山田洋平「高尚な事と俗な事」龍山町3日目
高尚な事は全体の一部に過ぎなく、俗な事も全体の一部に過ぎません。
在野研究者が家全体が本や資料に埋まるまで延々と一つの研究をする事も、遊びと酒に溺れながら土にまみれて仕事する事も、神事や芸事に務め人のために生きていく事も、抱える寂しさは同じような気がします。
歴史や文化を次の世代に渡す事も高尚な志だけではどうにもならず、その土台には遊びや楽しさ、酒や交流、競争や愛憎、虚飾や逃避が必要で、それらが入り混じりながらようやく歴史や文化という謎なものが伝わるようです。
そう、歴史や文化なんて謎なものです。
龍山町には多くの苔があるけれど、世界中の研究者にとっても苔は正直よくわからない生物です。謎多き生物なのです。でも誰しも苔というと思い浮かべる姿や生態がある。しかし大きな分類はできてもよく見てみると分類しきれない多くの例が存在している。
歴史や文化も、実際それって何なのかよくわからない。部分を切り取って分析しても全体像は掴めず、一部の中では辻褄が合っていても全体でみると矛盾だらけになる。
自分は舞踊畑の人間なので、五感を使ってそれを見続けていきます。
今日拾ったもの
▶神社もお寺も分けておらずごちゃまぜで良かった時代が日本にはあった
▶がけ崩れを防止するための植林
▶ある程度崩れていても問題ない道路。通る人間も了承済みで通る道。
▶間伐材をがけ崩れ防止に横たえる
▶リウクウ橋
▶下は仏教様式、上は神社様式
▶左は権現様、真ん中は神様、右は仏様
▶統一化していく事は退化する事
▶残したいから、誤魔化し納得させるために名前を変える。本当の名前は言い伝えで残していく。
▶お上と民衆の化かし合い。どちらも勝者になる時に独自なものが生まれる
▶ある地方ではお寺は全て壊された。
▶山の植物を飲む・遊ぶ・食べる
▶完璧な場所。一つの王国。
▶風を読むためではなく、猿を追い払うため。
▶文化を肴に酒を飲む。
▶お弁当を皆で食べるために神事を手伝う。
▶みんなが好きだし、やってみようさ。
▶衆という呼び名。若い衆、山の衆、おまえさんらの衆。
▶身長120センチ
▶唯一の直線100m
▶山を見て道が読めるようになった。
▶山を見て水の通り道を推測できるようになった。
▶子供がいた跡。愛しい事と寂しい事が同時にやってくる。
▶山の下にバスが見えてから山を下りる。バス停まで10分で行く。
▶無意味なルール。
▶小学校は水の下の時に卒業した。
▶ダムの工事の時は珍しい車もヒトも来てるから暗くなるまで見とれてた
▶高校生の頃バス停で人が待ってて一緒に酒を飲みに行った
▶第一、第二は序列みたいでいやだね。地名じゃだめだったかね?地名じゃ地名が序列になってしまう。
▶説明してくれにゃオラの衆はわからんよ。
▶抜け道を探す
▶黙ってやってから報告する
▶黙認させる
▶お上と民衆の化かし合い。どちらかが勝つと何かが消える。
▶あっちを立てればこっちが立たず。
▶メッキを施す。メッキがはがれる。メッキを塗り直す。
▶町にいる安心感。
▶山の星。
▶車が林を抜ける時の明滅。
▶光の道が水を映す。
▶目的と手段
▶五感を鈍らせるもの
▶納得感
▶無責任を持つ。
▶欲を言えば、期待したい。
▶無くても本当は納得している。欲を言えば尽きない。
▶龍山町でも数名は戦争で亡くなった。
yohei