鈴木のぞみ「この旅からはじまる(南伊豆町 滞在まとめ)」
終わってみれば、7日間という短かった南伊豆町の滞在。
もっとお話したかった、もっと知りたかった、あの景色のもとでもう少し時間をかけて曲作りをしたかった・・・など、心残りと別れの淋しさが残った。
そんな思いから、帰り際、時間がない中でどうしても・・ともう一度30分だけ出向いて伊浜の海の音に、自分の音を重ねた。
この期間出逢えた人たちの顔を思い出し、気持ちのままに鳴らした音は、今あらためて聴くと淋しく切ない旋律だった。ありがとうと、淋しさが入り混じった。
旅の中盤までは手探りで、一番求めていたところになかなか辿り着けなかったこともあり、「淋しい」と思えるほどこの土地と人に感情が生まれた滞在に至ったことにほっとした。
まとめ文は長いので、完結にこのMAWのアウトプットを記載するとこの2点だった。
1. 作家として、得たものがいくつもあった。来年予定しているソロプロジェクトのトライアルとして良い体験ができ、プロジェクトは、南伊豆町から始めることを決めた。この度は、自分の音とは何か、をあらためて見つめる時間となった。
(文末のまとめ参照)
2. 自分がいつも通りにこの土地で過ごすことで(風景と音とともにスケッチ)地域の方に、新たな感性とアイデアに触れて新しい道ができたと言ってもらえた。アーティストが作る、のではなく 住む方のアイデアとなって落とされたことにこの滞在の意味を感じた。
(滞在記6日目参照)
<7日間の滞在記詳細はこちら>
1日目 湯けむりに揺れる太陽
2日目 ぽちゃん、と音が聴こえるような
3日目 火山からのおくりもの - 万華鏡の中にいるような
4日目 おじいさんのランプ
5日目 消えゆく風景と伝承
6日目 特別な何かでなくても
7日目 海からのおくりもの
■ この旅で出会いたかったもの
私の作品づくりの中で大切にしているもの、それは、地域や人や、自分以外の誰かの想いが交じること。そうでないパターンもあるけれど、純粋に作家としての作品制作においてはこのプロセスがとても大事。
だから、ここ近年は、対面する人から直感でもらった実際の音(ミ・ソ・ラ 等)の3パターンくらいから、モチーフを作って書き下ろす。
その人の想いを受け取って、作ることでとても自分も豊かになる。
伊浜海岸を案内してくれた松本恒明さんは、伊浜のことを本当に愛して、毎日海から流れ着いてくるモノをいろいろ拾ってはInstagramにあげている。どんな日もそれを続けている、とても愛溢れる方で、南伊豆でこんな人、こんな想いに会えたらいいなと思っていたそのものだった。
「語れるふるさとがあることは、とても尊いこと」
南伊豆町に行く前に、私の地元龍山町を訪れてくれたアーティストが、私に言ってくれた言葉だった。私は、松本さんやこの滞在で出会った伊浜集落、小浦集落の方々に同じことを感じた。その想いは、とてもシンプルで透明に輝いていて、鍵盤を鳴らしながら見つめていた海の水面の光の粒とシンクロした。
そんな想いを語る人々がいるこの土地を、MAWとか作品づくりとか関係なく、私はただ純粋に好きになった。
■ この旅が自分の音楽にくれた確信
今回のMAWでは、年明けからの小さなソロ来プロジェクトは、<旅する鍵盤と音風景(仮)> のリサーチ的な要素をもっての滞在だった。
天竜の地元でずっと生活の一部のように続けている、音風景のスケッチのような即興の音づくりを、来年とりあえず県内いろんな場所でやりながら、そこで出会った人から音のモチーフをもらって(←ここが大事)
その場所の気配や人の想いを音に残していきたいな、というもの。(ざっくり)なので、初日からずっと、スケッチに最適な条件の場所(↓のような)を探していた。
・その土地ならではの音がきこえている
・その土地ならではの風景
・観光地などの人々のにぎわいのない場所
なかなか難しかったけれど、伊浜海岸の流木ベンチに連れていってもらえたときの感激は大きかった。まさにこれです!!という感じ。
そして、作品に残したいと感じる”人と、その人の想い” に出逢えた。
