久木田茜「特別なものはない(7日目)」
最終日。
いつものように朝起きて、朝ごはんの準備。
初日から約一週間、何かしら町との関わるプランや予定に参加していた。
最終日の今日は、とりわけ何かイベントに参加することはなかった。
前日に、ささやかなお食事会を開いてもらったので、午前中は6日目のノートなど部屋で記入した。
宿泊していた施設は、少し小高いところにあり、
この谷町全体が見えると言うわけではないが、様々な植物が溢れている素敵な場所だ。
夜にはふと見上げると流れ星が流れている場所だ。
朝は、早々にホストの鈴木のぞみさんは自ら参加するMAWの南伊豆へ出かけて行った。
コーヒーを飲みながらこの景色を見て過ごす時間は、とても心地よかった。
そんな心地良さがあってか、この日の午前中は速やかに過ぎていった。
身支度と部屋を整えると、午後になり、部屋を後にした。
一週間、よく知らぬ町でいろいろなことがあり、
いろいろなことに結論をつけたり、意見を述べることは整理が追いつかずできないが、
なんとなくこの町が好きだと思った。
独特の地形。
天竜川。
瀬尻、戸倉、平山、白倉という地域。
白山神社。
植林。
よく見る苔やウラジロ。
たまに出会う動物たち。
秋葉ダム。
小学校のない町。
上記のようなキーワードに私の心はよく反応して、それらについてちょっと考えたり、感じたり。
当初、漠然と「自然を感じたい」という気持ちから、人の少ないような龍山という地域を選択したが、ここにある自然というのもほぼ植林だった。
このような産業に関わる人工的な自然に対して、私はどう捉えられるのだろうか。
とはいえ、その間にある小さな植物や動物などと共存していて、
とても暮らすには十分な整えられた町のように感じる。
とにかく自然が多くて、不憫とはあまり感じなくて、何かが、やや中途半端なところもあるのかもしれない。
こうしたモヤモヤした感覚を最終日に抱き、
森林文化会館の資料を見て、白倉の植林をドライブで感じて帰ろうと思った。
午後、森林文化会館でパラパラと資料を見た。
一つ、龍山秘密村の村長のインタビューがあり(確か、天龍の暮しの手帖?かな?)、印象的な一文があった。
「龍山には特別な観光地とか大自然、特別な文化があるわけでもなく、その自然と暮らし以上のものがない。けどそこがいい」
なるほどと思った。
不自由さもなく、やがてどうなるかわからない少し寂しい町。
若い人が来て栄えればいいな、と思うけれど、
この侘しさもとても美しいとも感じる。
ささやかながら、続いているぶか凧文化や、民話もある意味、ありふれた文化でもあるだろう。
特出することのない、ありふれた文化を残そうと愛していること。
高度成長期や昭和で、何か発展が止まった町に浮かぶ、ふわふわとしたありふれた歴史エレメンツたち。
そんな特別さのないこと、の貴重さを考えて白倉をドライブして、関東方面に車を走らせた。