関野佳介「水めぐる場所(3日目)」
2023年11月6日(月)
せっかく劇場に泊まっているので、午前中は日記などの作業をした後、ツァイ・ミンリャン監督の「楽日」を観た。こちらは閉館が決まった劇場で起こる出来事の話。劇場で過ごすにあたって観ておきたかった。そのまま16時ごろまで劇場のスクリーンを使って編集作業をした。なんて贅沢な環境。noctariumの居心地が良すぎて、このままではずっと劇場にいて1日外出せずに終わってしまうと思い、とりあえず散歩に出かけた。
まずは昨日行った駐車場上の展望台へ。今日も富士山は雲に隠れていたけれど、しばらく見ているうちに、風が強かったからか、山の麓あたりが見え始めた。それでも上まで見えることはなく、そりゃ何でも一歩ずつ、少しずつだよなあと思った。
次に新橋浅間神社にたどり着いた。正面の鳥居をくぐり手を洗い、お賽銭を入れてとりあえず挨拶。すると脇に「木の花名水」という湧水が汲める場所を見つけた。スーパーでよく見る買い物カゴに、空の2リットルペットボトルをいくつか準備しているお母さんと小学生くらいの娘さん(おそらく)がやってきて水を汲み始めた。おそらくこの水は飲めるのだろうと思いつつ、自信がなかったのでしばらくふたりを見ていた。汲み終わったタイミングで聞いてみようと思っていたけれど、すぐに車に戻ってしまったので話しかけられなかった。しばらく湧水の周りをうろうろしていると、また別の女性が水を汲みに来た。質問をしてみると、いつも飲んでいるとのこと。私も水筒が満タンになるまでいただいた。それはそれは美味しい水で、私自身は住んでいる地域で湧水が飲める経験もなかったので、御殿場では人の生活と水との距離が近いのかなと思ったりした。
その後は富士山を目印に住宅地をひたすらぐるぐる。どれだけ歩いても富士山が近すぎてあまり景色が変わらず、暗くなってきたこともあり自分がどこにいるのか全然分からなかった。小さな水流が住宅地にいくつも流れていた。それらを目印として川沿いを進もうとも思ったけれど、それが川なのか用水路なのかも分からず、コンクリートで蓋がされていて途中で見失ってしまったりした。これまた地域の暮らしと水の、別の距離感だった。
結局2時間ほど歩き、市役所にたどり着いた。そろそろ戻りたいと思い始めたので、近くにあったカフェで駅の方向を聞いた。歩いて10分強だとのこと。それほど遠くまでは来ていなかった。偶然にも初日にホストメンバーの勝亦さんから教えてもらったSocketというカフェだったけれど、コーヒーの気分ではなかったのでその時は飲まなかった。
駅の方向に進むと、見覚えのあるGotemba Apartment Storeがある通りに戻ってきた。ほっとした。数日前まではここも完全に知らない場所だったのに、一度訪れただけでそこに戻ってくると少しあったかいような気持ちになるので不思議。図書館さかいめの開館時間には間に合わなかったけれど、とても良い散歩だった。
今晩は勝亦さん(アカマタさん)が夕飯を作りに来てくれた。カレーの要素を分解したというメニューはどれも美味しく、プレート丸ごとおかわりした。皮付きの里芋の塩煮は初めて食べたけれど、これもまた好きだった。皮があるだけでこれほど違うのか。シンプルな素材の味が楽しめるのが嬉しい。
アカマタさんが御殿場の良いところ、課題だと思うところ、どちらも熱く語ってくれた。でも説明的だったり難しい感じではなく、本気で御殿場を大事に思い、ここで暮らすご自身の家族のことを思っていることが伝わる言葉や身振りだった。だからこその悔しさや難しさ、感情的になる部分もあるのだと思う。家族観など、御殿場だけの話ではなく、人間の話だったと思う。話を聞きながら、私に何ができるのかと考えていた。
途中、私たち「旅人」に何を求めているのかという話になった。アカマタさんが、私たちがどういうふうに御殿場を見るのか、その視点を聞きたいと言っていた。丹治さんも私も共通して感じていたのが、御殿場が富士山にこんなに近い印象がなかったということ。そういう私たちのちょっとした気づきを、この旅で出会う人たちと共有できたらと思う。何かをすぐに変えることはできないけれど、今は思ったことや見たことをそのままひとつひとつ伝えるだけで良いような気がした。
夜みんなと話しているうちに分かったことが、新橋浅間神社は「しんばしあさま」神社ではなく、「にいはしせんげん」神社だということ。ほとんど全部逆に読んでいた。
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