かずさ「三保チルべ」(6日目)
今朝、歩いていたときに落ちていた松葉をみて、ふと、筆にして絵を描いてみたくなった。
このまま、すぐ描きたいと思い、ホストのOtonoさんの拠点「Otonoma」へ
Otonomaのコワーキングスペースを使わせていただき、作った松葉筆で水彩画を描いてみた
楽しくお絵描きできたので、外に繰り出すことに。レンタル自転車をお借りして、GO!
そのまま駐輪所に自転車を止めて、海へ。
この日は風が強く、波の音が昨日よりも力強く感じた。富士山は隠れているようだ。
筆を置いた石のそばに「はちまき石」があった。
はちまき石は海岸にごろごろ、転がっている。見つけて願い事を書くと、願いが叶うと信じられている、と初日に地元の方に教えていただいた。
わたしの願いはなんだろう。
わたしは今、もっと自己と向き合う必要がある、と感じている。
それは、直前に開催した個展「藁う手」を通り抜けて今、感じていることだ。
わたしは以前からよく、アーシングをすることがあった。
裸足になって、海や川、沼地に立ち、足の裏から身体の電気を放電する、アーシング。
だけど、三保に来て、三保の皆さんの日々の「保全」活動に触れて、ここで「排毒」行為はしたくないと思っていた。
そもそも、聖地、と呼ばれるような土地に来て、エネルギーをチャージする、という意識がわたしにはなかった。わたしは今まで、全身から感じとる壮大な自然の風景の中にいると、自分の異物感を感じていたと思う。そして、アーシングをして、自分の悪いものを、排出する。
それは2つの意味で、今は違和感がある。
1つは、神聖な地に不浄なものを浄化してもらおう、という考え方が、おこがましいことだと感じていること。
もう1つは、わたし自身の存在は、不浄なものではない、と受け入れたかったからだ。
一度、わたし自身の存在をそのまま「わたし」が受け入れることから、自己を見つめたい。
だから、アーシングをやめた。裸足になって、松林の中で「碗琴道」をしたときも、海辺の石の上にいるこの時も、裸足でただ、感じ取っていた。
「ちゃーじ」
と小さくつぶやいてみたけど、きっと波の音が飲み込んだ。
わたしは、この「いし」を見届けることにした。松葉筆ではちまき石に富士山を描いた。石を波打ち際に置いて、見失わないように注意深く、観察する。
波は、いつも同じではなかった。
わたしが油断すれば、足元まで来て裾を濡らす。もっと油断すれば、きっとさらわれる。
わたしは石をみる。
何度も何度も、泡だった波が石の姿を隠した。その石を見続けた。
やがて、この石の姿が現れる。
(なお、環境に配慮した水彩絵の具を使用しました)
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