、というような話をしていました。旅人は適度に無責任で無関係です。
旅人は古来からその土地に無い物を持ち込んで、交流を促したり発展に無意識に寄与したりする存在でした。私が良い旅人であった事を願い、現時点で可能な限りお土産を置いてみました。また出会えることを願っています。
そして山代温泉にも遊びに来てください。ここにも色々な面白い場所や人がいます。またどこかでお会いしましょう!

感謝を込めて

山田洋平



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