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早渕仁美「私の肩を叩く。(滞在まとめ)」


海が何度でも。何度でも肩を叩いてくれた。

神社が丘の上にあることを市場の人から聞いて、一人のしのしと山に登るように坂を歩いた。風が道中の笹をざわつかせていて、こちらに喋りかけてくる。この時の台風に感じた風は、旅の途中に「風強いですね」と町の人に言う度に鈍い反応だったから、そんなに大したことではないのは段々分かった。頂上。どんつく神社は象徴的なお祭りを行う神社で、特徴のある御神体がお祀りされていた。しっかりと手を合わせて、近くのベンチでわさびいなりを食べる。

ベンチの側には鳥羽一郎さんの歌の歌碑があって、稲取の築城石が使われている。このような築城跡は町のあらゆるところに点在しているのだけど、稲取はその昔、築城石の産地としてあって、ここで切り出された石が江戸城建設に使われるために運搬されていた。いざ石を目の前にすると、どうやって?!という大きさをしているが、当時の環境で人間の知恵と人力の限りを尽くして切り出し、運んでいたのだとか。でもでも、その石たち全てが無事に運ばれたのではなくて、途中で断念せざるを得なかった石や積み込みの時に誤って海中に沈んだ石もあったとも記されている。

神社の向こうに灯台があることに気付き、近付いてみる。その稲取岬灯台は登れなかったんだけど、すぐ側に少し登れる展望台があった。
そこからの景色は、今まで顔を出してくれていた海の顔とはまた違って、横にずーーっと海が伸びていて、遠くに伊豆半島の続きが見えるような、俯瞰した景色。展望台の角に、一番海の近くに、顔に強風を浴びながらその景色を望んだ。強い風と一緒に、いっぱい情報が飛び込んできて、いきなり泣けてきた。

普通であって、微動だにしない、平然とした、この目の前の海の中には、昔沈んだ石が今も沈んでいる。そう思った瞬間に、誰もいなくても全部がいる感じがした。
当時の人が、あ!って落としたのかもしれないし、大変な衝撃で落ちたのかもしれない。そうやって巡らせることで、全部を感じて、何か、泣けてきた。

私は旅のnoteで記してきた通り、今回の旅で地図や観光情報には載っていない、稲取に関わった人が持っている「場所」を探した。海、湾、家、道。場所はいつもそこにある。その中でその人の人生の中であるとき出会った「場所」を探した。

町の人の「場所」は、展望台の角で感じた「全部」であった。
全部は、ひとつひとつだった。私はそれに出会いたかった。

それで。
今回のホスト役である合同会社so-anさんの赤橙という宿に後半は一人で泊まらせて貰ったんだけど、そちらの宿は港町の民家の間に他の民家と様子が変わらない形で平然とあって。それこそ、平然とある海のように。そちらの部屋ではいつも朝、近所の人の声が聞こえてくる。

「太陽がさっきこの辺にあったんだよ〜」
「あれなんじゃない?」
「ああーこっちにあったわー」

姿は見てないし、何を言ってるかは分からないんだけど、それがとても心地よくて、東京で聞こえる近所の声とはどこか違っていて、いつでも、ここに来たら聞ける声だって思った。自分がここにくれば、オートで再生されるような。つまり、ここの声のような、音のような。

私は普段、人の中にあるものや、その辺りにあるあらゆる痕跡などを手掛かりに作品を作っている。
それは、稲取の人が道を歩いて、近所の人に挨拶をして、今日のお昼ご飯を作ったり。それと変わらない。逆にそれくらい、それがいかに大事なことかということで。
今回の旅では海が、全部が、私の肩を叩いてくれた。

今回、旅をさせていただいてありがとうございました。
心から感謝しています。


ここからは謝辞です。
共に旅をしてくださった、
ずっと音楽の人で、話の本質をついてくれるRyota Mikamiさん、
いつも楽しい世界にいてくれるあまるさん、
稲取との架け橋になってくださったホスト役の、
稲取を動かしていてさらに悟った印象の荒武優希さん、
軽やかで強い人、荒武悠衣ちゃん、お部屋に案内してくれるこはくちゃん、
達観した年齢不詳の動く少年の新井翔さん、
しっかりしていてキラキラした目で話を聞いてくれる梅田るなさん、
今こうしている間にもご自身の生活をしている稲取のみなさん、
本当にありがとうございました!!
また稲取を旅させてください。
今後ともよろしくお願い致します。

ええ写真!!


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