天竜に戻った私は、いそいそとプロジェクトの準備と整理をして、また伊浜海岸の流木ベンチに戻る予定をたてている。
伊浜海岸でスタンドと鍵盤を並べてやってみたとき、黒いアルミパイプと黒いフレームの鍵盤が、風景と仲良くなれていない感じがして 天竜杉の鍵盤スタンドを作ってもらった。あとは時間を作って戻るだけ。笑
私のスケッチは、セッションのようなもので
波の音、石の音、鳥の声、風の音、チャイム、人の声、など その場所みんなの音(環境音)に、視覚・嗅覚・聴覚を委ね得たインスピレーションから、自分も音を鳴らして仲間に入れてもらうこと。
この音を聴いてほしい、のではなく 仲間に入れてもらってそこに馴染めたら嬉しいのだ。
伊浜海岸で、松本さんからは既にモチーフのもととなる音のパターンを2つもらえたのだけど、雲が出ていて夕陽がバッチリではなかった。
作品には風景動画が必要なので、12月か1月に再訪して、あの海辺でまたオレンジの夕陽を見ながら、松本さんが語ってくれた想いをのせてみようと思う。
■ 旅人としてのMAW
最後に、MAWに関して感じたことを率直に。
今回最終的にとても良かったことは、4泊5日滞在後、一旦地元に戻りもう一度3泊4日滞在したこと。(1日滞在期間を延長している)
最初の滞在では一番求めているところに出逢えず、<MAWは成果を求めない>とは言うものの、どんなに先になっても、どんな小さなものでも残したいという気持ちがあり、焦りを感じていた。
一旦現地を見て、空気を感じて、中抜けで南伊豆から天竜に帰る車の中で、4日間の滞在で心に響いたもの、それと本当に出逢いたいもの、など頭の中を整理し、2日の冷却期間を経て再スタートを切った。
この短い滞在においてはものすごく有効で、これがなければ 焦ってとりあえずいろんなアクティビティを入れてしまっていたかもしれない。
力を抜いてフリーにした最後の3日間は、結局偶然の出会いから 朝から晩までいろんな人にお誘いいただきとても充実した時間を過ごし、こんなに短い時間の中、3ヶ所でピアノに触れる機会があり、ご飯を待つ間、人を待つ間、スケッチができた。
「自然に流れている音が、なんだかとても心地よいね」とその方々がみんな言ってくれたことも自分にとっては気づきだった。
ピアニストさんが来て弾くときはちゃんと聴かないといけないけど、ただ曲をつくるために鳴らしている小さな音が、もしかしたら、海の波のように、鳥の声のように、風景として存在できていたとしたら それこそが自分の音楽なので・・
この南伊豆町の滞在は、土地やそこの人々との触れ合いの中で、作家としての自分とひたすら向き合う、とても貴重な時間だったと思う。
南伊豆の滞在では、伊浜の海岸以外にも自分の心を掴んだものがあって・・
それはこの町の象徴と思えた「湯けむりに揺れる夕陽」と「塩の結晶」。
この2つもいつか作品に残したいと思う。
今この秋、静岡県内で40名程度のアーティストが13箇所に一斉に散らばり、それぞれの感性をその土地に落としていくということは、10年、20年後の静岡はどんなふうになっているだろうか、と未来が楽しみに思う。
私の地元天竜区龍山町では、三度目のホスト、10名のアーティスト滞在を通して 地域の人が「マイクロアートワーケーション」というカタカナの単語を言っても「ああ、あれね」と疑問もなくなった。
小さく、長く、継続できていけたらすごい。もっともっと、芸術家の住みやすい土地になっていくんだろうな。
最後に。
この旅の中で、コーディネートいただいたホストの南伊豆編集室の伊集院さん、渡邉さん、
各集落で迎えていただいた皆様、本当にありがとうございました。短いながらもたくさんの経験をさせていただき、体で感じ、アウトプット欲に至っております。またすぐ帰りますので
宜しくお願いいたします。
そして、
小さなアーティスト性、小さな地域の動きに目を向けて静岡でこの企画を実施していただいているアーツカウンシルしずおかの皆様に、心よりお礼申し上げます。
アーティストとしても、小さな地域に住む1人の住民としても、この機会がなければ成し得なかったことがたくさんあり、いただいた機会を未来に繋げていきたいと思います。
音楽家 / 鈴木のぞみ