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あまる「旅人が帰ってこれる街、稲取。(滞在まとめ)」

東伊豆町・稲取地区での、
一週間の滞在を終えました。

宿舎としてお世話になりました、湊庵『錆御納戸 -sabionand-

毎日が如何なる日々だったか。
後日ふりかえろうとしたところで忘れっぽい私を
私自身はよく知っていますので!

日々の記録は時間がかかろうともその日のうちにと、
書き連ねたものがこれらの記事になります。

これらの記事が元になるかはさておき、
活動をふりかえってみたいと思います。

まず初日、
私は稲取滞在に先立って いくつかの目標を立てたようです。
実際の記事をコピペすると下記の内容。

・MEGURI Bouncing!に流されない → やるなら新しいアプローチでネ
・かつての大道芸人たち(旅回り)の足跡を(おまつりばを頼りに)追う?
・ジャグリングのあそび場をひろげてみる?
・地域の「楽しい」予感を見逃さない(飛び込む)
・ステキな朝日を浴びる
・公演の機会を見つける(規模は問わず)
・一日一魚

このうち 手応えが乏しかったのは
ジャグリングのあそび場をひろげる、ということくらいか。

一応、道具をいくつか持ってきて、ひろげること自体はしてみました。
宿舎の前にて。時間帯の問題かな?と思って変えたりしつつ。
これをひろげている間、誰かが通りがかるようなことはなく。一人でみかんを食べ過ごす一時間。

子どもたちが遊んでる場所を見つけて持ち込めば、何かしら反応はあったと思うが、そういった場面に出くわすことは(滞在中は)ありませんでした。
もちろんそこに注力すれば、何らかの発見はあっただろうと思います。


実のところ 私が今回の旅で一番大事にしたことは
地域の「楽しい」予感を見逃さない(飛び込む)』です。

これらの出会いや発見の起点となる活動として、
MEGURI Bouning!』のパフォーマンス活動を
行く先々で「これでもか」とひたすら展開したのでした。

で、いきなりでてくるこのワード、
聞きなれないとほとんどの方が思われるのも無理はありません。
それもそのはず
私の造語で、そのまま「めぐり バウンシング」と読みます。

バウンスボールとは、ジャグリングで使用するボールのことで、弾ませて操るジャグリングツールのことです。
MEGURI Bouncing!とは、このボールを用いて、その場の環境の中でジャグリングが成立するかどうかを探りながら各所を巡る活動です。

目標の第一に掲げた
MEGURI Bouncing!に流されない → やるなら新しいアプローチでネ
という言葉の意味について。

この活動そのものは私の中でほぼ確立されていて、極端な話、内にこもったまま(人との交流なしで)、成立してしまう活動ともいえます。
そもそも、コロナ禍のいざこざの中、人と交流しないでできる地域活動のひとつとして 下田で生まれたコンテンツなのです。

はい、
ここで矛盾を感じた方もいらっしゃるかもしれません。

人と関わらないで活動できるはずのMEGURI Bouncing!が、
なぜ出会いや発見の起点になりうるのか?ということ。

活動中は、常にこんな感じで…
いい場所があれば、立ち止まり…
どこへ行くにも、相棒「ねにべえ」と一緒に…
この左のパペットみたいなのが「ねにべえ」
木箱のカバンにはバウンスボールや撮影機材、スケッチブックなどが入っています。
いける!と思った場所では… すかさずバウンスボールジャグリングに挑戦
どんな場所にも… ボールが弾みそうなスポットが潜んでいます

こんなようなことを、
訪ねる先々でずっとやっていると。

「何やってるの?」
「それはなに?」
「あなた、このまえ〇〇にもいたよね?!」
「このまえ〇〇を通っていたでしょ?」

毎日の積み重ねで、こういう突っ込みをありがたく頂くわけです。

「はい、実はMAWという事業で稲取に一週間おりまして…」

と、そういう会話が自然?!と生まれます。

こうして、
短い期間とは思えぬほど驚くほど沢山の方々と出会い、
思いもかけぬ交流に繋がる機会を得たのでした。

つまり何が言いたいかというと
MEGURI Bouncing!の活動そのものが重要というわけではなくて、
その過程で生まれるアレコレがとても大事だったのです。

これを活動の主軸にすることで、

公演の機会を見つける(規模は問わず)
ことも、日に数回は訪れました。

それは井戸端会議中のお姉さま方の前だったり、
お寺の境内だったり、カフェの店内だったり、朝市だったり。
突然始まるバウンスボールジャグリングSHOWは、
関心を持っていただいたその次の瞬間にははじまるのでした。

そして、
その報酬というわけではありませんが、
その流れで大道芸が話題になることにより
地域の皆様が記憶にとどめている「旅回り大道芸」や、
かつて存在した「まちの小劇場」の記憶にも触れさせて頂きました。

かつての大道芸人たちの足跡を追う

地域の皆さんの記憶のなかには
たしかにかつて存在した旅回り芸能がありました。
バイクのサーカス、相撲の巡業、小屋芝居…
一週間続くという夏祭りは、まさに旅巡業の巡業先にはピッタリ。
最盛期のノスタルジーをそこかしこで感じ取ることができました。

そのなかで
馬鹿囃子(ばかばやし)という郷土芸能の話もよく耳にしました。
明治期に地域の若者の活力のために取り入れたという、おかめとひょっとこの面踊り、らしい。毎年観るのを楽しみにしている方も多いって。
この芸能演舞は夏祭りのときに今でもみられるそうです。

大きな面が、徳造丸本店に…

大道芸という観点からは脱線しますが。

「雛のつるし飾り発祥の地」を謳う地域の文化は
江戸時代の後期頃から、高価な雛人形の代わりに、着物の端切れでつくった雛飾りで、生まれてきた女の子の幸福を祈ったという、つるし雛。
雛人形のかたち一つ一つにも意味が込められているということですが、この中にも「三番叟」や「おかめ」「太鼓」「つづみ」「扇」などが含まれていて、芸能は縁起物と密接な存在にありました。

何度みても壮観な稲取温泉『雛の館』館内。つるし雛のオンパレードに圧倒されます。
撮影自由というのもありがたい。

三番叟に関しては、
おそらく地域に今も伝わる芸能の中では最も古く(原型は平安期???)
今でも子どもたちが舞子となって、演舞が行われるそうです。

外から来たもの、外から連れてきたもの、
自分たちに必要・大事と感じたものは受け入れて、
取り込んできた地域の歴史を感じます。
これは島国日本全体でもいえるのかもしれないけれど。

稲取では
ホスト役として私たち旅人の受け皿になって下さった合同会社so-anさんも
もともとは地域おこし協力隊としてこの地にやってきたことが始まりと聞いています。先々で、so-anさんが地域でおこしている未来志向の新しいアクションの数々をたのもしく、おもしろそうに見守っている地元の方々が多いことも感じました。

そうした背景があって
私のようなヘンテコな格好をした旅人を面白がってくれる雰囲気があるのだろうと感じます。一人旅に興味があるけど不安な人は、まずここ稲取から始めるのがいいと素直にお勧めできます。街の包容力は半端ないですよ。
実際、人のことは言えないが一人でふらっと稲取にやって来る人に、この短い期間にどれだけ会ったことだろう。

また、こういう新しい何かが生まれ興っているエリアで、静岡大学地域創造学環の学生たち(そして卒業生たち)の存在感もありました。地域に入り込んで、役割を見つけて真っ当に諸課題に挑んでいるようです。この学環は活動をおさめ、新設の「グローバル共創科学部」に内包されていくと聞きますが、正直、ここに限らず私個人の大道芸活動の中で、彼らの活動と重なってくることが稀にあり、非常に頼もしい存在に思ってます。
ファイトだ後輩たち!(※同大農学部卒の私)

とにかく。

活動を通じて地域の楽しい予感にふれた私は、
遅くとも来年5月には東伊豆町稲取に戻ってくる機会を得そうです。
ありがたいご縁に恵まれました。

ステキな朝日を浴びる
一日一魚

そんな目標も掲げましたが、これらは難なく成し遂げました。
稲取にいれば、これらのことはむしろ当たり前かもしれません。

旅のまとめとして
本稿を書き上げようとしてますが、なんともまとまりようのない状況で
途方に暮れかけております…

そうそう。
忘れてはならない話題がもう一つ。

活動初日、まちを巡り歩く中で、狭くて迷路のような、ワクワクする小路がなんて多いのだろう、と。上下の勾配もけっこうあって、それが迷路感をさらに助長していて。小さな半島の港町で、海風が強いから密集して建物を構築しているというようなこと(だから消防ポイントがあちこちにある)も聞いたけど、それにしたって、歩いているだけで

「この道の先には、いったい何があるのだろう」

とつくづく思わされました。
そしていろんなところに猫がいて、
めちゃくちゃリラックスしながら旅人たちをも むかえてくれる。

歩いていると
自然と頭の中で流れ始めた、とある唄がありました。

それは、青田ケンイチ『道草』 という唄です。

大好きな、静岡のアーティストで
私の数少ない友人の一人です。

青田ケンイチさん、
青ケンは2021年夏、逝去しました。

もう一緒にクリエーションはできない、と思い込んでいましたが。

そんなことはなかった!!!

彼の唄が、急に上からふってきました。
そして(厄介なことに?!)頭から離れてくれない!!

これは、もう、なんといいますかね、
また一緒に作品つくろうぜ!」ってことだなあ、と、理解しました。

稲取のまちが、私たち二人にくれたサプライズでした。

久しぶりに開いた彼のブログの最後の記事は、
それこそ かつて一緒に創作に取り組んだ最後の大道芸演劇作品
ノスタルジアNEXT』の話題が遺してありました。

でも
これで最後じゃなかったね。

ありがとう稲取。
旅人が帰ってこれる街、稲取。

青田ケンイチ!

この唄にのせて創った、
ミュージックビデオ風の映像作品をお届けして
このまとめ記事を結ばせて頂きたいと思います。

最後になりましたが
滞在期間中、お世話になりました稲取の皆々さま。
同じ時に滞在を共にした旅仲間、
Ryota Mikamiさんと早渕仁美さん(と、沼下さん!)。
ホスト役を務めてくださいました、
so-an荒武優希さん、荒武悠衣さん、新井翔さん(と、こはくちゃん!)。

この度はありがとうございました!!!
これをご縁に、今後ともどうぞよろしくお願いします。

そして
アーツカウンシルしずおか さんの粋な本事業に深謝申し上げます。

それでは。
またどこかで!












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